【07/81π】しょっぱい記憶

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本編: 『17話 際どい言葉』

視点: ヤシロ

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 夜。

 改装のためにシートがかけられている陽だまり亭を眺めながら、俺は中庭の井戸のそばに腰を下ろしている。

 

「ん…………冷てっ」

 

 蓋が出来る瓶に塩水と一緒に入れておいたリンゴをかじると、そいつはキンキンに冷えていた。

 井戸の水が瓶を冷やし、冷蔵庫のような働きをしたらしい。

 こんなに冷えるもんなんだな、井戸の底って。

 

「しかし……二玉は多いよな」

 

 若干げんなりしつつも、さっさと『二羽目』を頬張る。

 瓶の中で塩水に浸されているのは、今朝作ったウサギさんリンゴの残骸だ。

 ソッコーで皮を剥いて、ただのリンゴに戻してやったさ。

 それでも、あいつらに見せれば「うさぎさ~ん!」とかって号泣しかねないから、こうしてこっそり井戸の底へ隠しておいたのだ。

 

「誰にも見られないうちに処分だ、処分」

 

 ガキの頃からの性分で、食い物を粗末にすることは出来ない。

 誰も食わないなら俺が食う。それだけだ。

 

「三羽目……」

 

 表面に塩味が付いたリンゴは、少しだけ懐かしい味がした。

 運動会の弁当に入ってたっけな。

 酸化しないようにって、塩水に浸けておいたリンゴ。口に入れると真っ先に塩味がして、その後一瞬甘くて、それを塗り替えるように爽やかな酸味が広がっていく。

 リンゴは丸かじり派だったせいもあり、ガキの頃は塩味のリンゴがあんまり好きじゃなかったんだが……

 

「今になって美味く感じるのは、思い出補正ってヤツかねぇ」

 

 見上げた空には、月がのんきに浮かんでいた。

 今日は雲も少なく、月がよく見える。

 

 部屋に持って帰って食えばいいんだろうが、なんでか、な~んとなく月を見ながら食いたかった。

 ウサギだからか?

 ……ふっ、この世界じゃ月にいるのかどうかも分かんないってのによ、ウサギ。

 

「砂糖でもあればジャムかコンポートにするんだけどな」

 

 ないものはしょうがないので、生で食い切ることにする。

 

「うぅっ……ちょっと冷えてきやがった」

 

 四十二区の夜は割と冷える。

 キンキンに冷えたリンゴを食うには、少々不向きな気候だ。

 

 アップルパイにでも出来れば、こんな量あっという間になくなるのに。

 ……鈍器みたいな黒パンしか売ってないこの街じゃ、アップルパイなんて夢のまた夢だよな。

 

「ヤシロさん」

 

 突然背後から声をかけられ、一瞬心臓がはねた。

 

「……な、なんだ。ジネットか」

「はい。……あ、驚かせてしまいましたか?」

 

 あぁ、うんそうだね。

 めっちゃ驚いたよね!

 月が出ているとはいえ、この街には明かりなんてないし、暗がりから突然声をかけられたらびっくりするよね、そりゃあ!

 思わず手元の塩水を振りかけて、『悪霊退散!』って叫びそうになったよ。

 ……水に溶けてても効果あるのかどうか、分かんないけどさ、塩。

 

「マグダさん、お休みになりましたよ」

「そうか」

「はい。それで、自室に戻ろうとしたら、中庭にヤシロさんが見えたので」

 

 それで、わざわざ降りてきたってのか?

 さっさと寝ればいいものを。

 

「どうだった、マグダは?」

「とっても可愛かったです」

 

 いや、そんなことを聞いているんじゃなくてだな……

 

「あいつ、今日はずっと興奮してたからな」

「そうですね。狩りで初めて成果を挙げられたのが嬉しかったみたいですね」

 

 お弁当作戦が功を奏し、なんとか獲物を食い尽くすことなく狩りを終えることが出来た。

 持ち帰れたのはほんの一欠けだったけどな。

 

「それと」

 

 くすっと笑って、ジネットが俺の隣に腰を下ろす。

 

「嬉しかったみたいですよ。ヤシロさんがマグダさんのために交渉してくれたことが」

 

 とんでもない勘違いだ。

 あれは、陽だまり亭の利益のための、ひいては俺のための交渉だ。

 マグダの株を上げ、功績を認めさせたのはその方が都合がいいからだ。

 

 俺を欺こうと悪あがきした結果だとは言え、ウッセの口から「名実ともに狩猟ギルドの一員になった」と言わせたのは大きいだろう。

 これでもなお不当な扱いを続けるヤツがいるなら……

 

「ヤシロさん」

 

 俺の顔を覗き込んでくるジネット。

 目が合うと、きゅるっと音がしそうなほど唇が柔らかく弧を描く。

 

 ……やれやれ。

 なんだか毒気が抜かれた。

 

 俺が息を吐くと、ジネットは嬉しそうににこりとした。

 何が嬉しいんだ、そんなに。

 

「何を食べていたんですか?」

 

 う……っ。

 

「まぁその、あれだ、弁当の、な」

 

 と、そういう言い方をすれば――

 

「あぁ、マグダさんのお弁当ですね」

 

 ――と、勝手に都合のいい解釈をしてくれる。

 本当は日本での弁当のことを思い出していただけなんだが……ま、これで嘘にはならないだろう。

 

「試作ですか?」

「あぁ、まぁ、そんな感じだ」

 

 売れるかと試しに作ったウサギさんリンゴだから、まぁ嘘ではない。

 

「けど失敗してな。うまくいったら見せるよ」

「はい、楽しみにしています」

 

「わたしも何か考えないと」と拳を握って意欲を燃やすジネット。

 食堂用のメニューと弁当用のメニューは違うからな。

 結構創作意欲を刺激されている様子だ。

 

 そして二階の、ちょうどマグダの部屋辺りを見上げて。

 

「マグダさん、お弁当美味しいって言ってくれましたね」

 

 それはもう、絵に描いたような嬉しそうな顔で。

 自慢げで、誇らしげで、少し恥ずかしそうだった。

 

「ごめんなさい。嬉しくて顔が、にやけてしまいます」

「美味いなんて、いつも言われてるだろう。エステラとか、ベルティーナさんに」

「それでも、嬉しいんですもん」

 

 そんなもんかね。

 

「ヤシロさんはどうですか?」

「ん? あぁ、美味いと思ってるよ。言ってないか、美味いって」

 

 ジネットの飯は美味い。

 人を褒めるというのは、無料で出来る上、割と簡単にその相手のパフォーマンスを向上させることが出来る有用性の高い手段だ。

 俺は惜しみなく使っているつもりなのだが。

 

「いえ、あの、そうではなくて……なんだか、すみません。強要してしまったみたいで」

 

 ん?

 そういう話じゃなかったらしい。

 

「ヤシロさんは、言われると嬉しい言葉とかあるのかなぁ~っと、思ったものですから」

「あぁ、そっちか」

 

 そっちの「どうですか?」だったのか。

 紛らわしい。

 

「俺が言われて嬉しい言葉は……」

 

 言葉などなくても、ちょっと突っつかせてもらえれば最高に嬉しいのだが……

 そんなことを言えばまた懺悔コースだ。確実に蛇が出ると分っている藪を突っつくのはやめておこう。

 

「……特にないな」

 

 俺は、お世辞に踊らされるような小者ではないんでな。

 本当に褒められるであろうと自覚しているところを褒められても、「あぁそうだよ」としか思わないし、自覚していないところを褒められれば「胡散くさっ」と思うだろう。

 

「イケメンですね!」と言われれば「まぁな」と返すし、「瞳の輝きが素敵です」とか言われりゃ、「何言ってんだこいつ?」と警戒するだろう。

 結局、どっちも心底喜べないのだ。

 

 だから、俺にお世辞なんか通用しないし、俺にお世辞を言う必要もない。

 

「それじゃあ、これからわたしが、ヤシロさんのいいところをいっぱい伝えていきますね。たくさん褒めますから、嬉しかったことは教えてください。約束ですよ」

 

 小指を立ててこちらに突き出してくる。

 いや、待て。待ってくれ。

 

 じゃあ何か?

 俺が、お前に、「この前、俺のこと褒めてくれたじゃん? あれ、超嬉しかった」とか報告するのか?

 冗談じゃない!

 

「その契約は結べそうにないな」

「わたし、褒めるのは得意ですよ!」

「じゃあ試しに、何か一つ、俺を褒めてみろ」

「分かりました!」

 

 ぐっと両手で拳を握り、ジネットが俺の全身をくまなく探す。

 そんな意気込んで探すようなもんじゃないだろうに。そもそも、必死に探してなんとか見つけてきた数少ない長所を無理やり褒められても嬉しくねぇっつーの。

 

「わたし、以前から思っていたんですが」

 

 そんな前置きをして、ジネットは俺の目を見つめる。

 

「ヤシロさんは、瞳の輝きが素敵ですよね」

 

 …………わざとか?

「何言ってんだこいつ」って言えばいいのか? ……ったく

 

「特に褒めるところがなかった場合、人は瞳の輝きと肌の艶を褒めるもんだ」

「いえ、たくさんある中の一つですよ」

「『全部』ってのも、取り立てて褒めるところがない時によく使う口上だな」

「そんなことありませんってば。例えばですね……」

「あぁ、いいから。もういいから」

 

 指折り俺のいいところを挙げていこうとしたジネットを止める。

 やめてくれ。長所を論われても、背筋がムズムズするだけだ。

 お世辞なんか必要ない。

 

 ……ったく。

 キンキンに冷えたリンゴが食いたくなってきたじゃねぇか。……熱いわ、顔が。

 

 手扇で顔に風を送っていると、隣でジネットがくすくす笑う。

 

「マグダさんが言っていましたよ。ヤシロさんは顔と言葉がバラバラだって。本当にそうですね」

「あいつにだけは言われたくないな……」

 

 めっちゃ無表情で「ちょうウケる~」とか言ってたヤツが何を言う。

 俺の表情と言動がバラバラなのは詐欺のスキルだ。笑顔の裏で真っ赤な舌を出しているんだよ。

 つぅか別に、あいつの前ではそんなことしていないと思うんだが? 何を見てそんなことを言い出したのやら。

 まったく、読みきれないヤツだよ、マグダは。

 

「あいつは、これまでどんな生き方をしてきたんだろうな」

 

 ふと、そんな言葉が口を突いて出ていた。

 あれくらいの子供なら、もっと泣いて騒いでわがままを言って、周りに迷惑をかけまくっていて当然なのに。あいつは……

 

「どうでしょうね。それは分かりません」

 

 膝を抱えて、首をこちらへ向けてこてんと傾ける。

 

「けれど、マグダさんがこれらどう生きていくのか、それは一緒に考えてあげられますね」

 

 応援しましょうねと、その目が言っていた。

 

「本気であいつに接客をさせる気か?」

「はい。マグダさんは可愛いですから、きっと人気者になりますよ」

「どんだけ見積もりが甘いんだよ、お前は……」

「そんなことないですよ。マグダさんに会いたいがために毎日通うお客さんが出来るかもしれませんよ」

「とんだ物好きだな」

「見る目がある方なんですよ、きっと。芸術的センスがある方だと思います」

「お前、分かって言ってるか、『芸術的センス』とか?」

「えへへ。実は、あんまり」

 

 可愛らしく舌を覗かせて、ジネットは笑う。

 こいつにとってはチャレンジでもなんでもなく、不安なんてものもないのだろう。

 マグダを迎え入れるということに。

 

 しょうがない。

 俺がいろいろと面倒を見てやるかな。

 もちろん、陽だまり亭が損失を出さないために。利益を上げるために、な。

 

 

 そういえば、俺が親方の家に住むようになって間もなくだったっけな、親方が俺に工場の仕事を体験させてくれたのは。

 あれで、なんとなく自分の居場所が出来たような気がしたんだ……

 

「あ~ぁ、なんだかなぁ」

 

 今夜はもう腹がいっぱいで、これ以上リンゴを食べられる気がしなかった。

 

 

 

 

 

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