【02/81π】二人の母として
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本編: 『7話 赤い髪の麗人』
視点: べルティーナ
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「よしっ、では盛り付けますよ」
ジネットが腕まくりをして子供たちの朝ご飯を盛り付けていきます。
教会の厨房。
設備は古い物ばかりですが、その分たくさんの思い出が刻み込まれています。
ほんの少し前まで、ジネットはあの作業台が高いからと踏み台を使っていたのですが……時が経つのは早いものですね。
今ではすっかり背も伸びて、厨房に立って料理をする姿がよく似合っています。
「ジネット」
「あ、シスター。もうすぐ出来ますから待っていてくださいね」
ついさっきまで、厨房ではジネットがエステラさんと楽し気にお話をしていました。
今は、エステラさんとヤシロさんが連れ立って外へ出てしまったので、厨房にはジネット一人です。
「お手伝いします」
「つまみ食いはお手伝いとは言いませんよ」
おや。
いつの間にか美味しそうに炒められたお野菜に手が伸びていました。
困りましたね。
ジネットの料理の腕がどんどん上がっていって、私の我慢の限界を超えてしまいました。
「それだけ、ジネットのお料理が美味しそうだということですよ」
「褒めてもダメです」
私の手をそっと摘まんで作業台から遠ざけます。
こういうところも、しっかりと大人になったのですね。
とはいえ、母親代わりとしては、まだまだ心配なのですが。
「もう! ヤシロさんに『シスターは礼儀にうるさい人なんですよ』とお伝えしたのに……シスターがお行儀悪くてどうするんですか?」
可愛らしい顔で私を叱るジネット。
うふふ。これでは、どちらが親でどちらが子供か分かりませんね。
「よかったですね。頼りになりそうな人が出来て」
少し唐突過ぎたのか、ジネットは目をまんまるく開いて、そしてゆるりと微笑みました。
「はい。まだ少し緊張しますが、仲良くやっていければいいなと思っています」
ジネットの目を見ていれば分かります。
あの方がどのようにこの娘に接しているのか。
こう見えて、ジネットは割と警戒心が強い娘ですから、仲良くはなれても心を許すことはあまりありませんでした。
そんなジネットが、こんなにも信頼を寄せている。その理由が知りたくなりました。
「どういう方なのですか、ヤシロさんは」
「ふふ。シスターが見たままの人だと思いますよ」
ジネットの言葉には、「シスターも認めているのではないですか?」という言葉が隠れているようでした。
確かに、見たことがない男性が随分とジネットに近しい立ち位置にいたため、ほんの少しだけ試させていただきました。
警戒心があるとはいえ、ジネットは随分とのんびりしている娘でもありますから、母親代わりとしては心配なのです。
うまく言いくるめられているだけなのではないか、と。
けれど、それは杞憂であったようです。
「自分の非を素直に認められる人であることは確かですね」
ジネットが名を口にしたからと自己紹介を怠り、あまつさえ初対面で年上である私に非常に砕けた口調で話してきたヤシロさんに、私は少しきつめのお仕置きをしました。
普通なら怒り、不当な処遇に不満の一つでもぶつけてくるところでしょう。特に、ヤシロさんくらいの年代の男性なら。
女性に舐められるということを嫌う方も多いですから、男性の中には。
けれど、ヤシロさんは開口一番「ごめんなさい」とおっしゃいました。
それも、私の手を一切拒絶せずに。
私の手を振り解くでもなく、私を突き飛ばすでもなく、拳を振り上げるでもなく。されるがままでした。
ヤシロさんが本気で私の手を振り払えば、私の腕は簡単に振り切られていたでしょう。私よりも強い力で握り返せば、私の手は相応の痛みを伴って負傷したでしょう。
けれど、そうはしなかった。
厳しい言葉を選びながらも、ジネットのことを思って私に意見をしてきたあの優しさそのままの態度であったと、今思い返せばそう思えます。
「ヤシロさんはとても誠実な方ですよ」
金銭的なご苦労があったらしいヤシロさんは、それでも言いにくいことを隠すことなく、ジネットの前ですべてを詳らかにしたのだそうです。
誠実に、ご自身の言葉で。
「ヤシロさんを信頼するには、それだけで十分です」
ジネットの顔に、ジネットの言葉に、ジネットの纏う雰囲気に、偽りや後ろめたさ、不安のような負の感情は一切感じられませんでした。
本心からそう思っているのでしょう。
「それに」
くすりと笑い、ジネットがこそっと教えてくれました。
「ヤシロさんは、お祖父さんと似た手をされているんです」
「手、ですか?」
「はい。大きくて、少しひんやりしていて――とても繊細な指先」
ジネットは自身の両手を広げて、その手の中に収まったのであろう彼の手を思い出すようにじっと見つめています。
「あの手は、誰かを笑顔に出来る手です。お祖父さんがいろいろなものを作って、多くの人を笑顔に変えてきたように。わたしには、そんな風に思えたんです」
ジネットの養祖父は、本当に多くの方に愛され親しまれ、彼の周りにはいつも笑顔が集まっていました。
そうですか。
ヤシロさんの手は、彼に似ているのですか。
それは頼もしいですね。
手には、その人の心が表れると言いますから。
「ジネットねーちゃん! さっきのおにーちゃんはー?」
「ぐるぐるの続きしてほしー!」
「おにーちゃんどこー?」
「こ~ら、ダメですよ。これから朝食なんですから。遊ぶのはその後で、ですよ」
「「「え~!」」」
「返事は『はい』ですよ」
「「「は~い!」」」
ふふ。
ヤシロさんは、もうすっかり子供たちの人気者ですね。
出会ってすぐに子供たちと仲良くなれる人ですもの。きっといい人に違いありません。
ただ一つ、気になったのは……
私がジネットの過去を口にした時に見せた寂しそうな瞳。
ジネットの生い立ちを思い心を揺らしたというだけではなく、なんというか……その奥に、ご自身の体験を重ねているような、そんな深い悲しみがほんの一瞬垣間見えました。
ジネットにはヤシロさんのようなしっかりした方が必要ですし、もしかしたらヤシロさんには、ジネットのような娘が必要なのかもしれませんね。
「幸せになってほしいものですね、どちらも」
そんな呟きは誰の耳に届くこともなく、空気の中に紛れて消えていきました。
「それじゃあ、みなさんお手伝いをしてください。料理を談話室へ運びますよ」
「「「は~い!」」」
子供たちを引き連れて、私たちは談話室へ料理を運びました。
テーブルに次々と料理が並んで行きます。
……おや?
今朝はいつもより少し豪勢ですね。
もしかして、ヤシロさんと一緒にいただく初めての朝食なので、ジネットが張り切ったのでしょうか?
ふふ。落ち着いて見えても、ジネットもはしゃいでいるのですね。
「ヤシロさんとエステラさんを呼んできますね」
朝食の準備を終え、ジネットがエプロンで手を拭きながらそう言いました。
談話室の窓からは庭が見え、そこにヤシロさんとエステラさんの姿が見えました。
ちょうど話が終わったのか、エステラさんが踵を返し、玄関へ向かって歩いてきます。
それを追いかけるヤシロさん。……心なしか、険しい表情をされています。
そして。
「あっ」
ジネットが声を漏らし、私も身を乗り出しました。
ヤシロさんがエステラさんの手を取った拍子に、エステラさんが体勢を崩されたのです。
咄嗟にヤシロさんがエステラさんを抱きとめたのですが…………その手が、エステラさんの胸に。
「は、はぅ……ヤシロさん、なんてところに手を……」
「いえ、ジネット。助けようとした結果、たまたまあの位置に手がいっただけでしょう。人助けなのですから責めてはいけませんよ」
不可抗力、という言葉もあります。
きっと今回はそれに該当するのでしょう。
そう思いました。
……こんな会話が聞こえてくるまでは。
「……いい加減、離してくれないかな?」
「エステラ、俺の国にはこんな言葉があるんだ…………『あと、五分』」
乾いた音が響きました。
エステラさんの平手がヤシロさんの頬を打ちました。
……ヤシロさん。あなたという人は…………
気が付けば、ジネットがいませんでした。
玄関へ、ヤシロさんを迎えに行ったようです。
では私は、懺悔室の用意をしておきましょう。
その後、ジネットに連れられ懺悔室に来たヤシロさんに、「おのれの罪を告白し、懺悔をいたしなさい」と告げたところ、ヤシロさんの口から出てきた言葉は――
「ぺったんこなのにちょっと気持ちいいと思ってすみません」
――ヤシロさん。あなたという人は。
短い眩暈の後に、久しぶりのやんちゃ坊やにしつけ甲斐があるなと、少しだけ頬が緩みました。
この問題児は、もしかしたら私の一番のお気に入りの息子になるかもしれないなと、そんな予感めいたものを感じていたのでした。
世話のかかる子ほどかわいいと言いますし、ね。
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