異世界詐欺師のなんちゃって経営術-π(パイ)-
宮地拓海
【01/81π】お客さんは優しい人
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本編: 『4話 ちょっ、待てよ!』
視点: ジネット
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明日の寄付は、お野菜をたっぷり煮込んで美味しいスープを作りましょう。
そう思って、陽だまり亭の厨房で仕込みを行っていた時、その声は聞こえてきました。
「誰かいないのか?」
ドアが軋んだような音は聞こえたのですが、建て付けが悪くなったこのお店ではよくあることで、まさかこんな時間にお客さんが来るなんて思ってもいなかったわたしは、慌ててフロアへ向かいました。
そこで、その人に出会ったのです。
初めて見るお顔でした。
警戒心が見え隠れする鋭い眼。
心を閉ざすような佇まい。
それなのに、どこか寂しそうな雰囲気を纏った男性。
わたしの目に、その人はそんな風に映りました。
けれど、その方はわたしを見てこう言ってくださったんです。
「パイオツ・カイデー!」
聞き慣れない言葉の意味を伺えば、それは『笑顔が素敵』という意味なのだと教えてくださいました。
その言葉を聞き、わたしは……恥ずかしながら、少しだけ浮かれてしまいました。
男性に、そのようなことを言っていただいたのは生まれて初めてでしたので。
顏が変ににやけないように、いつもの笑顔を心がけて精一杯接客しました。
……注文を聞き忘れたり、少々失敗はありましたけれど、きっとうまく出来ていたと思います。
「んっ!? 美味い!」
わたしの料理を食べて、その方はそうおっしゃってくださいました。
丸みを増した瞳と、少し緩んだ口元。
それはもう、本当に美味しそうな笑顔で。
それだけでわたしの心は満たされて、「あぁ、頑張っていてよかったな」って思えました。
だから、いいんです。
「さすがに、もうお手洗いはお済みですよね」
お客さんが座られていた席には、綺麗に食べ尽くされた空のお皿が乗っています。
もう、片付けてしまっても構わないでしょう。
カウンターに乗っていたお財布を丁寧に持ち上げ、エプロンのポケットへと仕舞います。
こんなところに放置して、万が一にも盗まれたら大変ですから。
食器を下げ、厨房へ戻ります。
「本当に、綺麗に食べてくださいましたね」
クズ野菜の炒め物は、少しとろみのあるソースが特徴で、普通に食べればお皿にソースが残ってしまいます。
けれど、あのお客さんは綺麗に、一筋のソースも残さずに食べてくださいました。
きっと、根菜で掬い、葉野菜で拭って、最後の一滴まで食べてくださったのでしょう。
「こんなに心を込めて食べてくれた人は、初めてですね」
あまりに綺麗なお皿は、ある種の芸術作品のように美しく、少しだけ記念に取っておきたくなりました。不衛生なので洗いますけれど。
「……素敵なお客さんでしたね」
あのお客さんは、とてもいい人なのだと思います。
わたしの笑顔を褒めてくれて、わたしの失敗を責めることなく笑って許し、そして、こんなにも綺麗に料理を食べ尽くしてくれた。
作り手にとって、これほど嬉しいことはありません。
あのお客さんは、他人の心に寄り添える優しい人なのだと、わたしは思います。
「……パイオツ、カイデー」
呟くと、自然と頬が緩みました。
わたしの笑顔は、素敵なのでしょうか?
そんな風に、見えたのでしょうか。
もしまたお会いできるなら、あの人の前ではずっと笑っていたいなと、そんなことを考えてしまいました。
もっとも、もう二度と会えないかもしれませんけれど。
この街には、貧しい人が大勢います。
それこそ、満足に食事もとれず、罪に手を染めてしまわれる方も。
……わたしにだって、身に覚えの一つくらいはあります。
わたしの場合は、幸運なことに優しく叱っていただけたのですけれど。
わたしのように、救ってくれる人がいない方は、寒い夜に一人で空腹を抱えて過ごされているのでしょう。
あのお客さんも、そうなのかも、しれませんね。
そんな方を温かく照らす陽だまりのような場所に、なれればいいのですが……
「お祖父さんのようには、まだまだいきませんね」
お皿を洗い、仕込みの続きを始めます。
『お腹が空いた人に、美味しいものを食べさせてあげる。それが、ワシの仕事だ』
お祖父さん。
美味しいって、言ってくださいましたよ。
だから、いいですよね?
食い逃げは罪です。
ですが、それ以上に人の命は大切だと思うのです。
小さな罪でその人の命がつながるのなら、その後は懸命に生きて、そしていつの日かその小さな罪を償い、別の誰かが罪を犯さずに済む手伝いを出来るような人になっていただきたい。
そうすれば、この世界に優しい人が増えていくと、思うんです。
あのお客さんも、きっとそうなってくださいます。
「優しい人、でしたからね」
だって、あのお客さんはわたしに気付かれる前に逃げ出すことも出来たはずです。
それなのに、わざわざわたしを呼んで、話しかけてこられました。
だからわたしは、あのお客さんが罪の意識に苛まれているのではないかと心配になったんです。
罪を犯すのが心苦しく、つらくて、止めてほしいんじゃないかと。
わたしは、食い逃げを見逃すつもりでいました。そのことが、このお客さんを逆に苦しめることになってしまったのではないかと……
でも、お客さんは財布を置いていかれました。
中身の入っていない、軽い財布でした。
けれど、これはあのお客さんの、『また会いに来る』というサインのように思えました。
だからほっとしました。
今ではないけれど、いつか必ず。
そんな思いを、勝手ながらに感じられたから。
わたしは、あのお客さんを信用に足る方だと判断しました。
残さずきれいに食べてくれたから。
美味しいと、笑顔で言ってくれたから。
わたしの笑顔を、素敵だと……おっしゃってくださいましたから。……えへへ。
そして何より、あのお客さんはわたしと話そうとしていました。
誰かと関わりを持とうとする人は、前を向いて生きていける人だと思います。
すべてを拒絶し、自分の殻に閉じこもるような逃げ方をする弱い人とは違う、自分の足で進んでいける強い人だと、そう思ったんです。
「あのお客さんは、いつか必ず今日の代金を払ってくださいます。断言してもいいです。わたしには、そう思えてならないんです」
食器を洗い、仕込みを終え、厨房の掃除も終えて、わたしはポケットの中の財布を取り出しました。
作りのしっかりとした綺麗な財布です。なんの革を使っているのでしょう? 触ったことのない感触です。
実に高そうなお財布です。
そういえば、あのお客さんが着ていた服も高そうでした。生地もよく、縫い目も綺麗で、体に沿うように美しいラインで仕上げられていて。
あんな高級そうな服、見たことがありません。
随分と汚れてはいましたけれど。
もしかしたら、何かの事故に遭われたのかもしれませんね。
どこかの貴族の方が、不慮の事故でお連れの方たちとはぐれ、ここへ迷い込んで、だから持ち合わせもなくて…………
「あれ? だとしたら……」
そんな人が食い逃げなどするでしょうか?
わたしは、あのお客さんが食い逃げをすると勝手に思い込んでいましたが、それがまったくの勘違いだったとしたら……
本当にお手洗いに行きたかっただけで、用を足してすっきりした瞬間にうっかりお財布を預けたこととお会計を忘れてしまっただけだとしたら?
「あり得ます……よね?」
わたしも、お買い物に行こうと外に出たらすごくいいお天気で、気持ちのいい風を堪能している間に、何を買いに行くのかを忘れた経験があります。
気持ちがいいと、人は少し前のことを忘れてしまうことがあるんです。
「だとしたら……大変です!」
わたしは、お客さんの忘れ物を、気付いていながら届けなかったことになります。
あぁ、なんということでしょう。
すぐに追いかけていれば、きっと手渡せたはずです。
空だからと油断していました。
中身などなくても、このお財布だけで充分価値がありそうです。とても高価な物かもしれません。だって、こんな綺麗な縫製見たことがありませんもん!
「すぐに追いかけましょう!」
いや、でもどこへ?
行き違いになったら? 戻ってこられた時に陽だまり亭が開いていなかったら?
それは困ります。
「では、明け方まで待って、それから探しに行きましょう」
教会の子たちに少しだけ店番を手伝ってもらって、探しに行きましょう。
もしそれで、見つけることが出来たとして、わたしを見て一目散に逃げ出せば食い逃げだったと判断し、財布は返さずに保管しておきましょう。
でも、わたしを見て逃げ出さなければ……
「おっちょこちょいさんということですね。……うふふ」
物を預けたまま、忘れて帰ってしまう。
そんな人が、わたし以外にいるなんて。……今度シスターに教えてあげましょう。「わたしだけじゃなかったですよ」って。
「『そんなおっちょこちょい、ジネットくらいのものですよ』なんて、もう言わせませんもん」
そうして、明け方まで待ち、わたしはあのお客さんを探しに出かけました。
結果として、あのお客さんはおっちょこちょいさんでした。
うふふ。
忘れ物が届けられてよかった。
あのお客さんが困っていなくてよかった。
また、料理を食べに来てくれたら嬉しいなぁ~なんて、そんなことを思っていました。
それが、まさか実現するなんて。
それも、ここで働いてくださるなんて。
信じられないようなことがたくさん起こりました。
けれど、このお客さんは信用できる。わたしが最初に感じたその感覚は、間違いではありませんでした。
あ、いえ。
もうお客さんではないですね。
これから、よろしくお願いしますね。ヤシロさん。
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