悪魔の女王と籠の鳥
「可哀想に。そのままでは死にますよ」
そのとき俺は、確かに死を待つだけの状態だった。半殺しにされ、名前も、役割も、何もかも否定されて、地べたを這いつくばるだけの死にぞこない。
「お前。どうせ死ぬなら、私のために死になさい」
あんまりにも綺麗な顔で笑うものだから、確かにそっちの方が有意義なんだろうなと思わされたのだった。
忘れもしない――血の色の髪。死んだ魚みたいな目。ヒビ割れた王冠。ボロボロのナイフ。天使の讃美歌みたいな綺麗な声。見る者を落ち着かせる佇まい。すべてが滅茶苦茶な女。
メギ・ディスキディア。
のちに、悪魔の女王と呼ばれる女。
~ ~ ~
俺が生まれた時にはもう、ずっと戦争が続いていた。人間と魔王軍の激しい戦争。そこら中に孤児が溢れていた。
その内の一人が、俺だった。
孤児と言っても、色々だ。良い金になる奴、二束三文で買い叩かれる奴、片腕の無い奴、両足の無い奴、目が腐ってる奴、病気で死ぬ奴。
俺は、まともな方だった。五体満足だったし、物分かりもよかった。人身売買を生業にする大人に上手く取り入って、商品ではなく労働力として存在を認められた。
なんの後ろ盾もない子供が生きていくにはそうするしかない。
大人に上手く気に入られる。
それさえ巧くやれば、生きていける
――そう思っていたが、完全に裏目に出た。
俺は組織のために貢献しすぎた。要するに、内部の事情を知りすぎた。賢しい子供ほど大人にとって都合の悪い存在はいない。
危険。用済み。俺は組織からそのように判定され――奴隷商に雇われた傭兵どもに追われることになった。
そして、ボロボロになるまで追い詰められて死ぬ寸前の時、悪魔みたいな女に出会ったのだった。
「今日からお前は私の物になります。はい、と言いなさい。そうすれば助けてあげます」
悩む余地は無かった。
大人しく「はい」と首を縦に振ると、メギはにこりと笑って――傭兵たちをなんの躊躇もなく、たった一本のナイフだけで全員ズタズタに引き裂いてあっという間に殺してしまった。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
彼女はとっても綺麗な顔で笑って、死体にナイフを突き刺しながらなおも笑い続けていた。
「大人ブッ殺すの、楽しー!」
またとんでもない奴に拾われたと思ったもんだよ、その時は。
~ ~ ~
それは彼女の公約――と言うより、口癖のようなものだった。
「世界中の大人を殺しましょう。大人はどいつもこいつもどいつもこいつも悪い奴ばかりです。ですから大人を殺しつくせば世界はとても良くなるでしょう。そして私はいつか、子供が自由に暮らせる国を創ろうと思うのです」
イカれてるよ、本当に。
だけど「それも悪くないな」って俺は思ったんだよ。大人の都合で殺されかけたばかりだし、奴隷商の手伝いなんかやってると、まァ大人って死んだ方がいい連中が多いよなって、素直にそう思った。
最終的に大人をどうするにしろ、圧倒的に人手が足りない。
そこで俺に与えられた最初の仕事が、孤児の確保だった。
俺は前職で得た聞きかじりの知識を総動員して、戦争で滅んだ国を中心に歩き回った。孤児ってのは本当に、どこにでもいた。大抵の連中は衣食住さえ約束すれば、文句も言わず着いて来た。
たまに威勢のいいガキもいるが、そういう奴らはひとまず鳩尾を殴って黙らせたあと、持ち帰ってメギに説得させる。
いや説得っていうより、洗脳だな。
メギはかつて王女候補として育てられただけあってカリスマ性は凄まじかった。こう、言ってることはどう考えたって滅茶苦茶なのに何故か「正しい」と思わせる力があるんだよな。
そう――これは孤児集めに勤しんでいる時に耳にした噂話だ。
メギ・ディスキディアは壊れた王女らしい。
ディスキディア王国の後継者争いに敗北し、大人の都合ですべての罪を被らされた。戦争によって疲弊した国力、正統後継者の政策不信、国民の不満、そういった都合の悪いものはすべて、大人たちの都合がいいように情報を操作されて、メギの押し付けられたのだと。
いや、変な話だよ。だってよく考えりゃ、たかだか十三歳のガキに政策だの戦争をどうこうする力なんか、あるわけないんだ。
でも人間って追い詰められると正常な判断が奪われちまうもんだよな。メギがスケープゴートにされたのは、そういう理由もなんだろう。
迫害され、
そんな彼女が今やこの世の大人全員を殺す計画を立てているなんて、大人たちは夢にも思わねぇんだろうな。
~ ~ ~
孤児を増やすのに、そう時間は掛からなかった。
ある程度頭数が揃い出すと、メギは孤児に教育を行うようになった。
ナイフの使い方、剣の握り方、攻撃の避け方といった戦闘法から、心の隙に付け入る方法、死より激しい苦痛を生むための拷問法、心の折り方、尊厳の踏みにじり方、身の隠し方、バレない嘘の吐き方といった諜報術まで。メギは天使みたいな声で子供を教育――いや洗脳して、立派な兵士に育てあげていった。
メギは俺たちを
「資源もツテもない私たちが大人を殺し、子供の国を作るには、近隣大国――つまりディスキディア王国から物資を略奪するのが一番です。とはいえ正面切って戦ったところで勝てるわけが無いので、私たちで政治中枢を滅茶苦茶にしてから滅ぼしましょう」
発想も、行動力も、とても十三歳のガキのものとは思えなかったよ。教養もある、才能もある子供が狂っちまうと「こういうもの」に成り果てるんだなって、俺は他人ごとみたいに思った。
メギの指導はどれも的確で分かりやすかった。ただ、メギは致命的に人の心が欠けていたので、何度も子供たちとの間でトラブルが発生した。そういう時は俺が出しゃばって、メギに常識を教えてやるのが常だった。
「お前は放っておけねぇよ。恐ろしくて」
「そうですか。ではちゃんと見張ってなさい、お前」
メギには笑って自分の非を受け入れ、忠告をしっかりと聞き入れるだけの度量があった。そういう、ふとした瞬間に王女としての器を見せつけられると、どうも胸糞が悪くなった。
~ ~ ~
孤児の数は着々と数を増し、やがて
「大勢の大人が死に、籠の
満面の笑みで狂ったことを言うメギには、すっかり慣れちまった。
ただ、どうしても気になってしまう。
丹精こめて育てた子供が、いずれ大人になっちまった時。
そして他でもない自分が、大人になっちまった時。
メギ・ディスキディアは、一体どう成り果ててしまうのだろうと。
幸か不幸か、その答えが確かめられることが無かった。
~ ~ ~ ~
ある日、突然すべてが終わった。
王国に潜伏していた
構成員、人数、作戦、拠点――メギという主犯格の存在。すべてが明るみに出てからは、王国の動きは迅速だった。
メギの教育を受けたとはいえ所詮は付け焼き刃で、しかも子供の集りだ。大人が本気を出したらどうやっても勝てない。
追手はとうとう、
俺がカビ臭い牢獄で目を覚ました時にはもう、メギの処刑が終わった後だと看守から聞かされた。
生きたまま焼かれながら、大嫌いな大人に囲まれて死んでいったそうだ。
あんな無茶苦茶な女でも死ぬときは死ぬんだな――と、そう思った。現実と脳に薄い壁が一枚あって、状況がいま一つ理解できない。
だって、目を閉じればメギの声がこんなに近くで聞こえるんだぜ。
「お前。どうせ死ぬなら、私のために死になさい」
そうだな。最初に会った時から、そういう約束だったけっな。
悪りィな。お前より長生きしちまって。
お前のために死ねなくて。
「ハッハハハ……」
メギと、それに籠の
楽しかった。狂ってたけど。
だけど、あんなに笑って過ごしたことも無い。
だから、いいなって思ったんだよな。
ここで死ぬのも悪くないって。
コイツらのために死んでやるのも悪くないって、本気で。
「なァんでこんな事になっちまったんだろうなァ……」
とうとう処刑される日が訪れて、広場の断頭台へ連れて行かれる最中も、そんなことばっかり考えていた。
広場には大勢の人が集まっていた。平民、貴族、大人、子供、老婆、どんな奴だってそこにいた。コイツらの話を聞くに、どうやら俺が最後の生き残りらしい。俺の首が吹っ飛ぶことで、
――バカなことを。
元はと言えば、お前らがメギを悪魔にしたんだろうが。
お前らがメギをブッ壊したから、あんな風に狂っちまったんだろうが。
「――悪魔の子よ。最期にお前の主が残した言葉を聞くがいい」
大斧を持った老人が、断頭台の前で俺に教えてくれた。
『私の夢、終わっちゃった』。
それがメギの最期の言葉なんだそうだ。
彼女の夢。
世界中の大人を殺して、子供が自由に暮らせる国を作ること。
「………そんなッ……そんなわけ、ねェだろ……! そんな意味の分からねぇ狂った夢が、お前の夢なわけねェだろうが……!」
初めて会った時からどうしようもなく狂っていて、終わっていて、何もかも間違いだらけで、行き詰まりの極致みたいな奴だった。
きっとこんな風にならない世界もあったはずだ。
だけど、そうはならかった。
ならなかったんだよな。
だから狂っていて、終わっていて、何もかも間違いだらけで、行き詰まりの極致なのはこの世界の方なのだと、俺はやっと理解した。
「お前、ずっとこんな狂った世界で夢を見てたんだな……」
そうか。
じゃあこんな狂った世界は、ブッ壊れちまった方がいい。
「お前のためには死ねなかったけどよ……せめてお前が狂った夢を見るような世界くらいはブッ壊してからそっちに行くよ……」
だが、俺はもうすぐ死ぬ。あの断頭台で、首を吹っ飛ばされておしまいだ。
分かっちゃいるが、悔しいな。虚しいな。
下らねぇ、本当に下らねぇ人生だった――と思った、その時。
「――素晴らしい。なんと情熱に満ち溢れた夢だろうか……」
大斧を持った老人の口調が一変した。静かで、穏やかで――全然似ていないはずなのに、まるでメギの喋り方に似ている。
なんて――なんて懐かしいんだろう。
「
「なんだ……なんだ、お前……」
「この世界は一度壊さねばならぬ。完膚なきまでに、徹底的に。これほど単純なことが中々――中々、理解されぬものだ。ああ、私は今とても気分がいい。これほどまでに同じ夢の持ち主と出会えたのだから!」
老人はそういうと大斧を放り捨て、すっと手を払うような仕草を見せた――次の瞬間、広場に集まっていた人間の首がすべて飛んだ。
平民、貴族、大人、子供、老婆、どんな奴も――平等に死んだ。
「いかん。つい高揚して、
「な……な……」
なんだ、コイツは。少なくとも、人ではない。
常識を超えた存在。メギなんか霞んじまうほどの、本当の化物。
それが今、俺の目の前に存在している。
「さぁ、行こう。私と一緒に世界を壊そうじゃないか」
それは俺に手を向けると、にこやかに微笑んだ。
「私と、そして君の夢を――二人で叶えてみようじゃないか!」
「ハッ、ハハハ……」
どうも、俺は死にかける度にとんでもない奴に拾われる運命にあるらしい。
だが、上等だ。
このクソ下らねェ世界を終わらせるなら、なんだってやってやる。
こんな狂った夢を見ちまうような世界なら、どんな手でも使ってブッ壊してやる――
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