益虫

獅子吼れお🦁Q eND A書籍化

益虫

夏の蒸し暑い日のことでした。

僕は友人(仮にAとします)の家で、もうひとりの友人の後輩(仮にBとします)と飲んでいました。

Aの部屋で、僕らは床に飲み物を置いて、たしか映画か何かを見ていたと思います。

「あ、クモだ」

Bが飲みきったグラスを床においたとき、小さな蜘蛛を見つけました。ハエトリグモと呼ばれる種類でした。

「おれクモ嫌いなんすよね」

Bは蜘蛛を払いのけようとするが、酒に酔っていてうまくいかないようでした。さっきも虫が入ってきたと言うので、窓を閉めたところでした。

「やめなよ、クモは益虫っていうだろ。ゴキブリの卵とか食うんだって」

「えー」

僕がそう言うと、Aがうなずきます。

「そうだな、うちゴキブリ出たことないし」

「こんだけ片付いてりゃなあ。部屋、前来たときはめちゃくちゃ散らかってたのに。彼女でもできたんすか?」

Bがにやついて聞くと、Aは複雑そうな顔をした。

「……うーん、わかんないんだよな」

「は?わかんないってなんだよ」

僕はAに問いただします。別に彼女ができたなら、そう言えばいいのに、と思いながら、チューハイを煽りました。

「変な隠し方しないでくださいよぉ。どんなコなんすか?」

Bは相変わらずにやついて、グラスを思い切り煽ってビールを飲み干しました。

「いや、マジでわかんないんだよ。見たことないの」

「え?ネット恋愛とか?」

「そうじゃなくて、なんて言えばいいかな……ああもう、部屋暑いな」

Aは相変わらず端切れが悪い。普段の大雑把な彼には、珍しい表情でした。


「……ちょっと前から、家帰ったら部屋が片付いてたりとか。つけっぱなしだった電気が消えてたりとか。するんだよね」

生ぬるい風が、窓から入り込みました。


「え、なんすかそれ」

「誰か入り込んでるんじゃないの?ストーカーとか?」

「いやあ、盗られるどころか、勝手に小銭が増えてたりとかして」

Bが、さすがに話を遮ります。

「いやいやいや、そんなんありえないでしょ。おかしいでしょそれ」

Aは頭をかきながら、いつもどおりの鷹揚さで答えました。

「おかしいけどさあ。いいことだらけだし、正直助かっててさ。気味悪いどころか、愛着湧いてきちゃって。最近、お礼言ったり、お菓子を置いといたりするんだよね」

確かに、さっき見た蜘蛛みたいに、自分の利益になるなら、小さな『同居人』を歓迎することもあるでしょう。でも、これは明らかに異常でした。

「で、でも、この前来たときはめっちゃ散らかってましたよね。いつもってわけじゃ、ないんですよね?」

Bは額に汗を浮かべながら、ビールを流し込んだ。

「ああ、それな。なんかなあ、1ヶ月か2ヶ月ぐらい、なんにもなかった時があって。今は、もう戻ってきてる」

ぞわ、と背筋が冷たくなりました。

「ただなあ」

Aは、のんきにそう続けました。


「最近、ちょっと困ってんのよ。床に置いといたものが倒れてたり、なんか臭うことがあったりしてさ。なあ、なんだとおもう?」


ビールのグラスが、ごと、と音をたてて倒れました。

結露したグラスの表面には、小さな手のような跡が、くっきりと残っていたのです。


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