【一】旅立ち1

 それは寒さも峠に差し掛かった季節のことであった。


 午前中の稽古が終わり、皆が集まった昼食の席で近藤が何の脈絡もなくぽつりと呟いた言葉に、沈黙が辺りを支配した。


「浪士組に加わろうと思う」 


 この場に近藤がこの度新設される浪士組のことを気に掛けていることを知らなかった者はいない。さらにいえば、もし近藤が参加の意を示せば、行動を共にすること決意していた者も多かった。


 けれどこうも突然話を切り出されたら言葉に詰まるのは当然のことである。


 この案件はこのような場で軽々しく言葉にするものではない。けれどその中で、総司だけは違う意味で困惑していた。


 総司は唯一人、近藤が浪士組に加わることに反対だったのだ。


「もうそれは決心したことなんですか……」


 声を縛り出すように総司は問い掛けた。


 この場で反対の本当の理由を言えたら、どんなによかっただろう。けれども、その言葉を口にしたところで近藤の決意が変わらないことは、総司自身が一番よく理解している。近藤は一度決めたことはなんとしてもやり通す男だ。


「なんだ、総司は反対なのか?」


「僕は嫌な予感がするんです」


 近藤の顔を真正面から見すえることができず、総司はうつむいた。


 隣に座っていた原田がその顔を覗き込み、からからと笑う。


「おい、総司、何行く前から怖気づいてんだよ」


(怖気づいている? 確かに僕は怖い)


「総司、何も皆についてこいと言っているわけじゃないんだぞ。来たくないなら来たくないでそれでいいんだ」


「違います。近藤先生とはご一緒します。でも……」


(待っているのは死だ……)


 それは時の旅人だから知っている事実だ。歴史に定められた運命のことを思い唇を噛みしめる。


 これを許せば、後々近藤は死ぬことになるだろう。こうなることは知っていたけれど、まだ気持ちの整理が付けきれずにいた自分が憎らしい。


 けれど総司には、近藤達との決別など考えられるはずもない。


 だからこそ、どうしても、気持ちの整理を付ける時間が欲しいかった。感情を悟られないように、全身に力を込めた状態で、総司は立ち上がった。その拍子に、椀がひっくり返り、まだ中に残っていた味噌汁がこぼれたが、総司には気にする余裕などない。


「お、おい、総司、どこ行くんだ?」


 隣の席についていた土方が総司の動きに沈黙を破る。それに、総司は振り返ることなく答えた。


「姉上のところへ……。少し考える時間をください」


 総司には、それだけ言うのがやっとであった。誰かが止める暇も与えず、総司は木製の引き戸を力任せに閉めた。そして総司を追って近藤が戸をあけた時、そこにから既に総司の姿は消え去っていた。


 それは、ほんの数秒の出来事であった。




 稲刈りが終わり閑散とした多摩の田舎道を走りぬけていく総司の姿が目撃されたのは、それから数刻後の日暮れ時のことである。


「ただいま、奈都さん」


 総司が馴染んだ家の勝手口から顔を覗かせると、米を研いでいる齢二十五前後の女性の姿があった。彼女の家は、本来なら道場から半刻くらいのところに位置している。だが、総司が昼過ぎに道場を飛び出したことなど知らない彼女は、何も知らず、弟の声に手を止めた。


「あら、お帰りなさい。でも、総ちゃん、此処では姉上って呼びなさいっていつも言ってるでしょ」


 だが視界に捉えた総司の姿に、その穏やかな表情も一瞬にして変わる。


 総司が身につけていたのは薄汚れた浅葱色の羽織。その羽織は現在ここではない、未来のものだ。


「蒼矢、あなた……」


 思わず真名を呼ぶほど動揺し青褪めた奈都を見て、総司は居心地悪そうに頭を掻く。


「姉上には、やっぱり何でも御見通しだね」


「伊達に二百年生きていないわ。でも、仕方のない子、また、あの時代に行ってきたのね」


 全てを察した奈都の呟きに総司の肩がびくんっと震える。それを見かねて、奈都は総司を抱き寄せた。


「何度行っても同じ。私達は時代を変えることはできない。それが、時の旅人の掟なのよ」


 そう言って奈都は、総司の肩を抱く腕に力を込める。総司はそれを甘んじて受け入れた。


 けれど総司は、悲しみを押し殺したような声でただ一言、「それでも、僕はもう大切な人を失いたくはない」と言う。過去を思い出して、総司はその思いを言葉にせずには居られなかった。


 その言葉は総司が過去に失ったものの大きさと同時に、新たに手に入れた世界がどれだけ大切であるかも現していた。総司は、新たな世界を与えた近藤との出会いを思い出しながら、姉の胸の中でそっと目を閉じた。瞼の裏には、今でも近藤と出会った日のことが焼きついている。


 嘉永5年。


 それが蒼矢が沖田総司の名を得て、近藤と出会った年だった。

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