第42話 好きなことはなにかしら?
てっきり、パン焼き魔法陣は紙に描かれているものだと花は思っていた。
だから、木材と金属を使って作られた複雑な装置の前に連れて行かれた時は心が躍った。
珍しい、心の籠った作品。
だれかのために作られた一品。
〈非常に緻密な作りです。彫り込まれた魔法陣だけでなく、絡繰りの作りが魔法陣同士の効果に影響を与えるように制作されています。
偽装の魔法陣は組み込まれていませんが、再現には相当の技術を要するでしょう〉
「こういうのを探してたのよね」
「えっ?」
ドーレスはうれしさにぽっと頬を染めた。
からくりに直接彫り込む魔法陣の開発は、貴族の令嬢にふさわしい研究分野とは言えない。
今まで、女性だなんてもったいない、と言われるか、もっと将来を考えて研究しなさい、と言われるばかりだった。
ドーレスは、初めて見る絡繰りに興味津々の、花の純粋な瞳を横から見つめた。
そうすると、この人は本当に自分の作品を見てくれているのだ、ということが実感できたからだ。
「ごめんなさい、私はあまり魔法陣には詳しくないけど、ドーレス様がこの作品に真摯に取り組んだのが、なんとなく伝わってきて……」
「うれしいわ。むこう20年は、このパンつくりの魔法陣に力を入れようと思っていてよ。ようやくひとつ形になったところなの」
「長いのね」
「いいえ、あっという間だわ、ハンナ。きっとあなたにもわかる日が来てよ」
20年、花にとっては途方もない時間に思えた。25歳でここまで練り上げたとしても、作り終わるころには45歳になっている。
売り出すことも考えたら、普通の人にとってはほとんど半生を費やすくらいだ。
花はまだ、自分の魔術師という属性に馴染み切れないでいた。
「ハンナは、入学して何か研究したいことがおありかしら」
花は、うーん、と唸った。
〈入学すれば、早々に研究分野を決めなくてはいけませんよ、マスター。今から考えておかなくては〉
シラーには以前から何度か指摘されていたことだった。
「研究っていうのはあまりピンときていなくて」
花が学院についてそれほど積極的に調べなかったのも、それが理由だった。花は、学院に行くのはあくまで認定魔術師となるため、と考えていたのだ。
「それなら、好きなことはなにかしら?」
「好きなこと、は、珍しいもの、特別なものを見つけることかな。それを見つけた私も特別になれた気がするの。そして、それを大事にしてくれる他の人に渡すこと」
ドーレスは不思議そうに花のことを見つめた。魔術学院での研究と言えば魔法陣。だから、みんな自分の興味のある分野の魔法陣について学ぼうとする。
「珍しいものって言えば、霊峰の研究なのかしら。あまりメジャーなところではないけれど、歴史ある研究分野だわね」
「霊峰……」
花は願いをかなえるジャム瓶のことを思い出した。霊峰の摩訶不思議な品物を大事にしてくれる人、本当に必要な人を探す。
それは、雑貨を買い付けて店舗に並べるより、もっとずっと難しいことのように思えた。
「ドーレス様」
「なにかしら」
「私には、ドーレス様のこのパン作りの絡繰りも、とても特別に思えるの。ドーレス様とは、まだ少ししか話していないのに。だから、ドーレス様の作品を本当に必要として、大切にしてくれる人の手に渡ればいいなと思うわ」
ドーレスは花の口説き文句に咳ばらいをした。
「お世辞がお上手なのね」
「お世辞じゃないわ、本当よ。私は、そういう一期一会のお手伝いがしたい。霊峰を研究すれば、審美眼が養えるかしら?」
”お手伝い”
以前はうまくできなかった、自信がないのを隠したかった。花は自分の目標を冗談めかして言うと、くすくす笑った。
一方、ドーレスは自分のこれまでの努力が認められた気がして、高鳴る胸を鎮めるのに必死だ。
だから、ドーレスあえて花の話をすることにした。
「きっとできてよ。それにあなたの魔力、凄いんだから。はた目にも分かるのだわ。もう少し抑えた方がいいのではなくて?」
「えっ、分かるものなの、そういうの」
「慣れればすぐに分かってよ。ねえ、ねえ、少しだけだけれど、抑え方を教えて差し上げるわ。だから、明後日また会えないかしら?」
花は特別予定がないので、一にも二にもなく頷いた。
それから、まっくらの倉庫のことを思い出す。異世界に来た今、日本でかき集めた品々はこの上なく”珍しい”品と言えた。
「お礼を持ってきてもいい? 迷惑じゃなければ」
「迷惑なんてことなくてよ。ええ、もちろん、とっても楽しみ。あ、だけど、お母様は少し厳しいから、お母様には内緒で……」
花は子供っぽい申し出にくすくすと笑った。そういえば、ドーレスも花とそれほど違わない年齢のようには見えるが、何歳なのだろう。
魔術師は若い姿を長く保つらしいから、皆目見当もつかない。
「お母様には私から言っておくわ。また手紙を送るわね。学院のことや魔術のこと、わからないことがあったらなんでも聞いて頂戴な」
そうだ、日が落ちる前に帰らなくては。花はシラーのアラームを耳にして、ドーレスに礼を述べると、帰路につくことにした。
次の訪問までにやっておくこと、気になることがたくさんできてしまった。花は人目を盗んでシラーに囁きかけ、足取り軽く屋敷を後にする。
浮き上がり歌うたう花の心とは裏腹に、伯爵家の一角にある陰気な扉は、奇妙なほど静まり返っていた。
かた、こと。
その奥の気配に気が付いたのは、シラーの
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