第41話 完璧です

「いらっしゃい、ハンナさん。ようこそわたくしの研究室へ」


 整頓された室内、清潔に保たれた大きな机のそばに彼女は立っていた。ドーレス・ロッテンブルク、ロッテンブルク伯爵家の令嬢である。


 癖のある金色の長髪を高い位置で結んでいるので、彼女が花の方を振り返った時にふわふわと揺れた。


「はじめまして、ハンナ・コーエンと申します」


 両手はドレスの上、膝を折って花はお辞儀をした。二度目なので、先程よりは上手くできた気がした。


〈完璧です〉


 シラーが囁いた。


「お嬢様、お客様をお連れしました。ハンナ様、こちらが私のお仕えするお嬢様です」

「ドーレスです、よろしくお願いしますわね」


 ドーレスは黄色い瞳で微笑んで、二人の方へ歩み寄った。

 そのまま彼女はコリンナへ目配せをし、花を一人がけのソファに誘った。


 部屋の中央にあったのは無骨なつくりのいかにも作業用らしい机だった。しかし、この上品な一人がけのソファの間にあるのは、華奢な足のテーブルだ。


「今日はお招きいただいてありがとうございます」


 ドーレスは親しみやすい声で答えた。


「そう畏まらないでちょうだいな。もうすぐ同じ学院に通うんだから」

「はい」


 花はまだ少し緊張していた。


「お礼を言いたい、とも思っていたんだけど、魔術学院に通うと聞いたので、お客様としてお呼びしようかと」


 コリンナがやって来て、小さな机の上に紅茶を用意する。コリンナは注ぎ終えると、花の方へむいてウインクした。花は思わず微笑んだ。


「ありがとうございます。呼んでいただけて嬉しいです」

「ああ、もう、肩の力を抜いて、もっと楽にしてったら」

「わかった、わ」


 花の返答に満足して、ドーレスはにっこり笑った。


「学院の事はどなたからか聞いていて?」

「いえ、あまり……入学案内も持っていなくて」

「入学案内? そういったものはアカヴィディアには無いのよね。大抵は支援者の伝手で入学の用意しているのよ」


 花は少し俯いた。花には学院に入るための支援者と呼べる人は居なかった。


「支援者にはなれないけれど、同じ認定魔術師を目指す生徒として、分からないことがあったらなんでも聞いてちょうだいね」

「ありがとう、何を持っていけばいいかも分からなくて困ってたの」

「嬉しい、なんだか妹がもう一人できたみたいです!」

「もう一人」


 花はドーレスの視線を追った。窓際、ぬいぐるみが幾つか日当たりのいい所に置いてある。


「あまり、わたくしは好かれていないの、でも妹がいるのよ。ブルーの瞳が綺麗な、手先が器用な子なの」

「妹さんの事が好きなのね」

「ええ、何だかほっとけなくて。いつか一緒にピクニックにでもいきたいわ」


 遠くにいるの? と聞こうとした花の前に、わざとらしく会話を遮るように茶菓子がサーブされた。コリンナだ。


 コリンナは何事かをドーレスに囁いた。花には聞こえなかったが、ドーレスは少し表情を曇らせて、学院についての話に戻った。


「教授が15人ほど在籍していてね。半年くらいの間は課題をこなしながら、自分の師事する教授を決めるのよ。もちろん途中でも変えることはできるわ」


「生徒は何人くらいいるの?」


「そうね、100人くらいだったと思うわ。毎年、10数人入学して、長い人は10年くらい学院にいるの」


「10年!? 学費が凄いことになるんじゃ……」


「そうね、最初の3年は、卒業後1年間国に奉仕することで学費が免除されるわよ。その後は確かに高いと思うわ、大抵長居するのは貴族の後援を持った方ね。なんでも、学院生と繋がりを持つためにいるとも聞いたわ」


「そんな事許されるの? 卒業要件が揃ったら卒業しないといけない訳ではないんですか?」


「魔術師も政治と無縁じゃいられないのだわ。わたくしのような者も、避けられないのだけれど……得意ではないから」


 花は少しドーレスに親近感を覚えた。


「私もだわ、そんな駆け引き上手く出来そうもないもの」


「大丈夫よ、本来は研究をする場所だもの。駆け引きが出来なくたって、なんとかなるわよ」


「そうだといいのだけれど」


 ドーレスは紅茶のカップを置くと少し身を乗り出した。


「ねえ、また来てくれるかしら? 学院の事を話せる相手が外には居なくて。仲のいい子は留学に行ってしまったの」


 ドーレスは黄金の瞳をきらきらと輝かせた。まだまだ話したいことがあるようだ。


「もちろん、私も気になることが色々あるもの。また是非教えてほしいわ」


「ええ、じゃあ今日、もう少しお時間ちょうだいするわね。実は以前に食べていただいたパンを作る魔法陣を少し改良したから見ていただきたくって」


「魔法陣には詳しくないけど、それでもよければ」


〈私が解析します、マスター〉


「あ、シラー…ありがとう」


 ドーレスが首を傾げた。

 花は苦笑いで誤魔化し、そのまま素直に頷いた。


「魔法陣は機密じゃないんですか?」

「いいえ、この魔法陣はそのうち売り出すつもりなの」


〈魔法陣の秘密を漏らした魔術師は認定を取り消されるどころか、厳重な牢に投獄されます〉


(しないわよ、漏洩なんて……)


「こほん、それじゃあ、いいコメントができるかは分からないけれど。よろしくお願いするわ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る