第30話 それじゃあ行くわよ
〈マスター、遺産継承時の札によるマスター魔力の推定値から類推すると、十分可能な範囲です〉
ふらりと入った例の店の前で花は薄汚れて文字の読めない看板を見上げていた。
「なるほどね。よかった、不慣れだから大丈夫か分からなかったけど、一応できるのね」
〈店主に伝えますか?〉
「ううん、今じゃないかな」
花は首を振った。そして、改めて店に目を向けてみる。看板は汚れているが、光の反射でちらちらと魔法陣が光って見えた。
「あ、もしかして発光の魔法陣かしら? ほかのも含めて、意味のわかるのはほとんどないけど、どうしてこれだけわかるのかしらね」
ほかの店の看板と違って、この店の看板に仕掛けられた魔法陣は作動していない。店全体に静かで、暗い雰囲気があった。
〈ノイマンの魔法陣のうちのひとつだからです。通常、魔法陣の特に重要な部分は読み取れないよう隠蔽の為の図式が組み込まれています〉
花はほかの店の看板の魔法陣も読み取ろうと目を凝らした。しかし、ものによっては発光の魔法陣と同じ部分がある所が分かるくらいで、詳しいことは分からなかった。
「うーん、そういうのを学ぶのはまだまだ先ね。この魔法陣を特定するのにもなかなか時間がかかったわ」
〈3分47秒でした〉
はいはい、と肩をすくめる。花は店先を離れて、ハウプト・スクロールを探し始めた。
「目的地はすぐそこですって言ってなかった?」
〈それが、20年前のことなので……。適宜データのアップデートを行っていますが、移転の情報は未取得でした〉
「まあ、しょうがないか。それじゃあ行きましょ」
そう言って花が適当に歩き出すと早々に、シラーが経路案内を始めた。
周囲をスキャンしながらにはなるが、なかなかの性能のようである。魔術波、花にとっては未知のものだが、思ったより柔軟なのかもしれない。人々の会話以外の情報からも、ハウプト・スクロールの移転先は計算されている。
〈次の曲がり角を右折です。20メートル進んだ右手に目的地があります〉
花は右に並んだ店の看板と店構えを順番に確認しながらあるいた。やがて、「スクロール」とだけ書かれた素朴な看板を見つける。その看板が掲げられた門は焦げ茶の木材でできたものだ。
雰囲気としては、先程の翁の店に似ていることがある。違うことといえば、路面にまでしっかり建物で埋まっている周囲の店に対して、この店にはポーチが用意されているところだ。
それも、門から少し歩いてから建物に入ることができるように。
〈マスター、この先から魔術波への障害が確認されました、中の様子はスキャンできません〉
「ありがとう、でも大丈夫よ。戦地に赴く訳じゃないから、中に何人居るか知ってる必要がないもの」
花はあくまで楽観的に捉えてそういった。シラーはスキャンについて諦めたようだった。
「それじゃあ行くわよ」
花は軽い門を開いて中へ入ることにした。直前、シラーが「通信……途絶の可……」と何事か言ったようだった。しかし、花が聞き返そうとした時には、もうシラーの返事は聞こえて来ることがなかった。
「シラー?」
花は不安げに耳の後に触れてみたが、シラーはうんともすんとも言わなかった。
後ろを振り返ってみたら不思議と、先程入ったばかりの門ははるか遠くに見えた。 そして地面は、真っ白だった。
真っ直ぐな道もふわふわの雲のような見た目をしている。この世界に魔法があると思わなかったら、このまま落ちるのではないかというほど。
「シラー? もしもし?」
花は慎重にゆっくり足を踏み出した。不思議と、パンプスが地面を打つ、カツンカツンという音が響く。雲でできた道には不似合いな音だ。
シラーと、音声通話が繋がらない。それが、こんなに不安になることだとは思いにも寄らなかった。
「聞こえるだけ、聞こえてたりしないのかしら。聞こえないふりとか……人工知能がそんなことするわけない、か」
目の前、ずっと向こうには黄金の扉がみえている。黄金の扉、なんて趣味の悪いギラギラした扉なんだ。花は辟易したが、さして外からはそう見えなかったのだが、仕方ない。
フワフワした雲の道を、履きなれた靴でカツンカツンと進んでいく。手には先程の店で貰ったメモがあった。
雲の道を進んで、赤い花を咲かせる低木が見つかったら、黄金の扉を無視して右折。そのまま歩くと黄色の落ち葉に囲まれた看板がある。
看板の矢印と反対向きに歩いて5つ数えたらおしまい。
メモどおりに進み、数を数える。
「3、4、5」
目の前に白の塗料で塗装された木製の扉が現れた。外のとは別の小さな看板もある。
”ハウプト・スクロール”
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