リューバッハ市郊外
コレクション1 Smart&Luxury AIシラー
第1話 こんにちは、AIシラーです
ストレスってやつはいつだって財布の紐を緩めさせるんだ。
それは
『もしもし、お昼休み中にすみません。高遠様のお電話でお間違いないでしょうか。
この度はスマートライフコーディネーター・ラグジュアリーコンシェルジュ AIシラーのご購入ありがとうございます。機器の設置に伺う日程ですが、土日はしばらく予定が埋まっておりまして……』
花はつけっぱなしのテレビで始まった昼ドラを遠目で見ながら返事をした。
「いいですいいです。平日いつでも家に居ますんで」
「あ、そうですか! じゃあ明日か、最短ですと今日の15時30分以降にお伺いできますが」
電話口の相手の声には喜色が混じったが、花は全く別のことを考えていた。
(あーあ、離職票早く届かないかな)
「じゃあ今日の15時30分で」
「ありがとうございます。また担当者からご連絡させていただきます」
花は電話を切ると同時に、冷蔵庫の扉も閉めた。自由の身一日目はチューハイとともに始めるのだ。
ハンガーにかかったスーツが少し傾いている。このままだとへんな型がついてしまいそうだが、今の花には関係のないことだった。
酒を飲んでドラマを見ているだけだというのに、15時30分はあっという間にやってきた。
作業着の男女が何人か玄関先にやってきて、納品書を見せてくる。明細にはたくさんの機器の名前があった。しかし、花には「これがコアです」と指さされた一番大きなマシンがきっと一番大事なのだろうということくらいしかわからない。
AIシラーはどんどん運び込まれ、とうとう6.5帖の部屋をまるまる占拠してしまった。花は感嘆のため息を吐く。
スパコン小型化とか大騒ぎしてたけど、相変わらず大きいんだな、パソコンって。辺鄙な地方のマンション住まいでよかった、都心ではこうはいかないから、と。
彼らは基本的な解説(あまり頭に入っていない)をした後、簡単なセットアップを済ませてしまう。そしてものすごく分厚い説明書と名刺を置いて帰って行った。
〈セットアップ完了。こんにちは、AIシラーです〉
中性的かつ肉声的な機械音声が響いた。
〈私の名前は、Smart&LuxaryのSとY、上流階級を意味するrahを合わせて作られました〉
花はAIのデフォルトの自己紹介を聞きながら、飲み終えたチューハイ缶をポイとゴミ箱に投げ入れた。ナイスシュート。
〈また、Syrahはフランスのワイン御三家の一つ、コート・デュ・ローヌ地方の赤ワイン用ブドウ品種の名前でもあります。シラーをブレンドした赤ワインのように華やかな毎日をお約束します〉
「ありがとう」
AIが一般的になっているとはいえ、シラーほどの性能のAIにはなかなかお目にかかれない。花は緊張気味に返事をした。
〈礼には及びません。よろしければご自宅の電子機器と接続し、マスターの生活に最適化します。声紋認証済のため、一部の生体情報を取得しセキュリティの構築を行うこともできます>
「えーっと、オーケー? よろしく?」
〈同意いただける場合は、
「じゃあ、
コアマシンの光のリングが「起こさないで」に反応してクルクルと回った。
花は酒が入ったせいか眠たくなっていた。このややこしい、貯金10年分のAIのことはまた起きてから調べよう。
今は生理的な欲求にこたえる方が重要だ。
〈アラーム機能をオフにしました。おやすみなさい、マスター〉
「おやすみ、シラー」
そうして眠りについた花は、この人工知能・シラーのことをちょっとしたAIだとしか思っていなかった。つまり、本当にちゃんと分かってはいなかった。
にもかかわらず、電子機器に接続試行中のシラーは、
[魔術師グリューネヴァルトの異次元不可逆単方向魔法陣、接続完了。セキュリティファイアーウォール異常なし。転送開始]
花の部屋はたちまち魔力で満たされ、不気味な真っ白の光に包まれていく。
[転送先の情報を確認、魔法陣に付帯するローカライズ機能により最適化が可能]
シラーのコアマシンのリングが様々な色に表情を変えながら魔術的機械処理を実行していく。
[管理者の承認が必要です]
間違いなくこの承認は最後のチャンスだった。
[
けれど、起きていたとして、この不思議な魔法陣を無視できただろうか?
[完了しました。転送された一名の魔術師の生体情報を更新しました。術式完成により、魔法陣の情報が消去されます]
[3、2、1]
[すべての転送が正常に終了しました]
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