どこかで出会ったアナタ
とっぷりと日が暮れた20時過ぎ。
私は当てもなく、訳もなく歩きまわっていた。車のハイビームがアスファルトを照らしてチカチカ光が散っている。それをぼんやりと眺めながら物思いに耽っていた。
……夜遅く歩き回ってるのに、真夜ちゃんの親からは何の連絡も来ない。私の両親ならスマホに鬼電するはずなのに……
歩道橋の上から、その下を行き交いしている車の群れを眺める。ぼんやりとそれを見つめ、ため息を吐き出す。
自分が望んだことなのに、早くも私はこの世界が息苦しくなってきた。元の世界でも居心地悪さを感じたことがあるけど、それとは比べ物にならない謎の閉塞感があった。
「──なぁ、そんなに身を乗り出したら落ちるぜ」
背後から掛けられた声にハッとした。
私は無意識に歩道橋の欄干に足をかけていたらしい。えっ? なに怖い。死ぬとかそんな事考えてなかったのにどうして……
慌てて、ぱぱっと安全地帯に戻ると声を掛けてきた相手と向き合った。そこにいたのは真夜ちゃんと同じ高校に通う男子生徒の姿。
──はじめて話した相手だが、私は何故かその人の顔を知っている気がした。歩道橋に設置された灯りや、その辺の街灯、車のライトで照らされる彼は見た目派手そうな人だった。普段の私なら決してお関わり合いにならないタイプの……
「…お前さ、腹減ってねぇ?」
問いかけられた私はお腹を意識した。
…そういえば、お昼以降何も食べていない。気が抜けたお腹がぐぅ、と空腹を訴えていた。
「ん」
「……ありがとうございます」
その人はコンビニでドーナツとカフェオレを奢ってくれた。ドーナツを頬張ると、その甘くて優しい味に目元がじんわりと熱くなった。
「なにがあったか知らねぇけどさ、死んでも、お前が憎む奴らは後悔しないし、すぐに忘れ去っちまうだけだぞ」
どうやら彼は私が自ら命を捨てようとしていたように見えたらしい。違いますけど。
「別に、死ぬつもりは」
「ウソつけ。思いつめた顔して歩道橋の手すりを乗り上がろうとしていたくせに」
駄目だ。私の方に説得力がなさすぎる。
……だけど、一瞬ここから落ちて死ねば、元の世界に戻れるのかなって思ったのは確かである。
「……」
私が沈黙したことで、勝手に状況を把握したらしい彼は、隣で大きなため息を吐き出していた。
「大体、居場所なんか自分で作ればいいんだよ、悩んでるのはなんだ。友達か? 親か?」
そんな簡単なことじゃないんだ。
友達も親も悩みの種だが、元々ここは私の世界じゃないのだ。居場所なんて、どこにもないんだよ。
私は唇を噛み締めて涙を流した。
この世界は確かに私が望んだ世界だ。お金には困らない。望めば好きな進路にも進ませてもらえるだろう。必要以上のお小遣いをもらえているので、欲しい物だってなんでも手に入った。
──だけどそこにはあたたかさがない。
「……ここは、私のいる世界じゃないの」
「…大丈夫か? なんか悲劇のヒロイン気分に浸ってない?」
私は真剣に言っているのに、相手はおちょくるような言葉を返してくる。
私は真面目に言っているのに…!
「私は鏡の向こうからこの世界にやってきたの!」
怒鳴るようにして叫ぶと、隣に座っていた彼は食べかけのドーナツを咥えたまま固まっていた。
「幼い頃から私には鏡の中に友達がいた。真夜ちゃんって言うの。彼女は私と同じ顔をしているのに、全てが正反対だった。私は従姉妹のお古の洋服ばかり与えられていたのに、鏡の向こうの彼女は新品の高そうな可愛い洋服ばかり買ってもらっていた。お金にも物にも不自由しなくて、進学先だって思うがまま。私はそんな彼女が羨ましかったの」
初対面の人間に何を言っているんだと自分でも思った。だけど一度口から出てきたら止まらなかった。誰でもいい。私の中の苦しみを理解して欲しいと思ったのだ。
案の定、ドーナツから口を離した彼はドン引きした顔をしていた。
「頭大丈夫?」
「私は正気だよ! 私は真夜ちゃんに引き込まれて彼女と入れ替わるようにしてこの世界にやってきたの! 今私の周りにいるのは、私の本当の親じゃないし、友達でもない。私はこの世界に存在しない人間なの。…だから、この世界で死ねば、この悪夢から逃れるんじゃないかって」
思った。
そう呟くと、目の前の彼は憮然とした表情をしていた。
あぁ本当に何を言っているんだろう。彼に言っても何も変わらないのに。こんなこと言っても元には戻らない。
だって私の世界にいる真夜ちゃんにお願いしても戻してくれないのだもの。
「私が望んでいたはずの世界は、こんな世界じゃない。私は」
「…そんな風に言って、ただ構ってほしいだけじゃないの? 流石にうざいよ?」
突き放すような言い方をされた私はカッとなった。
違うし! なんでそうなるの!?
腹を立てた私は彼の腕を掴むと「ついてきて!」と怒鳴った。
構ってちゃんとか悲劇のヒロイン気取りとかズケズケと…! 私は頭の弱い女じゃないんだ! 本当に悩んでるんだよ!
鏡の中にいる真夜ちゃんとの会話を見せたらきっと信じるはずだ。そう思って真夜ちゃんの家につれていくと、彼が戸惑った様子で中に入るのをためらっていた。
「いや、ちょっとまずいだろ」
「大丈夫です。ここの家の人は不倫相手の家に泊まりっきりですから」
今現在、私は実質この豪華な家に一人暮らししている状態なのだ。だから問題ない。
何なのだ見た目チャラ男のくせに純情ボーイみたいな素振りで…別に取って喰いやしないんだ。心配するな。
私が力任せに家に引きずり込むと、情けない声で「おいおい家に男連れ込むなよ…」とぼやいていた。綺麗に無視してやったけども。
女の子らしく、色んなものに溢れた真夜ちゃんの部屋の扉を開けて彼を押し込むと、彼は居心地悪そうにソワソワしていた。
私はそれに構わず、彼に鏡の死角にいるように指示した。そして絶対に声を出さぬようにと。鏡の中の真夜ちゃんと交信するからそこで黙って見ているように言うと、彼は煮え切らない表情をしつつ、黙って突っ立っていた。
「そこのベッドに座っててもいいよ?」
「いや、女の子のベッドに座れるわけがないだろ」
……見た目に反して紳士なのだろうか。
お姫様専用のようなドレッサーの三面鏡を開いてみせると、いつもやっていたように、鏡の中をじっと見つめた。
そうしているといつも真夜ちゃんは応えてくれるのだ。自分の顔が映っていたのが、徐々に私であって私ではない表情に移り変わる。
『どうしたの? ひなた。怖い顔しちゃって』
「…真夜ちゃん」
死角にいた彼は鏡の中の真夜ちゃんの顔が見えたのだろう。私が発した声じゃない声が鏡の中から聞こえたことに目を丸くして固まっていた。
彼の存在が真夜ちゃんにバレぬよう、真夜ちゃんに話しかけた。
「…ずっと、真夜ちゃんのスマホに知らない男の人から連絡が来るんだ。それに、今日は学校の正門前で待ち伏せもされた」
『ひなた彼氏欲しがっていたでしょ? あたしの代わりに遊んでもいいのよ?』
──真夜ちゃんは、もしかしたら私のことが嫌いなのだろうか。
鏡の中に入ってからずっとそうだ。そんな風に私をいじめるような発言をする。
「やだよ! あんな下心ミエミエの人なんか!」
『ひなたっておこちゃまよね。本当に高校生? 男なんてヤる事しか考えてないんだよ? ひなたが考えるようなふわふわした男女交際なんて少女漫画上の話だけ』
くすっと笑う真夜ちゃんは私と同じ顔なのに、全くの別人に見えた。こんな意地悪を言う子だったっけ? それが悲しくなって私の声が震えていく。
「真夜ちゃん、お願い。もとに戻して。私の居場所を返して」
『──どうして? ひなたはずっと私を羨んでいたじゃない。ずっと望んでいたでしょ? お金に不自由しない世界を』
「そうだけど…!」
こんな冷たい世界だとは思わなかったんだ。それに私は……
『ひなたーご飯だよー』
鏡の向こうの更に向こうから、ずっと恋しかったお母さんの声が聞こえた。
『はぁい、すぐに行くねー』
嬉しそうに笑う真夜ちゃんが立ち上がった。
「お母さん! ひなたは私だよ!」
鏡の向こうの奥の方。きっと部屋の外からお母さんが遅めの夕飯を告げに来たのであろう。いつもの風景が恋しくて、お母さんに気づいてほしくて、私は鏡にしがみついて叫んだ。感情が溢れて頬を涙が流れる。
「お母さん! 気づいて、私はここにいる!」
必死に叫んだ。必死にお母さんに呼びかけた。だけどその声は届かない。
真夜ちゃんが三面鏡の扉を閉ざそうと腕を動かす。
『あんたの声は聞こえないわ。──今はあたしがひなたよ』
真夜ちゃんは意地悪に笑うと、鏡を一方的に閉ざしてしまった。
「嫌だ! 真夜ちゃんお願い私をもとに戻して、ここは嫌なの、もうわがまま言わないから戻して…!」
叫びすぎて裏返る声。だけどその声はもう封じられてしまった。
私は自分の酷い泣き顔が映る鏡に額を付けて泣きじゃくった。そばに突っ立っている彼の存在を忘れて泣いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。