第8話 5月7日(日)

 土砂降りの雨の中、オフィスに赴いて端末を立ち上げてみたものの、何らかのレスポンスがあるはずもなく、世間は当たり前のようにゴールデンウィークを楽しんでいるらしい。受信ボックスを確かめても、Slackを立ち上げても、目ぼしい未読は見当たらない。

 椅子の背もたれにグッと体重を預け、モニターを付けっぱなしにしたまま目を閉じる。普段はラジオの音やら、電話のコールやらが聞こえてくるのに、今日は空気清浄機の音が微かに聞こえるだけ。窓の外から聞こえてくる雨の音、表通りを走る車の音が心地よく混ざり合う。

 目を閉じて、雨の音に耳を済ませる。音に誘われてゆったり船を漕いでいると、だんだん大きくなってくる足音が聞こえてきた。どうやら、誰かがドアの向こうで立ち止まったらしい。立ち止まった誰かはドアを開け、明かりをつけた。

「おお、哲朗くん」

 急な明るさに目を細めながら、身体を起こす。呼びかけられた哲朗はビクッとして、こちらを見た。

「何だ、社長か」

「何だとは、何だ」

 哲朗はヘラヘラ「すみません」と笑った。自分の席へ行って、端末を立ち上げる。

「ゴールデンウィークの最終日なのに、『こんなところ』で居眠りですか?」

「そういう君の方こそ、『こんなところ』に何の用だ? 一朗さんの祝勝会ぐらい、出たんだろうな」

「多選の地方議員なんて、一々祝ってられませんよ」

 端末が立ち上がると、哲朗は早速自分の作業に取りかかった。その口振りでは、この連休も実家には帰っていないようだ。例の練習動画には彼の妹の姿もあったから、あちらからは来ているようだが、明子さんからも特別にメッセージが飛んできている気配はない。

「何か、仕事頼んでたっけ?」

 彼はモニターを忙しそうに眺め、何度かマウスをクリックした。「いや、特にはなさそうですね」と、手にしたハードディスクを差し込んでいる。

「明日からまたしばらく来れそうにないんで、持ち出しちゃってもいいですか?」

「ああ、いいよ」

 どうせ、機密らしい機密も大してない。彼の出先で開かれて困るような資料、データも特にない。彼は手早くマウスを動かし、必要なデータを移していく。代わりに、Youtubeへの動画アップロードも進めているようだ。

「この間の、茨音はどうだった?」

「社長は見てないんですか?」

「現場にはいたんだけどね。本部でバタバタしてたからさ」

 彼は手元のハードディスクに手をやる。

「今ちょうど、その映像をアップロードしてますから、あとでまた見てください」

「え、もう編集も終わってんの?」

 哲朗は頷いた。

「ちゃんと、浪川瑞希の監督、編集で見応えある動画に仕上がってます」

 いつもの練習動画は撮ったままの映像だったけど、今回はしっかり手を加えたようだ。何やかんやで監督も急遽でステージに上らされたのに、事前にきっちり連携取って、過不足なく撮れたのだろうか。

「それは楽しみだな」

 哲朗は「今回のは、公開してもいいレベルです」と力強く頷いた。公開、は二の足を踏んでしまうけど、いい酒が飲めるかもしれない。

「どうだ、哲朗くん。この後、一杯行かないか?」

「すみません。この後、予定があって」

 彼は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。

「忙しいねぇ。さすがは、できる男」

 彼は「いえいえ、そんな」と言いながらも、満更でもなさそうな表情を浮かべている。頼もしくもあり、末恐ろしくもあり。前途洋々の若者を見守りながら、この後どうしようか、思いを馳せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る