電脳世界の叛逆者

氷村俍大

第1話 プロローグ

【プロローグ】

 人には意思があり、そして自己決定をして行動する。

 勿論、これは余りにも当然のことである。

 もしこれが当て嵌まらないのであるならば。それは奴隷の類であろう。

 しかし、本当に人は己の意思で行動しているのだろうか?

 ここで少し考えていただきたい。

 もし、人間に意思が存在せず何者かの操り人形として行動させられているのだとしたら。

 もし、何者かに仕組まれて運命の全てが決められた道筋なのだとしたら。

 それを知る術は誰も持ちえず、だれも知ることはできないだろう。

 しかし、その不条理に抗える存在がいるのならば——

 故に、世界が孕んだ欠陥の彼は思う。


 ——平民も貴族も国王さえも運命の奴隷ならばそんな世界など壊してしまえ、と


(起きて——少年)

 誰かにそんなことを言われた気がしたからだろうか。少年はゆっくりと眼を開けた

 季節は春も暮れに差し掛かり暖かな陽気も夏の暑さに塗り替えられつつあった。

 そんな父と王都へ農作物を売りに行った帰り。

「アンディ、王都はどうだった?」

「まぁそれなりに賑わってたよね。っていうかその質問ここに来るまでで何度目だよ」

 アンディ——と呼ばれた少年——アンドリュー=アインザックは本日何度目か忘れたその質問にまだどこか眠たそうに答えた。

「ハハ、まぁ良いじゃないか。減るもんじゃないし」

「……寧ろ増えてってんだよな」

 父とのやり取りに辟易したアンドリューはそう呟いた。

 父親はそんな素っ気ない態度をするまだ小さな十歳の息子の頭をわしゃわしゃと撫でる。

「そういえばなんか戦士っぽい人たちがいっぱいいたね。あと頭撫でるのやめて」

 そう言いながらアンドリューは子ども扱いする父の手を払う。

「ああ、あれはプレイヤーっていう人たちで物凄い強いんだ。普段は敵国と戦ったり、我々平民たちを魔獣から守ってくれたりしているんだ。しかも噂によると死んでも生き返るんだそうだ。まぁ噂だけどな」

「死んでも⁉」

 笑いながら話す父親を横にアンドリューは思わず声を裏返らせた。

「ていうか父さん、今回は結構稼げたほうなの?」

 あまりにも現実離れしたようなことを聞いたせいもあったのだろう。アンドリューは既に一度聞いた話に無意識に話題を逸らしていた。

「そうだな、今年は豊作だったからな。ただ今年雨期が短かったせいで、うちも含めて各地で水 不足が深刻でな、野菜と果物の成長が芳しくないんだ。まぁそれでもうちの村の地域には湧水があるからな。来週には十歳になるたって、まだ子供のお前が心配することじゃないからいっぱい食って早く大きくなれ」

 そうやって馬車を走らせながら父親とそんな他愛のない話をしたり、自分達の通る砂利を囲う風景を見たり、同じような話をしだす父に何度も「それさっきも聞いた」などと言ったりしていた。

 夏に近づき新緑が深まりつつある山の峠に至ると先ほどまで木々隠れて見えなかった夕日が顔を出すと同時に麓にある村——グレンズ村が見えた。

 グレンズ村は非常に小さく、人口も百人に満たないほどの村であるのだが、この辺りでは非常に高価で取引されると言われる薬草の特産地である。

「今日はあの村で——」

 休みをとるの?というアンドリューの言葉は目の前に広がる光景に遮られた。

「父さん、火だ!村が火事だよ!」

「そうか、じゃあ近くで野営にするか」

「は?この状況でなに言ってんだよ!助けに行くんだろ!」

 目の前で黒煙が昇っているにも関わらず余りにも冷淡で非情極まりない父親の声に思わずアンドリューは声を荒げた。

「どうしてだ」

 しかし、そんなアンドリューの声がまるで聞こえていないかのような声で父親は告げる。

「なぜって助けなきゃ村の人が死んじゃうだろ!」

「そうか。じゃあ父さんは——」

 この先に来る言葉を大好きな父親から聞きたくなかったからであろう。まだ父が話している途中であったがアンドリューは村へ駆け出していた。

 村に近づいてその村の異常性を帯びていることに気が付いた。

「悲鳴が……聞こえない?」

 村人が居なくなってしまったわけではない。だが、村人達は炎に近づかないだけで平然と外で話をしたり、なかにはまだ畑仕事をしていたりするのである。

「おい、あんた達何やってんだ!早く逃げないと村中に火が回るぞ!」

アンドリューは二人の村人に声をかけた。しかし、彼らはアンドリューの言葉耳を傾けない。

 その瞬間、先ほどまで楽しそうに話をしていた彼らの胸を大剣が貫く。

 その大剣は剣というにはあまりに大きく、アンドリューの身長ほどはあるのではないかと思わせるものだった。しかし、アンドリューがその剣の持ち主を見た瞬間、それは小さくなったのである。否、小さく見せられたのである、その男の大きさに。

 彼らを切り捨てたその男はまさしく筋骨隆々といった姿でアンドリューにはまるで全てを喰らい殺すためだけに生きているような猛獣かなにかのようにすら思えた。

 アンドリューは瞬間すぐ近くの家陰に隠れて身を潜めた。

 すると大剣を担いだ大男とは反対側もう一人の細見の男向かいから近づいてきた。

「おい、あと数どんくらいだよ、リーダー」

 普通ならば細身の男のほうがひ弱そうに見えていただろうが、その男は特別異質だった。

 大男を獣と表すならば、細身の男は空気。

 その男にはオーラも殺気も何も纏っていない、いやそのオーラが大男のモノより何倍も濃密でありながらもそれを上手く隠しているが、それでも隠しきれなかったものが漏れ出ているように思えた。

「もう少しだ。薬師以外のヤツは全部要らないから口動かすんじゃなくて早く殺れよ」

 アンドリューの身には分からないという恐怖が分かっている恐怖より、ずっと恐ろしいものだということを知らされたのである。

 そうして細身の男はかったるそうに大男に告げた後にその場から離れていった。

「くそっ、こうなったら無理やりでも連れて逃げるしかねぇ。ただもう大分火も回ってるな。これだと見つけられて1人か2人ってところか」


 アンドリューは急いで畑へ向かえば、そこには一人の少女が畑仕事の後片付けをしているところだった。

 その少女は艶やかな絹のようであるセミロングのブロンドの髪、透き通った翡翠の瞳は真珠のように白く、その肌はさながら妖精のよう。その美しさに彼女へ目を向けていたアンドリューは一瞬、声を出すのを忘れるほどだった。

「——君!早くここから逃げるんだ!」

 ふと我に返りアンドリューは彼女に向かって叫んだ。

 しかし彼女も先ほどの父親や村人と同じようにアンドリューに耳を貸すわけでも無く、ただ作業を坦々としているのである。

「畜生!こうなったら無理矢理でも逃げるからな!」

 と、舌打ちを付いてアンドリューは彼女の白く柔らかな手を取って直ぐに逃げ出そうとする。

 しかし、目の前にはさっきの大男が立っていてその大剣を振り構えていた。

 ——完全に死んだ、とアイズは察した。

(——死ぬのは、いや?)

 誰かが囁く。

 死を恐れ、生を望むことは当然のことだろう、とその質問の応えはすぐに頭によぎった。

(——ならばあなたに力を託します)

「死ねぇぇぇぇぇ!」

 誰かがアンドリューに囁くと共に大男は横に大剣を振るう。アンドリューは死を覚悟し、瞼を強く閉じる。

その時、口が動いた。無意識だった。アンドリュー自身も自分が何を言っているのか分からなかった。まるで誰かに体を操られるような、そんな感覚がアンドリューを包。

閉じた眼を再び闢く。黒い瞳は紅蓮の如き色に染めていた。

 目の前にいるのは大剣を携えた敵が一人。

 次の瞬間、脳裏に映し出される光景は遥か遠方に広がる土地や、今俺の後ろにいる少女の姿。それらは全て今の俺の視界にはないものだった。それらが全てアンドリューに滝のように流れ込んできたとき、アンドリューの視界には自身の足から相手の足元へとつながるの光の糸とそしてもう一つ、敵の大剣からアンドリューのもとへと伸びる二つの光の糸が姿を現した。

 敵の振る大剣は光の糸と寸分のずれもなくアンドリューへと迫ってくる。だが、アンドリューはその身を屈ませ、それと同時にアンドリューはその瞳に映る一本の光の糸に沿うように足を動かし水面蹴りを放つ。

「——えっ!」

 驚いた声を上げたのはアンドリューだった。

 目の前で大剣を携えていた男が地に背をつけているのである。

 身長差、体重差だけでなく筋力差も圧倒的に劣るアンドリューが自分より遥かに大柄な男をいとも簡単にひっくり返したのである。

「は?なんで俺が倒れてんだよ。たかだかNPC如きに俺が倒されたっていうのか」

 大男は自分が倒されたことを認められず自嘲していたが、直ぐに立ち上がり男は再びアンドリューに刃を向ける。

「ハハ、まぁいい。今度こそ終わりだ!」

 そのときアンドリューに再び誰かが囁いた。

(さぁ、唱えて)

「今度はしっかり殺してやるよ!」

 大男は大剣を振りかぶる。

 しかし、アンドリューは男に向かって手を突き出し剣が振り下ろされるよりも早く詠唱をしていた。

 その詠唱の意味だって、起こす結果だって知っているわけじゃない。だがこれが自分にできることだと信じてアンドリューは詠唱する。

 ——《叛逆の絶対権〈リヴェリオン・コマンド〉=凍結〈フリーズ〉》

 その瞬間大剣を振りかぶっていた男の動きは彫刻のようにぴたりと止まった。その姿はさも氷漬けにされているようだった。死んだのかと思って少し確認するが男の目にまだ光は残っている。

「なんだ……これ……」

 自らの力が起こした現象について考えたその時、大男の姿は目の前から忽然と消滅した。

「もう何がなんだか全く分からないけどとにかく逃げよう」

 しかし少女はアンドリューの言葉を無視するかのように作業に戻ろうとする。

 その時、父の言動、村人の言動、そして少女の言動がまるで誰かに操りの呪いにでもかかっているかのような気がした。

「もし、俺の予想が正しいのだとすれば……」

 アンドリューは彼女に向かって先ほど大男にしたように手を差し伸べて言葉を紡ぐ。

「そう、今、俺は絶対的な力をもって、その呪いを、開放する」

——《叛逆の絶対権=呪縛開放〈リベレイト・カース〉》

「うっ」

 少女は胸を押さえて、その場に蹲った。

「お、おい。大丈夫か」

「はい、大丈夫です。それより助けていただきありがとうございました」

 先ほどまで一言も口を開かずどこか冷めたようだった少女はそこで初めて言葉を発した。

「礼なんてあとでいいから、今は逃げよう。敵がこの村を襲いに来てるんだ」

 アンドリューは手短に状況を伝え残りの村人の救出のために村に目を向けたが、村には既に火が回りきっていた。

「……逃げよう、山のキャンプ地に馬車がある。もう助からないから」

 彼女にとってこの判断が本当に正しいのかなんて分からない。それでも彼女を、一人でも多く生き残る最善の判断だと信じて彼はそう告げた。

「そうですね」

 彼女は以外にも素直に了承し、アンドリューの手を取って山の方へと足を運んだ。

「君、寂しいとか辛いとか感じないのか?」

「私、親とかいないから大丈夫ですよ」

 少女はそう言うが、そこには悲しげな笑みがあった。

「一応これから君が逃げるのは俺の住むクローズ村だ。だいたいこの村から一日半ってところだな。そこから先君がどうするかは君の考えに任せるよ」

「私の考え、ですか」

 今、彼女は自分の意思だと思わせていた呪いが解けたことで初めて本当に自分の意思で考えたのである。

「まぁそういうことは後でゆっくり考えてくれ。それよりも村の方で敵が集まってる。間違いなく何かあったことに気づいてるな」

 村の中央に集う敵衆に気づいて、アンドリューたちはキャンプ地の方へと足を早めた。

「もうすぐキャンプ地だ。そこに行けば父さんがいる」

 二人ともそれなりにある山道を走ってきて相当息が上がっていたがなんとか目的地に着いた。するとそこには予想通りアンドリューたちの馬車があった。

「よかった、うちのやつだ。父さんは裏側にでもいるのかな」

 アンドリューは安堵の息をついて馬車の裏側に回った。

「父さん帰って——っ!」

 そこには心臓を弓に穿たれた父親が血だらけになりながら横たわっていた。

「父さん!」

 アンドリューは駆け寄るって息を確かめるが、そこに息はなかった。しかし、その手はまだ温もりが しっかり残っている。気温が暖かいとはいえ、その生きている人間とほとんど変わらない体温はこの僅か数分以内で殺されたことの間違えようのない証拠である。

「敵が近い!君、早く乗って!」

 アンドリューは父の遺体を荷台へ乗せ、少女も荷台へ入るとはすかさず馬に鞭をうって急発進させた。

 その直後アンドリューの眼は馬車の真後ろで見えないはずの弓を持った戦士が追いかけてきているのを補足していた。

 アンドリューが彼に意識を向けた瞬間戦士の弓から自分の脳天に向けて一筋の光の糸が姿を現した。反射的にその線から頭を剃らすと敵の放った矢はアンドリューの髪を掠めていた。

「伏せろ!」

 アンドリューは馬の手綱を握りながら全力で叫ぶ。彼女が伏せると同時にその頭上をいくつも矢が通過する。

「このままじゃジリ貧だな。君、馬車は引けるか!」

「はいっ!」

 アンドリューは少女に手綱を任せ荷台に立つ。

 緋色(ヴァーミリオン)の瞳は先ほどよりもずっと輝きを増して、戦士の構える弓から引かれているアンドリューの眉間に伝っている光の糸を映し出している。

《叛逆の絶対権=全知の悪魔〈ラプラス・デーモン〉》

 その線に沿うように戦士の矢がアンドリューに向かって飛んでくる。

 アンドリューは体を少し反らしてその矢の威力を消さないように矢と同じ速度で腕を引き、矢を軽く指で挟みながら体を傾け、腕を下げていく。次に鏃が敵の額に向いた瞬間アンドリューは矢から指を離す。

 ——ヒュッ——

 戦士が放った矢はアンドリューの腕の中でUターンして敵の額を穿つ。

 追いかけてきていた戦士の方を見据えると彼は立ち止まってガラスが砕けるように消えていった。

「敵は……」

「ああ……なんとかな」

 そうして敵が居なくなり急に緊張が解けたからか、アンドリューは腰を下ろして深く息をつく。

「道は分かるか?」

「は、はい。何度か行ったこともあるので。それより怪我はありませんか?」

「俺は大丈夫だ——」

ポタッ……ポタッと手に何かが当たる感覚がしたので手を見るとそこは真っ赤な血に濡れていた。父親に触れた時に付着したわけではない。その血はアンドリューの鼻から滴ってきていた。

 さらに、追い打ちを掛けるように頭を締め付けるような鈍い痛みと、脳を焼き切るような激しい痛みが唐突にアンドリューを襲った。

「うっ……ぐっ……ああああああああああ‼」

 アンドリューは果てしない頭痛に藻搔き、発狂した。血は失血死せんとばかりに流れ、あまりの痛みに自分の顔を掻きむしっていた。

 だがその時、誰かが触れてきた。

 その感覚はとても優しくて、とても暖かった。

「大丈夫だ」

 意識が朦朧としていたからだろう。アンドリューにはそう聞こえた。

 この声を聞いたからだろうか、痛みはすっと弱まった気がした。

 それが誰だったのか考えることは既にできなかったが、その感覚はとても身近存在だったと思う。

 そこから先、アンドリューの意識は途切れた。


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