2021年04月16日【サイコミステリー】空気/矛盾/いてつく可能性(1082字を/40分で)


 動物を機械の箱に入らせて、まず電気ショックで気絶させて、脳天を砕く。食肉加工の始まりだ。血を抜き、皮を剥ぎ、内臓を取り出す。人々が何も気にしないままでおいしい筋肉を食べるために、誰かが汚れ役を買って出る、自分でやるか、誰かがやるか。さもなくば食べずにいるか。


 Aはここに来るまで甘く見ていた。空気が違う。つい数秒前まで生きていた動物が順番に死んでいく。それが当たり前の顔をして順番に死んでいく。血の匂いと、死の匂いを感じる。記事で読んだとき、テレビ画面で見たとき、目の当たりにしたとき。これまでは何も知らずに生きてきた。それを三度も突きつけられた。



 移動する前に、冷凍庫に保存する。筋肉だけになった元動物たちをフックに吊るしていく。巨大な倉庫の全体が、菌が活動できない氷点下を保っている。先に入っていた肉には霜が見える。息を吐くたびに口周りや眉毛が凍り、息を吸うたびに呼吸器が痛む。防寒着があっても防ぎきれない。



 夕方になり、最後の一頭を冷凍室に運んだ。ベテランたちは慣れた手つきで運び終える。Aは、作業の内容こそ分かりきっているものの、心理的なプレッシャーに苛まれていた。生きるとは他の命が蓄えたエネルギーを自分の中に移動すること。だから日本人は「いただきます」と挨拶をする。他の文化圏では、神への挨拶や、食事を始める号令もある。何も言わない文化圏もある。日本人だけが、食べるものに対して挨拶をする。知識としては持っていても、いざ目の前で生命活動を停止する瞬間を見ると、全く異なる文化圏に来たように感じる。


 見るにしても、目を背けるにしても、常に誰かが汚れ役を買っている。多くの者を負担をから守る。その分だけ余裕ができるので、他の技術を高められる。そうして文明を築いてきた。この冷凍室だって文明の一つだ。


 帰りに食事をして帰ろう。食べる相手への感謝は昨日までより強くなっている。深くせずにはいられない。


 生きる側の、食う側の驕りと言えばそれまでだ。食われる側が納得するはずがない。もし最期の主張ができるならば、口ばかりでなく生きられるようにしろと主張するに違いない。


 しかし、驕らずには生きられない。食われる側も別の時には食う側であり、食う側もやがて食われる側になる。広い目で見れば地球全体でエネルギーが循環している。誰かの死を糧にして、誰かが今日を生きている。。


「おい、早く出ろ! お前も一緒に凍っちまうぞ!」


 Aを呼ぶ声が聞こえる。考えごとに適しすぎる題材が目の前にあり、考えごとに適さなすぎる環境が周囲にある。きっとこの冷凍室も、文明の知恵なのだろう。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る