第28話 奏さんの評判
化学の授業のため第二理科室へと移動するとき、男子の話し声が聞こえてきた。
「なぁ最近安東さんって少し明るくなった気がしない?」
「あ、俺もそれ思った」
「無表情なのは変わらないんだけど、少しオーラが柔らかくなったというか」
「だよなー。さらに可愛くなった気がするし」
「俺、コクっちゃおうかな」
「無理無理。やめとけ。フラれるだけだ」
「そんなのわかんねーし!」
以前は聞き流していたこんな話題もなんだかモヤモヤしてしまう。
もちろん誰が奏さんに告白しようが自由だし、それを受けるかどうかは奏さん次第だ。
彼氏でもない俺が口を挟める問題じゃないし、そもそもモヤモヤするのもおこがましいのかもしれない。
「放っておけって」
「晃壱……」
俺の不穏な胸の内を透かし見たように晃壱が囁く。
「どうせあいつらが告白したところで相手にもされないよ」
「いや、俺は別に」
「安東さんが変わってきたのは間違いなく丹後の影響だよ。それだけお前は安東さんに信頼されてるってことだ」
「そうかな?」
晃壱はニヤッと笑って俺の背中をポンッと叩いた。
「好きなんだろ、安東さんのことが」
「は、はぁ!? そういうのじゃないし」
「照れるなって。見てたら分かるから。親友の目は誤魔化せないぞ」
「いや、誤魔化してる訳じゃないって。気になるのは気になるけど……好きなのかって言われるとよく分からない」
それが正直な気持ちだ。
真面目かって言われるかもしれないが、軽々しい気持ちで好きだとかは言えない性格だ。
「お前らしいな。そういうところは嫌いじゃないし。まどろっこしいとは思うけど」
「悪かったな」
「ただこれだけは言えるけど、安東さんも丹後のことをかなり意識してるぞ。それだけは間違いない」
「根拠のない当てずっぽうだろ?」
「そりゃ根拠はないよ。でも人とほとんどコミュニケーションを取らないあの安東さんが毎日お見舞いに来てくれたんだぞ? 絶対に脈はあるって」
俺だって少しは脈はあるのかもって期待は持っている。
しかし安易に告白なんかして奏さんを傷付けてしまわないかと恐れていた。
俺を信用して笑顔になろうと努力してくれているのに、そんな下心があるなんて思われたら努力は水の泡だ。
いや、信頼を裏切られたと思って今以上に感情を表に出さなくなってしまうかもしれない。
だから安易に好きだなんて、絶対に口に出来なかった。
「で、俺はどうなの?」
「どうって、なんのこと?」
「惚けるなよ! 音色ちゃんだよ! 俺のことなんか言ってた?」
「下等魔族の末裔にしては見所があるって言ってた」
「なんだよ、それ!」
晃壱はがっくりと肩を落とす。
この程度で気落ちするなら「ノリが軽すぎて信用できない」と言っていたことは内緒にしておいた方が良さそうだ。
「ねぇ、丹後くん。一緒の班になろう」
化学室に到着すると白衣を着た三ツ井さんがぴょんぴょんと跳ねるような足取りでやって来る。
「別にいいけど」
「俺も一緒でいいの?」
「もちろん阿久津くんも一緒に!」
三ツ井さんは俺の手を引いてテーブルに連れていく。
そこには既に女子が二人おり、五人の班が出来上がってしまった。
奏さんも一緒の班になろうと思っていたのでちょっと困った。
とはいえ今さら抜けるとも言いづらい。
ふと奏さんを見ると、先ほど「告白かな」と噂話をしていた男子たちに誘われていた。
奏さんは辺りを見回し、俺を見つける。
既に五人の班が出来ていることを確認したのか、その男子たちの班に合流してしまった。
俺が三ツ井さんの班に入ったからこうなってしまったのだが、なんだかまたモヤモヤし始めてしまった。
実験はコロイド溶液の性質と透過実験だった。
熱湯や溶液、ガラス製の器具を使う実験なのでよそ見などせず集中しなくてはいけない。
それなのに俺は奏さんの班のことばかりが気になってしまった。
聞き耳を立てたり、時おり振り返って様子を見たり、心ここに非ずだ。
「危ないよ」
手が試験管にぶつかりそうになり、三ツ井さんが俺の手を握る。
「あ、ごめん」
慌てて手を引っ込めると三ツ井さんはちょっと悲しそうに微笑んだ。
その後は意識を実験に集中させる。
イオンを透過させた溶液を純水に入れると、反応で色づいた。
「わ!? 色が変わった。やった! 成功だね」
三ツ井さんは喜びながら小さく両手をグッと握る。
実験により新たな発見をしたかのような笑顔だった。
こんなちょっとしたことでこれだけ笑顔になれるというのはすごい。
「おおー!」と言う声が聞こえて振り返ると奏さんの班も実験が成功していた。
大袈裟に喜ぶ男子の隣で奏さんは静かに実験結果を記録している。
いつか奏さんも些細なことでも笑えるようにしてあげたい。
そんなことを思っていた。
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