【短編小説】夕焼けとお寝坊さん

シオ

本編

帰り道に気になる人がいる。

僕より10歳くらい歳上に見えるその人はぼんやりとした顔でいつも河原に座っていた。

時には向こう岸を見つめて、時には空を見上げて、時には自分の足元を見ている。

帰り道にいつもいるものだから僕は休みの日に何をしているのかすごく気になってしまった。


僕は思い切って土曜日の同じ時間に帰り道の河原に行ってみた。

その人は向こう岸をぼんやりと眺めていた。 あまりにも気になるものだからつい言葉をかけてしまった。

「お兄さんはいつも何をしているんですか?」

ビクッと体を震わせた後彼はこちらを振り返った。

訝しげな顔で僕の顔をジーッと観たあと、怪しいものでも知り合いでもないことに気づいたのか背を向けてまた向こう岸を眺め始めた。

しばらく沈黙が続いた後ゆっくりと彼は口を開いた。

「朝の散歩」

僕はポケットのスマートフォンを確認する。

時刻は16:30ごろだ。

「もう夕方ですよ。」

僕がそう告げるとすぐに答えは帰ってきた。

「俺にとってはまだ朝なんだ」

正直何を言っているのか分からなかったので僕は言った。

「お兄さんは面白い人なんですね。」

少し悲しそうな声でお兄さんは答えた。

「俺もついこの間までそう思っていたよ。

 だけど起きてから2時間くらいしか経っていない時間を朝としか呼べないつまらない人間だったよ。」

なるほど、相当なお寝坊さんなんだな。

「その返答が僕にとっては面白かったですよ。いきなり話しかけてすみませんでした。」

彼に背を向けて僕はその場を立ち去った。


月曜日から学校が始まって数日間。

お兄さんは変わらず毎日そこに座っていた。

ある日お兄さんは自分の足元を見ていた。

1人の帰り道だったので思い切って僕はまた声をかけることにした。

「お兄さんお久しぶりです。」

彼はビクッと体を震わせると、ゆっくりと後ろを振り返った直後すぐに背を向けてしまった。

少しだけ見えた彼の顔には「またお前か」と言いたそうに感じた。

「何か嫌なことでもあったんですか?」

そう聞くとゆっくりと彼は返してくれた

「ついこの間までは嫌なことしかなかったけど、今は良いことも嫌なことも起きないんだ。」

やはりこの人は面白いな。

思ったより饒舌なお兄さんにもっと話を聞いてみたくなった。

「そうなんですね。だけどそれって物凄く良いことじゃないですか?」

僕の言葉が想定外だったのか、お兄さんは少し驚いた顔で振り返った。

僕は話を続けた。

「僕だったらとても嬉しいな。今ちょうど高校生なんですけど、毎日毎日惚れた腫れたや部活がどうのこうの。成績がどうのこうの。ってみんな忙しそうですよ。」

お兄さんは僕に初めて質問をした。

「君は忙しくないのか?」

「僕もある意味忙しいかもしれません。けど、僕自身は別に忙しくないです。正直誰と誰が付き合ったとか、部活や成績がどうのこうのって僕には興味がないんです。ただ、平凡に差し支えなく過ごせればそれでいいんです。」

お兄さんはジーッと僕を見た後に、また背を向けた。

しばらくの沈黙の後に彼はそっと一言だけ話した。

「君は変わっている。」

僕は少し笑ってお兄さんに言葉を返した。

「お兄さんほどじゃないですよ。今日も話してくれてありがとうございました。」

そのまま僕は帰路についた。


翌日は何となく図書室で勉強をしてから家に帰ることにした。

来年の今頃はここまで少し落ち着かない毎日を過ごすかもしれない。

大学受験と言うイベントが多くの高校3年生にあるからだ。

僕も来年はそれに参加しなければならない。

別に誰からも一目置かれるような大学に行きたいわけではないのでそこまで熱意を持って取り組む必要もない。

ただ頑張っているフリをすることは大切だ。

学生だって楽じゃない。

いつもより少し遅れて帰り道を歩いていると僕の目には頑張っているように見えないお兄さんが夕焼けに照らされて空を仰いでいた。

「お兄さんはこの時間もここにいるんですね。」

少し慣れたのか彼は背中を向けたまま言葉を返してくれた。

「そろそろ日が沈みそうだからちょうど帰ろうと思っていたところだ。」

お兄さんに今日は何を聞いてみようか考えながら僕は黙って後ろに立っていた。

いつの間にか僕は彼のファンになっていたようだ。

そしたらお兄さんから僕に話しかけてきた。

「君が昨日言っていた平凡ってどう言うことなんだ?」

本当に彼は面白いな。

僕はすぐに言葉を返した。

「平凡って普通のことですよ。それなりに勉学に勤しんだ後、そこそこのお給料がもらえる仕事に就いて定時に帰るんです。

帰った後は適当にゲームなり読書なりして毎日過ごす。

そして30歳くらいになったら適当な人と結婚して子供が出来たらその子供を精一杯可愛がって僕の人生はお終いです。」

彼は「なるほど」と小さく呟いた後に何か考えている様子を見せてから口を開く。

「失礼かもしれないけど、君はその人生が嫌じゃないのか?」

僕はすぐに答えた。

「全然嫌じゃないですよ。むしろこれで良いと思っています。それなりに満足していますよ。お兄さんは平凡は嫌なんですか?」

申し訳なさそうな声で彼は言った。

「俺はそう言う風には生きたくないな。」

10歳も歳上の大人が申し訳なさそうに僕に言うものだから、僕はお腹を抱えて笑ってしまった。

ギョッとした顔でこっちを見るお兄さんに僕は言った。

「安心してください。お兄さんはもう平凡じゃないですよ。昔は知らないけど少なくとも今は。」

気恥ずかしそうにお兄さんは言う。

「なんでそんなことが君に分かる?」

僕はすぐに答えてあげた。

「だって僕の平凡ではお兄さんの年齢で平日のこんな時間に河原で何もせずに座ってるなんて考えられないもの。」

お兄さんは少し笑いながら

「君は大人を馬鹿にしているだろう。」

「大人も子供もないですよ。僕の周りの大人は感情剥き出しで自分のことばかり考える赤ちゃんと大差ないです。多分これから出会う大人だって大多数はこんな人だと思いますし。」

お兄さんの口角が上がり始めた。

「君みたいな偏屈な高校生と話していると、自分のことが馬鹿らしくなってきたよ。」

僕は調子に乗って思ったことを言う。

「僕の周りは赤ちゃんみたいな大人ばかりだけど、お兄さんは友達のいない中学生がそのまま大人になったみたい。友達がいないから自分がすごいと勘違いしている気がするよ。」

お兄さんはゆっくりと立ち上がると、僕の頭をこづいた。

「生意気なやつだな。大人からのアドバイスだ。口の利き方をもう少し覚えた方がいいぞ。」

そのまま僕の横を通って河原を登っていく。

「まあ、今も友達と呼べる奴がいないからこのまま勘違いして生きていくよ。ありがとうな。」

お兄さんのだらしないスウェット姿は夕焼けに溶けていくように遠ざかっていった。


翌日の帰り道。

そこにお兄さんの姿はなく、いつも通りの河原に戻っていた。

お兄さんともう二度と会うことはないだろう。

数分間しか話していない名前も知らない人の幸せを願いながら僕は真っ直ぐ帰宅した。

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