最終話 別離と再生
師匠の言っていた通り、デジルが消えていった場所から玉座の間の氷が少しずつ溶けていく。
地面に剣を突き立てそれを支えにして立ち上がった青年に、声をかけるものがあった。
「ありがとな」
師匠の声だ。青年は振り返る。
口角の上がったこちらを見る師匠の眉が、少し下がっているように見えた。
「お礼なんて……師匠?」
師と仰ぐ男の炎のような瞳が、少し揺れているように見えた。
彼の足の端が消えかかっていていることに青年も気づく。
「俺の儀式の魔法も、あいつと一緒に溶けちまったみたいだ」
少年にも察しがついた。
「そんな、いやだ師匠、貴方がいないと僕は」
「大丈夫だ。もう一人で生きていける。じきにこの国のみんなも蘇る。お前はその中で生きていくんだ」
「ちがう、師匠……僕、こんな……こんなことになるなんて」
「はは、お前は想像力が足りんからな」
青年は首を振る。それは男と出会ったばかりの頃の彼の仕草によく似ていた。
「想像は、沢山してました。僕、この国の第三王子なんです。出来損ないだったけど。だからこの国が元に戻ったら貴方のことを英雄として紹介するんです。貴方はここに残って、僕に魔法を教える。僕の兄さん達にも……あ、名前はエルヴェとシリルって言って、僕なんかよりすごく優秀なんです。だから師匠に教えてもらったらきっともっと……。剣だってまだ僕師匠にちゃんと勝てたことないし。そうですよ! いつか師匠とちゃんと戦ってみたいって思ってたんです! そうしましょう、きっと僕が負けるんですから、師匠に勝つまで修業は続けてもらいます。師匠が精霊の時に見てきた国の話だってもっと聞きたいし、それにきっと僕は出来損ないだから、勉強なんかさぼっちゃうと思うんです。でも師匠がいてくれれば止めてくれるでしょう? それにね、僕が住んでるのはなんてったってこのお城なんですから、僕が作る料理なんかよりももっともっとおいしいものが食べれます。城の料理人が作った料理って、本当においしいんですよ。まず師匠に食べてもらいたい料理だって、考えたんです。僕のおすすめはなんて言ったってチャッピーの煮込みシチューですね! 夕飯に出てくることが多いですが、シリル兄さんがこれは料理人が朝早起きしてそれからずっと煮込んで作っているからうまいんだと言っていました。後、夏の終わりごろには別の地域からの行商がやってきて、とってもおいしいブルーベリーを卸していってくれるんです。それで作るジャムがまたおいしくて、きっと師匠、泣いて喜びますよ。それでそれで、兄のどちらかがこの国の王位を継いだらあなたと一緒に旅に出るんです。いろんな国を旅して、その場所でおいしいものを食べつくすんです。自分たちで獲ったっていいし、村や町で何か対価を払って食べさせてもらってもいい。そうだ、トレジャーハンターになりましょう! 魔物退治で暮らしている人だっているんですよ。師匠と一緒なら、どんな魔物相手でも怖くないです。そして……それで……」
務めて笑う彼の頭を、師匠の大きくごつごつとした手が撫でた。
消えかけていても、まだ感触は残っている。
「想像じゃねえし願望だし、それに俺に頼りすぎだ馬鹿。……よく頑張ったな」
ラウルの目から、堪えていた涙が堰を切ったように流れ出した。
いつの日だったか師匠の背を追い越していた青年は、子供のように嗚咽する。
「大きくなったな」
そういって師匠は慈しむように少年を見る。
「その髪、俺の真似だろ」
「は、なんで。髪型なんて気にしてないって……」
「弟子が自分の真似して嬉しがらない師匠なんていねえよ」
青年が彼を見ると、師匠の目にも涙が浮かんでいた。炎のような目の色は揺らいでいるととても美しかった。
「俺は元の姿に戻るだけだ。城のうまいもんが食えなかったのは残念だが、今までのようにお前たちのことを見守っている。それに、デジルを慰めに行かないといけないしな。きっと復讐が果たせなくて大いにいじけているだろう。お別れだラウル。いい王様になれよ」
「王だなんて、僕は……師匠!」
師匠の姿はもうほとんど見えなくなっていた。
一歩下がった彼が彼が笑った。心からの笑顔。
その姿に手を伸ばそうとした瞬間、揺らいでいた炎が風でフッと消えるように、男の姿は跡形もなく消え去っていた。
青年は彼が消えた先を見つめる。
氷が溶けていくのが見えていた。この国は元に戻ろうとしているんだ。
想像する、手のひらの上の小さな炎を。師匠のような優しく揺れる炎を。
手のひらの上に生まれたその炎が、少年の緑の瞳に映り込む。そして彼は口を開いた。
「ありがとう。師匠」
*
陽が落ちかけたザントテールの城の一室。
その扉を叩くものがあった。
入るよう促された若い黒髪の兵士は自分の仕える男に要件を伝える。
「王。ディクライットのクラウディウス王からの伝書がありました。条約の件、締結の方向で進めたいとのことです」
彼は木筒に入った文書を手渡し、主人は頷いた。
「よかった。ではその方向でと大臣に伝えてくれ」
彼の言葉に緊張していた兵士は安堵したような表情で部屋を出ていった。
「だいぶ話がまとまってきたな……」
王と呼ばれた男は、少し疲れた顔で窓の外を眺めた。
陽が落ちかけた城下町は夕陽色に染まっていて美しい。
この国が暖かい色を取り戻してから、もう何年もたった。
氷の呪縛が溶けた時、当時の王はその一部始終を玉座の氷の中から、すべて見ていたらしい。
何もかもから逃げていた少年が青年へと成長し、精霊と共に氷の悪夢から国を救い出す様を。
王に対して青年が何かを説明することはほとんどなかった。
当時の王は彼の功績を称えて第三王子ラウルを世継ぎとすることを決めるとともに、国教の定めを消した。
精霊は実在し、しかも自分たちの危機を救ってくれた者までいると知れれば、ドラゴンを信仰する者ばかりではなくなると考えたからだ。もちろん各宗派がこぞって暴動を起こしたが、それを収めたのは他でもないラウルだった。彼は自分がどのようにしてこの国を救うに至ったかを丁寧に国の皆に聞かせて回ったのだ。氷漬けにされていた時、彼が時折街に来ては自分の力のなさを嘆いていたことは彼らも知っていた。だからこそ、ラウルの話は受け入れられ、そして彼が王になるにふさわしいと国民も思うことになったのだった。
兄弟たちも、それを受け入れてくれた。氷漬けにされていた者たちは皆、永遠に動けないままその思考を巡らせ続けるのみだったらしい。それは宝石の中に閉じ込められていた精霊たちのような苦痛であったが、代わりに彼らは歳をとることもなかった。なので彼らと再会した時、ラウルのほうが成長してしまっていて、これではお前が兄のようだなと笑われたものである。
礼儀作法、その他政治の勉強に関してはラウルはからっきしだったが、そちらも師匠といたころに培った忍耐力と努力で身に着け、それが王としてふさわしいと認められた時、彼は晴れて即位したのだった。
その後も彼は大変な毎日を過ごしていたが、忙しい中でもこの瞬間、陽が落ちるその時は街が優しい炎と同じ色に染まる。
その時だけは王となった彼は師匠であったあの食いしん坊でよく笑う精霊のことを思い出すのだった。
陽が落ち、部屋は暗くなりかけていた。
ラウルは、立ち上がり燭台に近づく。
「エーフヴィ・メラフ」
燭台に明かりが灯る。
このくらいの魔法は彼にとっては無言でもできる事であったが、炎だけは彼にとっては特別で、必ず詠唱をする。
「見ていてくれていますかね。師匠」
燭台に灯った炎が、彼を照らす。
男が部屋を出ようと歩いて行く。
その後ろ姿はかつて彼を助けてくれた炎の精霊の姿に、よく似ていたのだった。
*
砂漠の向こう。精霊と話ができる種族が造ったと言われる遺跡の先に、小さな王国があった。
過去に犯した罪の因果、その国は一瞬にして国ごと氷漬けになったという。
生き残った少年が成長し七年後。その国を氷漬けにした精霊を倒し、国を救い王となった。
その国には彼を助け育てあげた炎の精霊、ウォレスの像が英雄として残っているといわれている。
-完-
白紅の想像 風詠溜歌(かざよみるぅか) @ryuka_k_rii
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