第13話 真実と決意
魔法も集中することができればある程度自由に操ることができるようになった頃、師匠が言った。
「あれ、髪の毛どうした?」
「え、いまさら?」
髪を結え屋敷にあった道具で前髪を切りそろえてから、もう三日は経つ。
「すまんすまん、お前の髪型なんて気にしたことなかった」
そう言って師匠が笑う。炎のように片方だけ垂らした横髪が風に揺れる。
「それはそうと。今日はあそこ、行くぞ」
師匠が指さしたのは遺跡の入り口だった。
いつもは遺跡には入らず青年がひたすら練習するのを眺めているのに、突然どうしたと言うのか。
「中に何かあるんですか? というか何かあるならなんで今まで入らなかったんですか」
「まぁいいからついてこい」
男は答える気がなさそうだった。
こういう時の彼が質問に応えた試しがないので、ラウルは諦めてついていくことにした。中に入ればなにかしらわかるだろう。
かくして二人は初めて遺跡内部に足を踏み入れた。
入り口から数歩先にしか光が届かない遺跡。師匠の松明代わりに灯した炎の魔法で辺りは照らされる。
ふと、その魔法が自分たちをずっと付いてきていることに気づいた。こんなこともできるのか。
長い間人が入っていない湿った嫌な匂いが立ち込めている。
遺跡の内部はそこまで荒廃しているわけではなかった。むしろここまで放置されていたのに管理されていた頃そのまま残っているような印象を受けた。所々苔むしているところもあるが崩れたりするような心配はなさそうだ。
歩いていると見覚えのある模様が目に入る。
「師匠、これは?」
それは師匠が読んでいる本の文字に似ていた。
「ああ、それな」
興味なさそうに師匠はずんずん先へと進んでいく。
「それなじゃなくて……ちょっと! 待ってくださいよ!」
ラウルは男を追いかけていく。乾いた足音が遺跡内に響いた。
たどり着いたのはかなり広い祭壇のような場所だった。
師匠が明かりを強くすると祭壇のすべてがよく見え、その部屋の壁には絵のようなものが彫られていた。
色とりどりのそれは何かの物語を表しているようだった。
空から舞い降りる幻想的な何か。それにひざまづく灰色の髪の毛をした人間たち。
次の絵では、その幻想的な何かは人の姿を纏っており、二人いるうち片方はちょうど今の師匠のような姿だった。灰色の髪の人間たちの後ろに、黒い影が迫っていた。
さらに次の絵には黒い影のものたちが掲げた石のようなものに人の姿を纏ったばかりの者たちが吸い込まれていた。壁画はそこで終わっていた。
「ここは昔、精霊と話ができる種族の者達が、普段は姿を見せない精霊たちを人の形にする儀式をした場所なんだ」
いつも明るい師匠にしては非常に落ち着いた声だった。
「精霊?」
聴き慣れない響きだった。竜を信仰するドラジェーン教を国教としているザントテールでは、対立する宗教の教えは是としていない。
「ああ、精霊。お前の国ではいないことにされてるんだっけな。でもな、昔から……今もそうだが、精霊はこの世界のどこにでもいて、見えない姿でお前たちの生活を覗き見ている。あるものは風を司り、またあるものは水を司る。そんな存在が、この世界をゆっくりと。しかしとめどなく廻しているんだ」
「はぁ……」
ラウルは別段国教を信じ切っているわけではなかったが、周りの人間や家庭教師が言うことはただ漠然とそうなんだろうなと思っていた。
だから師匠が語る精霊というものの存在はどことなく曖昧で、どこか遠い国の御伽話を聞いているようだった。
「精霊と話ができる種族のものたちはな、他の種族には存在がわからないものと対話ができるわけだ。そして場合によってはその力を借りることもできた。だからこそ、他の種族の者たちにとっては、恐ろしく近寄りがたい存在だったんだ。それに、目に見えないものだから精霊の存在を信じていない人たちも多かった」
「たしかに、目に見えないものと喋ってたら怖いですね」
「そう、怖い。だからこそ話ができる種族の者たちは彼等に精霊の存在を信じて欲しかった。そうすれば自分たちのことも理解してもらえると思ったんだ。だから、精霊を人として存在させる儀式をしたんだ。ほら、この絵」
師匠が指さしたのは1枚目の絵だった。
「この灰色の髪の毛をした者たちが精霊と話ができる種族だ。実際には星屑色と称される銀色に輝く色だが。そして次の絵」
師匠はその星屑色の髪を持つ種族の背後に迫る、黒い影を指差す。
「その儀式を好ましく思わない人間たちもいてな。それが、お前たちの国の祖先だ」
「え、僕の……」
青年はたじろいで一歩後ろに後ずさった。
「ああ、彼等はドラゴンを崇拝する宗教の信徒たちだ。精霊の存在はその宗教によって認められていない。きっとこの儀式が成功し、他の人間たちにも知れ渡れば、自分たちの宗教の存在が危ぶまれてしまう。だからその儀式がなかったことにするため、儀式当日に、彼等はこの遺跡を襲ったんだ」
師匠の口調は、昔話をするようなものから、実際にその場にいたようなものに変わっていた。
青年はじっと、その揺らぐ炎のような瞳を見つめていた。
「そして最後、人の形を為した精霊が現れる瞬間、彼等はそれをある宝物に封じ込めたんだ」
次に男が指を刺したのは煌々と光り輝く絵画の石のようなもの。よく見ると、それは青年には見覚えのある形だった。
あの日、街が氷漬けにされた日、少年が壊してしまった。あの白と紅の宝物だ。
「あいつはな、精霊なんだよ。あの日、お前の国の人々に自由を奪われ、あの狭い場所に何百年も閉じ込められた怒りで、この国を氷漬けにしたんだ」
そういった師匠の目が、悲しい色をしていた。
青年は、なにを口にするべきか、迷っていた。
師匠の言っていることが本当なら、僕の国で起こった悲劇は、祖先の罪を代弁するものだ。人間同士のつまらない謀略にただ巻き込まれただけの哀れな精霊。彼女が自分を閉じ込めた者たちを皆殺しにしたいと思うのも当然の事だ。自分がここでのうのうと生き延び、そればかりか自国のものを助けたいだなんて、この話を聞いた後に言えるだろうか。
青年が黙り込んでいると、師匠が少し柔らかい表情で口を開いた。
「それでな。俺も、この場にいたんだよ」
なんとなく、察することができた言葉だった。
「この真ん中の壁画の、この方ですね」
「ああ、まさに。もう一人があいつだ。かつてあいつは氷、俺は炎を司る精霊の一人だった」
ということは、師匠も小さな石の中に、閉じ込められていたのだ。青年はそんなものを遊び道具にしていたことに胸が痛んだ。
「この銀髪の種族に相談を持ち掛けられた時にな、兼ねてから人間達の生活に興味があった俺ら二人がその役目を引き受けたんだ。あの頃は楽しかったなぁ。俺は人間になったら食べ物を腹いっぱい食うことが夢だったんだ。精霊は物を食うことができないからな。彼等は、喜んで用意すると言ってくれた。精霊だった頃、俺は人間がどんなふうに狩猟をするのか、食べられるものがどれなのか、どうやって調理をするのかを見ているのが趣味だった。だから、お前に教えることができたんだ」
「師匠、僕は……」
「なんだ?」
何か言おうとしても何も出てこなかった。青年はまた押し黙り、男は言葉を続ける。
「封印されてからは氷の精霊と二人、永遠に狭い牢獄の中で問答を交わした。精霊のままであればあんな封印簡単に解けたが、その時は俺もあいつも人間の身だった。何をしようと、無駄だったね。ただ、あいつも初めは今みたいな怖い女じゃなかったんだ。時間っていうのは怖いもんでなあ。あの中じゃできることも限られてる。話し相手が俺だしな。自由を求めたあいつは、自分をこんな風にしたお前たちの国を憎み始めた。その憎悪が溜まりに溜まって封印が解けかけていた時に、お前があの宝石を壊したんだ」
「そして、あの精霊と師匠が解き放たれたんですね」
男はゆっくりと頷く。
「解き放たれたあいつは真っ先にあの国を滅ぼした。そしてこの遺跡の門番のように逃げ延びた国の生き残りを探しては氷漬けにしているんだ。俺は解き放たれてからしばらく、そこら辺をうろついていたが、明らかにお前の国の様子がおかしかったから見に行ったら、あいつとお前がいた。俺は、別にお前の国を憎んだりはしていない。考えが違うことは当たり前のことだ。それに、俺とあいつを閉じ込めた張本人たちはとうの昔に死んでいる。それなのに復讐したって、仕方ないだろ?」
男はそう言って目を細めた。松明代わりの炎が少し揺らめいたように感じた。
「国の生き残りはラウル。お前ただ一人だ。彼女は虎視眈々と彼の命を狙っている。だから俺が、あの国を救う責任のある最後の関係者のお前を、守ることにしたんだ。俺が近くにいて常に結界を張っていれば、お前に手を出すことはできない。お前は国を救いたいという願望がある。じゃあ魔法を教えるさ。俺はお前に、あいつも救ってほしいんだ」
そうして師匠は俯いた。なんだか師匠にとっての氷の精霊は、とても大事な存在のように思えた。
「どうやって、彼女を救うんですか? 師匠じゃダメな理由があるんでしょう」
「そうだ。勘がいいな。彼女を救うためには、人間の姿を保っていられなくすること、人間としての生を終わらせることが重要なんだ。俺たちは自分の力ではなく大勢の人間たちの力を使う儀式で、人間の姿になった。それが終わってしまったら、儀式をしない限りもう人間の姿にはなれないんだよ。あと、精霊としての姿に戻れば世界の理を捻じ曲げるような力を使うことはできない。人間の時に使った魔法も解け、国のみんなを救うことができるはずだ」
「そうか……じゃあ彼女を殺さないといけないと」
「ああ。あとな、これは俺があいつを救ってやれない理由だが、精霊同士は殺しあうことができないんだ。俺らの存在は精霊由来のものだからたとえ自分が司る以外の魔法を使ったとしても、お互いの体にぶつかる前に消失してしまうんだ。ちなみに、氷漬けにされた街もあいつが常に魔力を維持していて、俺には溶かすことはできなかった。お前が炎の魔法を覚えてくれればどうにかなるかも知れんが、そればっかりはどうにもならん。他の魔法を鍛えて、あいつより強くなることが先決だ」
そう言った師匠は、少し厳しい顔をしていた。
青年は少し間を置いてから、この話をしている間中ずっと気になっていたことを投げかける。
「師匠は、僕が彼女と戦って、彼女と皆を救うことができると思っていますか?」
「ああ、信じている。お前ならきっと大丈夫だ」
師匠が歯を見せて笑う。
それならきっと、大丈夫だ。
「……僕、強くなります。彼女よりも強く。この国を救うために。そして僕の祖先が侵した罪を、少しでも償うために、僕は貴方の力になりたい。だから、僕に戦う術を教えてくださいますか?」
そう言った青年の目は、ただ真っ直ぐと男を見ていた。青年の緑の瞳に映った男は、少し眉をひそめながら、けれどにっこり笑って言った。
「もちろんだ、覚悟しとけよ」
師匠の言うとおり、自分が強くなれるかどうかはわからない。けれどこれがたった一人この国で生き残った自分の使命なのだろうと青年は感じていた。氷の精霊のため、国のみんなのため、そして師匠のため。
こうして青年の強くなるための戦いが始まったのだった。
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