カラスを狙う女
@Trap_Heinz
今日を寝る女1
「えーじゃあ、ハルちゃんはどお?」
「いやいやいや! なんですかその雑なフリ! やめてくださいよミズリン先輩〜〜」
「アッハハハハハ!」
「じゃあ言いますけどぉ〜……」
「あ、言ってくれるんだ。はい、どうぞどうぞ〜」
「えっと、私を動物に例えると――」
× × ×
『みなさんこんばんはー! 声の大きさダイジョブかな? あ、スパチャありがとぉ〜♡』
いつものミズホちゃんの可愛らしいが聴き取りやすい、心地よい声がイヤホンを伝わり鼓膜を揺らす。
「はぁ〜今日もミズリンは、かわいいなぁ」
そんな喉から漏れた言葉をそのままチャット欄に打ち込み、エンターキーを押す。210円の投げ銭も一緒に。MacBookの横に置いてある350mlの缶チューハイを掴み、一口含む。
若干ぬるくなり、炭酸の抜けかけたドロっと甘いアルコール液が腹へ落ちていくのを感じる。
『今日は歌枠なのでボカロメインで歌おうと思いまーす! みなさんどんどんリクエスト送ってくださいね〜!』
そんな画面内の彼女の3Dアバターが健気に左右に揺れる。その横に配置されている視聴者が送ったコメントを取得し、表示しているスペースを大量のコメントが流れていく。
その中に、先程私が送ったコメントも一瞬映り、また流されていく。
『んーじゃあ最初の曲は〜……ん?「はぁ〜今日もミズリンはかわいいなぁ」? ありがと! ちゅっ!』
彼女のアバターが小さくウィンクする。
「読んでくれた! か、かぁわいい〜〜……」
こんな画面に向かって1人ニヤニヤしている私は、とても気持ち悪いな。と、ふと我に返ってしまう。
那賀見 優(ナガミ ユウ)。23歳、独身。一人暮らしのオタク女。自分でオタクと言える程、何かが滅茶苦茶好きとか、詳しいってわけじゃないんだけど、周りから見ればただのオタクなんだろう。
今日も近所のコンビニバイトを終え、こうしてYouTubeを眺めている。持ち帰った廃棄予定の弁当を貪り、缶チューハイを飲む女。女としてどうなんだ。いや、女らしさとか、そういうのあまり気にした事ないけど、どうなんだ。
PCの右上の時計には0時7分と表示されている。今日もこうやって、推しの配信を観ながら1日が終わる。
1日の疲れが無くなっていく様な気がした。
「んぁ……」
惚けた声をあげ、目が覚める。突っ伏していた枕元に置いてあるiPhoneは6時55分を映していた。
だらしなく口元から溢れていたヨダレを雑に手で拭い、体を起こす。
床に置かれたPCからは、六聞(ロクブン)ミズホちゃんの歌声が小さく流れていた。いつも寝る時に、ミズホちゃんの楽曲リストをリピート再生して流している所為だ。
やば……風呂入るの忘れてた……。
動いていない脳味噌の中で自分の言葉が浮かぶ。布団から這い出て気付く。いつ脱いだのか、下はパンティ一丁になっており小さく身体を震わす。12月の朝だ、寒いに決まっている。
赤い毛のモコモコしたスリッパに素足を滑り込ませ、そそくさと風呂場へ向かう。給湯器のスイッチを入れ、しばらくシャワーのお湯を出しっぱなしにしておく。中々冷水から温水に切り替わらないからだ。設定温度は43℃、熱めで目を覚まさせる。
大学進学時から住み始め、ここも5年目。もうすぐ6年目に入ってしまう。目を閉じたままでもトイレで用を済ませられるだろうし、入浴も洗濯も出来てしまいそうな程、もうここに住み慣れてしまった。
風呂場の入り口の足下に、タオルと替えの下着を雑に投げ、湯気の中へ入る。
もう7時50分。いつもの様にコンビニの勝手口の横に自転車を着け、ケーブルロックを掛ける。この自転車はここに住み始めて2台目、もう3年の付き合いだ。
1台目はなんとなく遠出して行ってみた大きな業務用スーパーの駐輪場に停めていたら盗まれた。業務用スーパー特有の、大容量で割安な商品達に乗せられ、多めに買ってウキウキして、さぁ帰ろうとしたらこのザマだ。
防犯カメラの映像だけでもと思ったが、スーパー側は『駐輪場・駐車場でのトラブルは対応出来ません』の一点張り。駐車場の柱にもそう張り紙が貼ってあるが、ここまで非協力的だとは。1台目はAmazonで買った安い折り畳み自転車だったので、防犯登録もしていなかった。まぁしていた所で戻ってきたとは思えないけれど。
そういう事もあったので、近所の自転車屋さんで買ったのがこの少し良さげな白いマウンテンバイク。ちゃんと買うときに防犯登録もした。カゴも付いてるし、折り畳み自転車より乗り易いのはもちろんだ。そのお陰と言うべきか、その自転車屋を営む老夫婦とも仲良くなり、たまにメンテナンスして貰ったりしている。恐らくこの近所で唯一の良い関係を持った人たちだ。
そんな過去の事を一瞬思いながら、勝手口を開けスタッフルームへ入る。
「おはようございまーす」
「おお、おはよう那賀見さん。今日も寒いねぇ」
店長の大場さん。50過ぎの物腰の柔らかいおじさん、良い人だと思ってる。大学時代からずっとここでバイトしているし、シフトもかなり融通を利かせて貰って、本当にお世話になったと思っている。私が大学卒業してからもここに居るので、社員として働かないかとよく言ってくるのが、ありがた迷惑と感じる位だろうか。
ダウンジャケットを脱ぎ、自分の名札が刺さっているロッカーを開け、中へ押し込む。そして制服のシャツを上から着直し、パンツインする。左胸に名札を着け、ロッカーの扉にある小さな鏡で少し自分の容姿をチェックし、なんとかやる気を絞り出す。
「いらっしゃいませー」
スタッフルームから出ると、レジには古谷(フルタニ)さんがすでに立っておりタバコの補充をしていた。
彼女の下の名前は……あかりさんだ。確か。普段苗字でしか呼び合わない人は、本当に下の名前が出てこない。店長って名前なんだったっけ……?
そんな事を思いながら、挨拶をする。
「おはようございます」
「あ、おはようございます〜!」
「私、外の清掃やった方がいい?」
「あ、はい! お願いします!」
彼女は明るくて優しい。確か大学2年だったか。「外の清掃やった方がいい?」と聞きながら、私が接客をやりたくないからこうやって逃げているだけだ。多分彼女とはずっとそんな感じ。
外箒とちりとりを持ってレジカウンターから出る。
「あ、おはようございます」
一瞬気が付かなかった彼にも一応あいさつをする。
「優さん、おはようございまーす」
彼は秋田さん。私よりも2、3個上だったはず。役者を目指しながらバイトしていた……はず。彼も私がここで働き始めてからずっと居る。いつからか私を下の名前で呼び始めていた。少しキモい。
そんな事を思いながら店の外に出て……あまりにも、あまりにも自分の身の回りには変化が無い。私が変わろうとしていないのか。そう突然思う。
冷たい風が顔にぶつかり、目を細める。明るい朝日と青い空が、あまりにも今の私とアンマッチで、なんだか面白くなってしまい、一人笑ってしまいそうだ。
都心近くのこの辺りは大学が近くにある事もあり、学生が住むアパートや昔からある一軒家も混在している場所だ。なので朝のこの時間帯は、朝飯や昼飯を買いに寄る学生やサラリーマンが多い。
今日は店長も居るし、中は3人で回せるだろう。そう思いながら掃き始めた。
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