その17 龍星

「え…………なっ……う、嘘だろ…………?」


 カラスの右腕は、優作が「放棄した」右腕だった。

 かつて優作が自暴自棄になり、故意に右手を傷つけたときのものだろう。右手の拳には多くの傷跡が残っていた。

 何より、肘にある手術の痕が、かつての自分の右腕であることを物語っていた。

 疑う余地は、なかった。


「俺はな、真壁クン。小学校に上がる頃には親に捨てられてな、真壁クンの右手を切り取った組織に育てられたんや」

「そこでオレの右腕を……」

「いや。右腕が取り付けられたんは真壁クンが本郷家に保護された後や」


 カラスは顔を上げ、ぼーっとした表情でテレビを見つめていた。まだ一回表が続いていた。


「ウチの家系は親族に野球人が多くてな。男に生まれたらまず野球やらされるんやわ。でな、俺は早い段階で能力を発現しとったらしんや」

「それで捨てられたのか……」

「そうや。野球一族にとっては致命的やったんや。今の高校野球に式は出られへんからな」

「オレは右腕をくれてやっただけだけどよ、あの組織は一体何を目的としてたんだ?」

「目的ね……。最終目的はカネなんやろけど、その過程がな……。ヘドが出んで?」


 カラスは一度視線を落としてから、少しトーンを落として語り始めた。


「能力が発現しても身体強化くらいしかできん奴がほとんどやろ? 本郷家の判断基準でいえば『判定外』って奴らや」


 以前、綾乃から聞いたことがあった。体の外に放出して可視化、具現化できる奴は百人に一人だとか。


「そうや。稲田クンみたいなのでさえ、全体の比率でいったらコンマ数パーセントの逸材や。でな、組織が何をやっとったかっていうと、式を普通の人間に偽装する研究や」

「式の……偽装?」


 すぐには理解できなかった。 


「そうや。遺伝子やら何やらをとにかくいじくりまくってな、能力を常に身体能力へ還元させるようにして『普通の超人』を生み出すプロジェクトや。絶対にバレへんドーピングみたいなもんやな」

「で、そいつを作ってカネになったのか? やってることのわりには遠回りでセコイ話に聞こえるんだが……」

「それがな、ものすごいカネになっとるらしいわ。式に区分された学生は通常カテゴリの大会には出られへんようになるからな。ドーピング抜きの単純偽装だけでも、大金使うて自分の子を『普通』に見せたがる親が後を絶たん」

「マジかよ……」


 カラスがテレビに視線を戻した。一回表が終わり、守っていた球児は全力疾走でベンチに引き揚げ、今まで攻撃側だった高校の球児たちも同じく全力疾走でグラウンドに散っていく。

 その球児の中に、見覚えのある顔があった。


「なあ、真壁クン。高校生のやるスポーツで、一番人気のあるスポーツって、なんやろな?」

「そりゃまあ……野球か、それかサッカーか?」

「そうや。組織は本郷家に襲撃されてからも研究を続けた奴らがおってな、とうとう能力偽装ドーピングの『自信作』を世に送り出したんや。ほんまぼろ儲けらしいで、高校野球は」

「まさか……」


 優作とカラスは視線を交錯させたあと、ゆっくりとテレビに向けた。

 カラスは左手の袖からゆっくりとナイフを覗かせる。

 殺気に満ちていたが、優作は身構えることはしなかった。

 その殺気はテレビに向けられていることがわかったからだ。

 カラスは手首を返しただけでナイフを投げると、ラックに乗っていたテレビの一つに突き刺ささった。

 断末魔の代わりに小さな火花を散らしてそのテレビは映らなくなったが、他のテレビではマウンドに上がって投球練習している投手がアップになっていた。


「そうや。組織の最高傑作にして、甲子園のマモノ。川口龍星や」

「あいつが……」

「そうや。見てて不安にならへん? 完璧すぎて」


 確かにカラスの言う通りだった。カラスとは逆の意味で、見ていて何か不安になる。

 以前テレビで見たときに胡散臭いと思ったのも、カラスの歯を見て川口龍星を思い出したのも、あながち間違いではなかったらしい。


「そして俺が最後の失敗作、垂水十夜や」

「なっ!? 失敗作って……川口龍星の失敗作ってことか!?」

「そうや。俺の体にも式の力を偽装する遺伝子的な何かが組み込まれとるらしいわ。式弾が効かんのもその副作用やな。ただ、川口の方は能力の還元効率が段違いらしい。最後の最後、決勝戦で負けてもうてポイ、や。もし俺の方が残ってたら、今あそこにおるんは、川口龍星やのうて垂水十夜だったっちゅうことやな」


 カラスはテレビに視線を向けた。


「じゃあ、お前が昔、オレと戦ったことがあるって言ったのは……」

「野球の話や。中一の頃やったかな。真壁クンが怪我する少し前、一番脂の乗ってた時期やな」

「カラス、お前の気の毒な事情はわかった。けどよ、ソフィアやこの学校は関係ねえだろ。オレを殺したいなら相手になってやる。場所を変えろ。この学校は――白妙純心学園はもうすぐ入学式を控えてんだ。これ以上ぶっ壊されるわけにはいかねえ」

「そういうわけにもいかんのや。一応、今回の件は俺のスポンサーから依頼として受けててな」

「スポンサーってのは……オレたちが過去にかかわった組織の生き残りか? それとも稲田か」


 カラスはひらひらと袖を振って否定した。


「さあな。実は俺もようわからんのや。信用されてへんからな。稲田クンは……まあ、彼がクライアントて言えなくもないけど、稲田クンはただ俺を呼ぶだけのメッセンジャーや。呼んでくれるだけでええのに、中途半端に強い力を持っとるから、ややこしいことになりかけとるけどな。ちっ……一番打者がいきなり三球三振かい。情けないなあ」


 話しながらもきっちり試合は見ているようだった。

 川口の相手校は四国代表の公立高校で、優勝経験こそないものの、過去の大会で何度もその名を目にしたことがある常連校だった。


「カラス……いや、垂水十夜。お前の目的は一体何だ? 何を企んでやがる? お前の背後に黒幕はいるんだろうが、お前は大人しく命令に従ってるようにも見えねえし、そんな奴とも思えねえ」

「ははっ! やっぱ名前で呼ばれるんはええもんやね。俺の個人的な最終目的はな、川口みたいなのを消すことやった」

「川口を……消す?」

「そうや。川口もある意味被害者なんはようわかっとるけど、あんなのがおったら普通に野球してる奴が可愛そうやろ」


 意外な理由だった。だから聞いてみた。


「野球、好きなのか?」

「もちろん。好きやで」


 カラスは前歯の矯正器具を見せつけるように笑った。


「けどな、迷ってんねん」

「迷ってる?」


 とても何かに迷っている人間には見えなかった。というか、人間かどうかも疑わしくなってくる存在のカラスが「迷っている」などと発言したのが意外だった。


「俺に下されとる命令は、この校舎の破壊や。破壊して、本郷家傘下の学校設立を阻止することや」

「お前のクライアントがなんで本郷家の邪魔するのか、聞いても教えてもらえないんだろうな?」


 そう言うと、カラスは満足そうに頷いた。


「さすが真壁クン、わかっとるねえ、その通りや。俺や川口みたいな野球ロボとは違って頭が回る」

「それなら戦うしかねえだろ。さっさとソフィアを解放しろ。人質なんていなくても、お前が校舎を破壊しようとするなら相手になってやる」


 椅子から立ちあがると、カラスに「まあまあ」と椅子に座らされてしまった。

 いつ牙を剥くのかわからないのに、どうも気が削がれてしまう。

 そうやって油断させる作戦なのなら見事としか言いようがないが、どう見てもカラスにその気はないようだった。


「なんかな俺、真壁クンと会うてから、ちょっとおかしいんや」

「右腕の呪いじゃねえのか?」

「あっはっは! 呪いか! その通りかもしれへん、着けたら二度と外せんようになるっちゅう意味ではその通りやしな」


 自分で言いだしたこととはいえ、右腕を呪われたアイテム扱いされるのは、やはり気持ちのいいものではなかった。


「今日は真壁クンに事情を説明しながら川口の試合を一緒に見よう思っててん。川口の顔なんか見てられへんやろ思て、壊すの前提でこんだけテレビを集めたんや。こんな風にな」


 カラスはまたナイフを一本投げ、今度は支柱にアームで取り付けられていたテレビを一つ、破壊した。


「んで、実際見てみたら、そんなにむかつかんのや。あのさわやかな笑顔見ても。むしろ哀れんどる。可哀想な奴やなって」


 カラスは右手を――元々は優作のものだった右手を――リハビリでもしているかのように握ったり開いたりしていた。


「けどな、原因はわかっとんねん。さっき、真壁クンと少しやりあったとき、めっちゃ充実しとったんや。中一の頃、真壁クン相手に打席に入ったときと同じ感じやった。後にも先にも、野球を楽しいと思ったんは、あのときだけや」


 開閉を繰り返していた掌をぐっと握り締め、カラスはこちらを向いた。


「だから迷うんや。このまま命令通り校舎をぶっ壊してスポンサーに従いつつ川口を消す機会を待つか。それとも、充実感だけを求めて、命令度外視で真壁クンと本気でやり合うか」

「なら答えは出てるじゃねえか」

「何やて?」

「この校舎をぶっ壊そうとするなら、オレはそれを止める。白妙純心学園相手に本気を出さねえで済むとでも思ってんのか?」


 立ち上がってそう言い放つと、カラス左手で顔を覆って笑った。


「くっくっく……はっはっはっは! そうやね! その通りや! いやーめっちゃ充実させてくれるわ、真壁クン!」


 カラスも立ち上がると、もう一本ナイフ投げ、三台目のテレビを破壊した。


「川口……可哀想やなあ。そんな不感症みたいな野球しててもおもんないやろ? 俺はなあ、今めっちゃ充実してんで!」


 カラスが画面の川口に向かって語り掛けると、テレビとは違うところから警報のような音が鳴った。


「あらら……これから二回の表やっちゅうのに。稲田クン、もう我慢できんようになってもうたんか」

「どういうことだ?」


 カラスがジャージのポケットから携帯ラジオのようなものを取り出した。警報が鳴っているのはそれらしい。


「ソフィアちゃんの部屋に侵入者や」

「ってめぇ! 稲田をけしかけたのか!?」

「そんなわけないやろ。稲田クンには指示を出すまで待機してろ言うてたわ。痺れ切らしてこの部屋に乗り込んでくるくらいはすると思ってたけど、想像以上やったわ。ソフィアちゃんの部屋にセンサー設置しといて正解やった」

「ソフィアの身が危ねーことには違いないだろ! オレは行くからな!」

「大丈夫や。ソフィアちゃんの拘束は解いてある。もう起きとるはずや。危険なのはむしろ稲田クンかもしれんで? それに……」


 テレビでは二回の表、四番の川口の打席から始まり、初球をバックスクリーンまではじき返したところが映されていた。

 ガッツポーズしながらダイヤモンドを回る川口がアップになった瞬間に、カラスはまた一つナイフを投げ、テレビを破壊した。


「俺の戦う相手は真壁クンやろ?」


 カラスの殺気がテレビではなく、はっきりと優作に向けられた。

 ざわつくような気配が体を撫でていく。


「広いとこ、行こか」


 カラスが部屋を出て行き、優作もそれに続いた。

 そのとき、自分が笑っていることに気づいていなかった。

 優作も、カラスも。

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