鳴神裁×真バーチャル悪代官

畳縁(タタミベリ)

Ep.1 “渋カフェ” の招かれざる客

「オレは会ったこと無いんだけど、どういう人? バーチャル悪なんとかって」

 外気の滴が付いた熱いサイフォンを、布巾で丁寧に拭く若葉髪のマスターが、手を止めて間抜けなことを問う。


「欲深のおっさんだな。ただの」

 俺は濃い木目調のカウンターに肘をつき、外で貰った墨書きの一枚紙をひらひらとさせて、マスターにそう返してやる。 “渋カフェ” の常連共は、特にこれといった感慨も無く、その不可解な報せを受け流した。

 アナログな瓦版で撒かれた、降伏宣言。


 “バーチャル悪代官は、鳴神裁との敵対関係を解消する”


 本当かよ。

 何度もぶつかり合い、監禁されて催眠術を施され、拳さえ交えた相手だ。

 そう簡単に信じていたら、バカだぞ。


 俺が座るカウンターの端では、深酒をキメた幼女が後頭部を見せて横たわっている。髪も服も水色の、フリルが付いた小生意気な服装。魔法少女クソガキのちーだ。

「もうこわれた。もーだめだぁ。おかぁり」

 空になったグラスを振り振り、マスターにねだる。

「ちーちゃん、もう最後にしよ?」

 そう言いながら、マスターは酒瓶を開けた。

「あい。ついで」

「はいはい……うちは純喫茶なんだよ?」

「いいしょ、今日ぐらぃ……」

 琥珀色が、とくとくと注がれてゆく。

 ついでに言うと俺は18歳なので、酒は飲まない。


 外見上の未成年が、日中から潰れるほど酒を煽る様子はまったく、良いものとは言えないな。ちーは先日、自身を襲った炎上案件に身も心も灼かれてしまっていたんだが。愚痴と不満を溜め込んだ、ちーのような “にじ” 運営所属バーチャルライバーの拠り所が、このカフェというわけだ。


 どこからも嫌われるゴシップ屋として公言できない身ではあるものの、俺も “渋カフェ” をよく訪れている。かつての現実リアルにおける明治・大正時代を模した重厚なしつらえと、落ち着いたマスター(一応「ハジメ」、「サバキ」と名前で呼び合う仲なのだが)の人柄、そしてブラックのコーヒーの味が決め手だ。ここに座っていると、なぜだか思考が上手く廻るように思える。頭の中にある、ネタの練り上げには不可欠な場所だった。


「おまたせ、サバキの分」

 まあ、絶対に褒めてやらないがな……と、サイフォンから注がれ、そこに置かれた黒い液体のカップを口にした。

「ああ」

 天を仰ぐ。悪くない。 “にじ” 運営所属バーチャルライバーとしての役割を果たしながら、豆の味を維持していることに、感じ入る。


 こんな奴が、なんで炎上を繰り返し、自警団にぶっ叩かれていたのか。振り返ると不思議でならない。

 一瞥すると、ハジメはにこりと返した。

 見透かした顔しやがって。いや、大丈夫だろうけどな。

 不意にベルの音が鳴り、新たな客が入ってきた。


 そいつは時代がかったかみしもを着た、初老の男だった。俺を見つけるなり、岩のような顔に嫌らしい笑いが張り付く。

「いやはや、ここに居られましたか。鳴神殿」

 名乗らずとも、ハジメは理解した様子だ。

 揉み手で近付いてくるこいつが。

 バーチャル悪代官だ。


「瓦版、読んで頂けましたかな……」

「おっさん、何の用だよ」

 そう呼ばれて、一瞬止まる。そして再び、笑み。

「鳴神殿に、直接伝えねばと思いましての。ワシは対立する気などありませぬ」

「言ってろ。許すかどうかは別だ」


「そう言わずに――」

 背中に回った奴は、馴れ馴れしく俺の両肩に手を置いた。

「やめろ」

 肩を揉もうとするので、反射的に肘を回して撥ね除ける。


「グフフ、 “にじ” の皆様もお疲れでしょうな」

 カウンター端で転がるちーにも、わきわきと手が伸びる。

「セクハラ」

 触れる直前で、振り向かない幼女にぴしゃりと言われた。


「止しましょう。悪代官さん」

 ハジメが、目を細める。不快の合図。

 俺は、声を差し挟んだ。

「もう一度聞く。何の用だ」

 悪代官は、張り付いた笑みを口の端に残して。

「……ワシは、鳴神殿の助けになりたいのよ」

 目が合った。こいつは演技も上手い。

 真実味のある眼差しを、信じちゃいけない。


 肩肘を突いて奴の側を向き、ハジメのコーヒーを飲んだ。

 苦み。落ち着け。

「……生憎だが、間に合っている」

 カップを置いて、俺は言う。

「グフ、ふむ。では退散するか」

 悪代官は目を瞑った。

 踵を返し、カフェのドアへ向かう。


「ですが、鳴神殿。困ったことや、変わったことがあれば。ワシはいつでも、力になりましょう。よいかな、何かあれば真っ先に言ってくだされ……頼みますぞ」

 再びベルの音を鳴らし、奴は出て行った。

「……だってさ。どうだろ」

 そう問いながら、ハジメは店の仕事に戻った。


 俺の手元には、いつの間にやら悪代官の名刺が置かれていた。拾ってみると、連絡先が書かれている。

「俺から頼むなんて、絶対に無い」

 奴に関わること自体、悪手だからな。

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