第45話 悪妻、激高する

「やったぁー、見て! 見て! あたしも一級だわ」

「「えぇぇぇ!?」」


 スカートの裾が捲れるのも気にせず、ピョンピョン飛び跳ねるアリーがかわいいわね。

 じゃないって!

 あまりに恐ろしい真実に現実を直視出来なかったわ。

 本当にあのストレンジャー式勉強法で成績上がったというの?


 信じられないのが半分を占めてるけど、信じたい気持ちもあるのよね。

 実際にアリーと同じように勉強したら、全部を覚えるのが無駄なことに思えてきたのだ。

 正直、イディはふざけて、やってるのかと思ったんだけど……。


 でも、これでアリーは名実ともに王室公認の第二王子婚約者として、内定したはずだ。

 むしろ、約束を反故にしたら、お父様が抗議は無理……よね。

 お母様にしてもらえば、いいわね。

 その方が効果的なはず。

 民の上に立ち、民を導く立場にある者が見本を示さなくて、どうするという話に持っていけば、伯父様も認めたくなくても認めてくれるわ。


「セナ、話があるんだ。いいかな?」


 チコがやってきて、アリーと手を繋いで、キャッキャウフフと喜び合ってる様子は微笑ましい。

 想い合ってる恋人はこうも微笑ましく、見えるものなのね。

 そう思って、シルビアと一緒にうっとりと見つめていた。

 そこに思いつめた表情をしたイディがやって来たのだ。

 いつもより、ちょっと声が低い気がする。


「え? イディじゃない。あなたのお陰でって……どうしたの? 顔色が良くないけど」

「ここではちょっとね」

「じゃあ、中庭のガゼボなら、どうかしら?」

「分かった」


 シルビアに『ごめんね』と言うと『頑張ってくださいな』となぜか、応援された。

 何? どういうことなの?




 今日も中庭は静かだ。

 ガゼボにも人影がない。

 入ってはいけないなんて、校則もないのに不思議なのよね。

 設置されているガーデンチェアにレディファーストということで先に腰掛けると、向かい側に相対するようにイディが腰掛けた。

 隣り合って、腰掛けるほど親しい訳ではないし、私には婚約者がいるのだ。

 誤解されるような行為は避けなくてはいけない。

 これは淑女レディとしての嗜みでもあるわね。


「話って、どうしたの? あなた、顔色がすごく悪いわ」

「あ、うん」


 彼は相対していても相変わらず、真っ直ぐに目を合わせない。

 目が合いそうになると逸らすのだ。

 今日は青い顔をしてるけど、いつもはちょっと赤い顔してるのだ。

 あまり私のことを好きじゃないんだろう。

 喋るどころか、視線が合うのも腹立たしくて、顔が紅潮するほど怒っているに違いない。


 それでも冒険者として、友人として、仲間として、正面から付き合ってくれたのだから、感謝しかない。


「具合が良くないなら、保健室に行きましょうよ」

「あ、いや。違うんだ。そうじゃない」


 そういえば、イディって、この学園の生徒でもないのに堂々と入ってきてるんだった。

 あまりにも堂々としてるから、忘れてたわ。

 保健室へ連れて行ったら、私よりもイディの方が大変なことになっちゃうわね。


「僕は……君に嘘を吐いていたんだ」

「嘘って、今更じゃないの? 仮面を被ったり、ストレンジャーって名乗ったこと? それくらい気にしてないわ。だって、あなたは初対面から、変態仮面だったじゃない?」

「違う……違うんだ」


 違うって、何がなのよ。

 イディって、たまによく分からない時があるのよね。

 妙に影があるっていうのか、大人びて見える時があって、そんな彼の横顔に私は胸がドキドキするのだ。

 って、イディが変なこと言い出すから、私まで変になっちゃったじゃない。


「僕は……」


 そうそう、このちょっと俯いて、影のある少年ってところが似てるのよね。

 え? 誰に似てるんだろう……。

 思い出せないのに胸がチクチクと痛むこの妙な感覚は何?


「本当はイディじゃないんだ。僕は……」


 彼が俯いていた顔を上げ、初めて私と視線を絡ませた。

 その瞬間、胸を……心臓を直接、鋭利な刃物で刺されたような激しい痛みに襲われて、息が詰まりそうになった。

 それ以上は言わないで。


「モデスト・トリフルーメだ」


 苦しい。

 胸が苦しいの。

 それと同時に込み上げてくるのは燃え上がるような激しい怒りの炎だ。


「あなた、私を騙していたのね」


 ガーデンテーブルを掌が赤くなるくらい、強く叩き、立ち上がった私は無意識のうちにイディ――モデストの襟首を締め上げるように掴んでいた。

 知らないうちに掌に爪が食い込み、血が流れていたみたいでモデストのシャツが徐々に赤く、染まっていく。


「すまない。騙すつもりはなかったんだ」


 どうして、気付かなかったんだろう。

 ずっと友達と思っていたのがあの男だなんて、信じられない。

 きっと親身な振りをして、面倒を看てくれたのもアリーのことで助けてくれたのも裏があったんだ!

 私のことを影で嘲笑っていたんでしょう?

 あなたって、そういう人だものね。


「初めまして、婚約者様。私のことは構わないでくださいません? 必要ありませんから」


 本当はそうじゃないって、分かってるのだ。

 彼は真剣に私のことを思って、考えてくれてたんだろう。

 アリーのことでも善意から、手助けをしてくれただけ。

 それでも許せないと思ってしまう。

 彼が最初から、正直にモデストだと言ってくれなかったことが許せないのだ

 最初から、そうだと分かっていたら、こんな想いを抱かなくてよかったのに……。


 何も言わないモデストを突き放すように手を離し、私は一切、後ろを振り返らずに中庭を後にした。

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