第21話 悪妻、辟易する

 そう半年間はとても平和だったのだ。


 ピンク頭と遭遇することはなかった。

 これが大きいだろう。

 むしろ、半年間、一度も出会わなかったことが奇跡だったのかもしれない。


「セナ、大丈夫?」

「くっ……」


 廊下で派手に転んだわ。

 痛みよりも恥ずかしさの方が強い。

 転んだ拍子にスカートがそれはもう見事に捲れたせいなんだけど。


 それにしてもあのピンク頭、よくもやってくれたわね。

 物陰から、分からないように足を引っかけてくるなんて、高等テクニックだわ。

 咄嗟に風魔法で無事に着地! ともいかなかったんだから。


 ニタァと嫌らしい笑みを浮かべながら、こっちを見て走り去っていったから、あのピンク頭が犯人なのは間違いない。

 でも、証拠がないのだ。


 私を目の敵にする理由がそもそも無い。

 何より、半年も大人しくしていた理由が分からないのよね。


「チコ第二王子とはどうなんですの?」

「どうって、何がなの?」


 シルビアが助け起こしてくれたけど、他の誰も声を掛けてこないんだから、どうなっているんだか。

 『大丈夫ですか?』とか、あってもいいんじゃないの?

 遠巻きに見てるだけって、何かの罰ゲームみたい。


「あの子、王子にとてもご執心ですのよ」

「えー? チコは従弟で弟みたいなものよ。それに私には……」


 そっと私の唇に添えられたシルビアの細くてしなやかな指はそれ以上、言わないようにという意味だろう。

 婚約者内定の話はまだ、公的に発表されていないからだ。


「じゃあ、チコと仲が良いので気に入らなくて、嫌がらせをしてきてる?」

「多分。いえ、間違いなく、そうですわ」


 シルビアの推理には確かに頷けるものがある。

 チコ・ラピドゥフル第二王子は私と同い年だから、今年、王立学園に入学した。

 とはいえ、彼は入学式に顔を出していない。


 そして、半年間は学園に通ってすらいなかったのだ。

 どうやら、色々と調整すべきことがあって、手続きが遅れたらしい。

 ウルバノ王太子が入学した際にも色々とあったらしくて、今回の半年遅れとなったようだ。


 ウルバノと同級生だったナル姉とマテオ兄が当時、相当に揉めたということを遠い目というよりは死んだ魚のような目をして、教えてくれた。

 身分差がない平等な学園という建前だけではどうやら、難しいらしい。


「でも、挨拶しただけで社交辞令よ?」

「それでもなのよ。王子に言葉をかけてもらうだけでも特別なの。普通の令嬢にないことじゃない?」

「そうなの? 知らなかった……」


 それでピンク頭の恨みを買ってしまったんだろうか。

 入学式の日に王子がどうのって言ってたけど、まさか本気で王子狙いとは頭が痛い。

 だけど、この半年間、私も無策で過ごしていた訳じゃない。


 ピンク頭に関して、調べは付いているのだ。

 名前はアレシア・コルリス。

 コルリス男爵家の令嬢。

 筆記テストは合格ギリギリどころか、落とされるレベル。


 それを実技で披露した身体能力の高さだけで五級クラスに入った逸材。

 そして、あの令嬢らしからぬ言動である。

 どうやら、庶子で一年前まで市井で暮らしていたようだ。

 それ以上に『自分はヒロイン』発言が脳内お花畑にも程がある。


 小説は虚構なのだ。

 平民のヒロインが王子に愛され、身分の差を超えて結ばれる。

 そんな話は夢物語に近い。

 現実問題として、ありえないからこそ、憧れるものなのだ。

 私だって、ロマンス小説は好きだから、気持ちが分からないでもないけど。


「どうしますの? ヤっちゃいますの?」

「は?」


 教室に戻って、シルビアの第一声がこれである。

 ナル姉も同じようなことを言ってた気がするわ。

 お母さまも優し気な声色で『その子、邪魔ではないかしら? 処しておくの?』って、言ってたわね。

 私の周りには『売られた喧嘩をもれなく買います』という思考回路の持ち主しか、いないの!?


「しないって。私にだって、高くないけど王位継承権があるのよ? 王子に興味ないってことくらい、分かってくれるわ」

「そうかしらね。それなら、いいんですけど」


 私の考えがいかに甘く、シルビアの読みが正しかったのを知るのはそれから、間もなくだった。

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