閑話 家族の思い
これはセラフィナの両親であるグレンツユーバー侯爵夫妻の物語である。
セラフィナの父シモンと母サトゥルニナ。
彼らも平坦とは言えない苦難の道を歩んできた苦労人だった。
シモンはリーパ伯爵家の三男として、生まれた。
リーパ家は伯爵とは名ばかりの零落した貴族である。
初代は平民出身の騎士だった。
数多の戦で武人として名を上げ、授爵された。
以来、武門の家として長い歴史を築いてきたリーパ家だが、
与えられた領地は爵位の割に狭く、厳しい気候で知られる土地だった。
収入など望むべくもない。
これには平民からの成り上がり者とリーパ家を軽んじる動きが、貴族の中に確かにあったと言える。
ところが元々、貴族でありながら、慎ましい暮らしぶりをしていた彼らにとって、これらの嫌がらせはさして、苦ではなかった。
この苦境が武門の家としてのリーパ家に大きな変化をもたらすことになろうとは……。
リーパ家はいつしか、武官の家ではなく、優秀な文官を輩出する家として、知られるようになる。
何とも皮肉な運命である。
シモンの兄二人もまた、実家をどうにかしたいという思いから、経済学や農学の道へと進んだ学者肌の人間だった。
そんな中、三男という立場である程度、自由に生きることを許されたシモンは先祖返りとも言うべき騎士を目指した。
幸いなことに生まれ持って、身体能力の高さに恵まれていたシモンは念願かなって、騎士団に入ることが出来た。
シモンはやや薄い栗色の髪に薄いビリジアンの瞳をしており、特別に整ってもいない十人並みの容姿をしている。
騎士としても中肉中背で特に目立つようなこともない。
穏やかで飾らない人柄であり、何よりもある意味、愚が付くほどに真面目が歩いているような男だった。
陰口をたたく者はシモンを堅物と評し、囃し立てたがその人柄と職務態度から、上官――特に王族や高位貴族からは高く、評価されていたのである。
ある日、団長に召喚されたシモンは新たな辞令に我が耳を疑った。
そこには騎士シモン・リーパを第一王女サトゥルニナの護衛騎士と任じるという文字が記されていた。
ここでラピドゥフル王国の第一王女サトゥルニナについても触れなければ、ならない。
当時の国王ウンベルトは子女が多いことで知られている。
中でもとりわけ、目立っていたのが王太子である嫡男ウリセスと第二王子ヨシフ。
そして、第一王女であるサトゥルニナだった。
王子両名が文武両道に長け、次代を担う王族の誉れとして、称えられていたのに比べ、サトゥルニナの評価はいささか趣が異なる。
金糸のように陽光に煌めく、豪奢な黄金の長い髪と美貌で知られる癒しの女神の如しと称えられた整った
エメラルドのような輝きを見せる神秘的な瞳を持つ美しき姫君。
ただし、その性格は苛烈。
ロマンス小説に登場する悪役令嬢のような我儘なプリンセス。
それがサトゥルニナに下された評価だったのだ。
しかし、その評価は大きな誤りである。
サトゥルニナは誤解されがちな容貌のせいで他者を寄せ付けない傍若無人な立ち振る舞いと取られていただけに過ぎない。
彼女は家族以外とはまともに会話すら、出来ない極度の人見知りだった。
特に男性に対して、その症状が酷く表れる。
サトゥルニナは王家に生まれた者として、いずれ嫁がねばならない身にある。
彼女にとって、幸運だったのはその症状に理解ある家族に囲まれていたことだ。
だが、そんなサトゥルニナにもデビュタントという名の試練が訪れようとしていた。
エスコートは同母兄であり、年齢も近いヨシフが快く引き受けてくれたが、難航したのは護衛騎士の選定だった。
心を許し、信の置ける騎士を傍に置かなければならない。
果たして、そんな者がいるのだろうか?
そんな中、サトゥルニナが呟くように告白した。
ある一人の騎士を影ながら、慕っている、と……。
その騎士の名こそ、シモン・リーパだったのだ。
病ゆえ、慈善活動にもあまり、積極的な活動を見せることのなかったサトゥルニナが唯一、定期的に訪れる場所があった。
王都の郊外にひっそりと建つ修道院である。
この修道院は孤児院を運営をしており、密かに訪問し、子供達と交流するのが彼女にとっての癒しとなっていたからだ。
ある日、いつものように孤児院を訪問したサトゥルニナはおりからの猛暑にやられ、立ち眩みを起こした。
酷い倒れ方をしかけ、危ういところを助けたのがシモンだった。
修道院を訪れていたのも偶然であり、倒れかけていたサトゥルニナに気付いたのも偶然である。
だが、それは運命だったのかもしれない。
かくして、シモンは第一王女サトゥルニナの護衛騎士となる。
シモンは堅物の名に恥じぬ忠実な騎士だった。
しかし、いつの頃からだろうか。
二人が交わす視線には互いを思いやるものが含まれるようになっていた。
周囲の者達――特にサトゥルニナの兄であるヨシフはもどかしい様子にヤキモキしつつも環境を整えることに注力する。
時は流れ、ウンベルト王が崩御した。
晩年は不治の病に侵されていたとはいえ、まだ五十三歳という若さであった。
王太子ウリセスが即位し、王弟ヨシフがこれを補佐する。
ウリセスは王太子時代から、俊英の誉れ高き人物であり、長じていれば名君と謳われただろう。
だが、即位から三年後。
ウリセス王は二十三歳の若さでこの世を去る。
突然死であり、まだ嫡子がなかったことから、王弟ヨシフが即位した。
そして、満を持したように発表されたのが王妹サトゥルニナの降嫁とグレンツユーバー侯爵家の創設だった。
緩やかに、確実に愛を育んでいたシモンとサトゥルニナは誰の目から見ても仲睦まじい夫婦として、知られるようになっていく。
堅物で寡黙な男として、知られるシモンが夜会に愛妻をエスコートした際に目撃された『まめ』な姿は語り草となったほどである。
しかし、愛し合う二人であっても愛の結晶には恵まれないまま、時が過ぎていく。
これを憂いたヨシフ王の仲介でリーパ家の遠戚から、養子を迎えることにした。
養子に迎えられたマウリシオは生まれてすぐ、グレンツユーバー家に出されたので二人を実の親と思い、すくすくと成長していく。
シモンとサトゥルニナもまた、マウリシオに愛情を注いだ。
そして、マウリシオが五歳になった時、サトゥルニナが娘セラフィナを産んだ。
愛すべき家族が増えたグレンツユーバー家はセラフィナを中心に笑顔の絶えない温かい家庭を築いていた。
そう。運命の日が来るまでは。
マウリシオとセラフィナは実の兄妹以上に仲が良く、一流の教育を受け、どこに出しても恥ずかしくない令息・令嬢に成長していった。
しかし、セラフィナが十一歳になった年、運命の歯車が狂い出す。
彼女が慕うウルバノ王太子がファルクス王国の姫を妃とすることを発表したのだ。
この王太子妃の選定にはラピドゥフル・ガレア・ファルクスの三国同盟が深く関係していた。
このことが余程、ショックだったのだろう。
セラフィナはこれまでの完璧な淑女ぶりが鳴りを潜め、悪役令嬢さながらの我儘で悪辣な娘になってしまった。
それでもシモンとサトゥルニナにとって、目に入れても痛くないほど可愛い愛娘である。
我儘ぶりに手を焼きつつもセラフィナに愛情を注いでいた。
どこか冷めた目線でそれを見つめるマウリシオを除いて。
再び、運命は動き出す。
セラフィナが十二歳になると降って湧いたようにトリフルーメ王国の王子モデストとの政略結婚の話が持ちかけられた。
モデストの名を聞いたセラフィナが突如、意識を失い、謎の高熱により生死の境をさまようことになったのはこの時である。
この事態にシモンは慌てふためき、冷静沈着で何事にも動じない仕事人間と言われた過去が嘘のようだったという。
そんなシモンを見て、逆に冷静になったサトゥルニナが万事を取り仕切り、いつセラフィナが目を覚ましてもいいように取り計らった。
セラフィナが目を覚ました時、シモンとサトゥルニナの反応が過剰なほどに敏感だったのは以上の経緯があったからなのだ。
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