第19話 焦らないで

 「こ、こんにちは。ここへは何しに?」


 俺は氷崎さんに聞いたつもりだったのだが俊が答えた。


 「そりゃあ図書室なんだから本読みに来るか勉強するかのどっちかだろ」

 「いや、そりゃそうだろうけど・・・。って、お前が答えるな」


 俺の言葉に俊は「まぁまぁそう言わずに」とか言ってやがった。君のそういうところ、嫌いじゃないです。

 氷崎さんは俺達のやり取りが面白かったのかクスクス笑った後、こう言ったのだった。よく響くきれいな声で、穏やかな笑みをたたえながら。


 「神ノ島くんに、会いに来たの」


 ・・・くっ!!



 何だろう、この胸の高鳴りは。正直に言ってドキッとした。不快感など少しも感じなかった。やはり俺はこの女の子のことがまだ好きなのだろうか。多分、今俺は顔を赤くしているだろう。


 けれども最近は紅島にも同じような胸の高鳴りを感じるようになってしまった。これは一体どういうことか。もし、俺の心があいつにも傾きつつあるとしたら・・・


 俺はもちろん、向かいの俊も何も言わずにいると氷崎さんは再び口を開いた。


 「・・・冗談よ」


 ・・・嘘つけ。冗談だったらもっと冗談っぽく言ってくれ。


 彼女の表情はなぜだか少し悲しそうに見えた。そこに嘘や偽りの色は見えなかった。


 だが氷崎さん自身が冗談だと言ったんだ。だからそういうことにしておこう。


 「・・・だよね。あんまり俺をおちょくらないでくれよ」

 「・・・ごめんなさい。君の反応が面白いから、つい」


 俺達の会話を俊は黙って聞いていた。多分、彼は気づいているだろう。けれど口に出さないところがまたこいつらしい。普段は少し、いや大分バカっぽいのだがこういうところでは敏感なのだ。


 「じゃあ、何しに来たの?」


 俊が聞くと氷崎さんは当然だと言わんばかりにこう答えた。


 「テスト勉強だけど。テスト、近いでしょ?」


 ま、考えようによってはこの場に氷崎さんが現れたことは良いことかもしれないな。


 なぜかって?そりゃもちろん。


 「お、ちょうどいいな。俊、理系科目は氷崎さんに教えてもらえよ。いいよね?」


 言い終えて彼女の方に目を向けると小さく頷いて「ええ、構わないわ」と了承してくれた。


 氷崎さんは当然のように俺の隣に座ってきたがそれは見逃すことにしよう。まぁ、なんか微妙にいい香りが漂ってきて思考が阻害されそうだが。


 なんにせよ、俺にとっても悪くはない状況だった。俺も彼女に勉強を教えてもらえるし、交流を多少なりとも深めることも出来る。


 恐らく氷崎さんにとっても好都合なんだろうな、この状況は。それを作り出したのは他でもない俺なのだが。


 ****


 「いいか?歴史は流れだ。ひとつひとつの単語をただ覚えるだけじゃ頭に入らない。時系列で覚えろ」

 「うぃーっす」


 俺と俊が日本史についての話をしている隣では氷崎さんがカリカリとシャーペンを走らせていた。

 ちらっとノートを除いてみると綺麗な字で数式が書き込まれていた。


 っていうか、やっぱ横顔すげぇ綺麗だな・・・。はらりと垂れた前髪も艶がありさらさらしてそうだ。


 って、いかんいかん。集中せねば。


 俺は自分の勉強に戻った。わざとなのだが俺も数学の勉強をしていた。別にいいだろ?勉強は詳しい人に教えてもらうのが一番だし。


 ん、なになに「先生でもいいだろ?」


 あの数学教師教え方が下手なんだよ。正直何言ってるか分かりにくすぎる。実際周りの生徒たちの話を聞いていてもちらほらそんな愚痴が聞こえてくる。


 「えーっと・・・?これをこうして・・・あれ?」


 うーむ、行き詰まってしまった。


 「はは、大貴先生行き詰まってやんの」


 前からそんな声が聞こえてきた。


 「うっせぇわ。だから得意じゃないって言っただろ」

 「ごめんごめん、分かってるって」


 まったく。


 俺たちの会話を聞いていたのか、氷崎さんが口を開いた。


 「ん。どうかしたの?」

 「大貴が教えてほしいってさ」


 彼女の言葉にまたしても俊が答えた。しかもおどけながら。


 ちょ、お前。まぁ、本心だからいいけどさ。


 「何、そうなの?言ってくれればよかったのに」

 「あ、あー・・・うん」


 言おうとしてましたから!!親友が勝手に答えただけで。


 「あ、あのー、ここなんだけど。ちょっと解き方が、分からなくて」


 問題集をゆっくりと氷崎さんの方へ寄せて分からないところを指で示した。やはり緊張していたので目線は彼女に合わせられなかった。


 はぁ、ほんと。俺の心はどうしちまったんだろうか。


 「これね。んー・・・これはね、公式をそのまま使うんじゃなくてこう変形してこうするの。それをここに代入すれば完了よ」


 氷崎さんは自分のノートにさらさらっと書いて俺に示してくれた。


 「あー、なるほど。あ、ありがとう」

 「いいえ。これくらいなんてことないわ」


 俺は机の方を見ながらお礼を言った。目を合わせないと、とは思うんだけどな。氷崎さんは俺の方を向いていたし。


 正面の俊が「さっすがー!」とか言っていた。本当にすごいと思う。あの数学教師と代わってください。


 「おい、俊。次は国語やるぞ。現代文だ」

 「えー」

 「えー、じゃない。さっさとやるぞ」

 「へいへい」


 そうして、図書室が閉まるくらいまで俺たちは勉強を続けたのだった。その間、心臓の鼓動はなかなか鳴り止まなかった。


 ****


 帰り道。俺と俊が並んで自転車を押しながら歩いていた。途中まで氷崎さんを送って今は俺の家までの道を進んでいる。

 

 太陽は西に深く沈み、もうすぐ夜の帳が降りようとしていた。烏がかぁかぁと鳴きながら俺たちの遥か上を通り過ぎて行った。


 「なぁ・・・大貴」

 「・・・なんだよ」


俊の表情と声音が少し真剣な感じだったので若干身構えた。まぁ、普通にアホなことを言ってきたりもするのだが。


 「もし自分が、友達が好意を寄せている女の子を好きになっていると気づいたら、どうする?」

 「・・・な、なんだよ。いきなり」

 「いいから。答えてくれ」


 俺は俊の方を見たが、彼は俺を見ようとはせず、前を向いたままだった。ただただ真剣な表情で。


 どうやら冗談や軽い気持ちで言った言葉ではないようだ。ならば俺もそれについて真剣に考えて、答えをださねばならない。


 だが少し、嫌な可能性が頭をよぎった。


 こいつは昼休みに頻繁にと会っているはずだ。俺と一緒に食べる日以外は。それに、あいつのクラスで起きた問題を解決してやってもいる。少なくとも気にかけているのは確かなはずだ。


 -もし、それが好意から来るものだとしたら?


 じわっと嫌な汗が体から吹き出してきた。


 いや、考えすぎかもしれない。彼は何も言っていないじゃないか。友達は俺以外にも多くいるはず。俺のことを指しているとは限らない。


 早まる鼓動を必死に押さえつけて、平静を装いながら答えた。


 「構わず取りに行く。・・・俺が友達の立場だったら、変に気を使って欲しくはない」


 これは俺の本心を混ぜた言葉だった。もし、だったとしてもこいつに気を使われたくはない。


 俺の返答に対して俊はしばらく無言だったが、しばらくしてから「そっか」と返し、俺に向かってニカッと笑った。


 「・・・おう」


 何が返ってくるかヒヤヒヤしていたので俺はその返答に安堵した。


 「んじゃ、頑張ってみるわ」


 俊は暮れゆく空を眺めながら俺に向かって宣言した。


 「何を」頑張ってみるのか。そんなのは分かっていたので聞かなかった。


 だから俺はこう、返した。


 「頑張れ。俺も、頑張るから」


 これはうかうかしてられないかもしれない。


 そう心の中で思うのだった。


 ****


 夜。ひとりで悩んでいても何も決着がつきそうになかったので、少々気恥ずかしいが母さんにそれとなく相談してみることにした。


 「ねぇ・・・母さん」

 

 ソファに座りながら話を切り出すと、母さんは台所で作業をしながら「ん。どうしたの?」と聞いてきた。


 「これは、友達の話なんだけどさ」

 「ふーん、友達の話、ね」


 口調からして明らかに疑っているのは分かったが、構わず続けた。


 「そう、友達の話。彼はずっと思いを寄せている女の子がいるんだけど、最近は別の子にも好意のようなものを抱き始めているらしいんだ。それでふたりから告白されたんだけど、返事はまだで。自分の気持ちがよく分からなくて・・・悩んでいるみたいなんだ」


 俺が言い終えると母さんは「そうね・・・」としばらく考え込んでいたが、少ししてまた口を開いた。


 さて、どんな言葉が返ってくるか。


 「確かに自分の気持ちって、案外自分でもよく分からないものよね。『何でこう感じたんだろう』『何でこう思ったんだろう』ってことは良くあることだと私は思うわ。けれど、焦らずゆっくりと自分と向き合ってみればどうしてその子を好きになったのか理由が分かるはず。まずは焦らないことが大事。焦って答えを出しても相手の子を傷つけることにしかならないと思う」


 「・・・うん。そうだね」


 すごく、まっとうな話をしてくれた。


 「それから、相手に対する気持ちの大きさを考えてみて欲しい」

 「気持ちの、大きさ」

 「そう。同じ『好き』でもある程度差はあるんじゃないかしら。その子のために自分はどこまでできるか。命を懸けられるか、日常生活ができなくなっても世話をしてあげられるか、とかね。ちょっと重い話かもしれないけれど」


 母さんは少し苦笑した。


 「いや、そんなことはないよ」


 はっきり言ってかなり大事なことだと思う。

 

 だが。


 「じゃあさ、『好き』の大きさが一緒だったら?」

 「・・・そうね、それはなかなかないことだと私は思うけど・・・」


 母さんは「うーん」と唸りながら一生懸命考えていた。ほんと、ありがたい限りである。


 「ごめん、分からない。私も何でも知ってるわけじゃないから」


 そりゃそうだ。大人だからって何でも分かるなんてことはないだろう。子供の頃こそそう思っていたが、今では違う。


 「ごめん、難しいこと聞いた。友達にはちゃんと伝えとく」

 「ううん、いいのよ」


 俺は立ち上がってリビングのドアに手をかけた。ドアノブを回して出ていこうとしたとき背中の方で声がした。


 「頑張って、大貴」


 はは、やっぱり分かってたか。


 俺は心の中で「ありがとう」と伝えてリビングを出ていった。


 とても大事な話を聞かせてもらった。しっかりと心の中に刻み付けて彼女たちと向き合っていこう。


 

 



 


 


 


 

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