第18話 噂、だよな

 俺が言い終えると、氷崎さんは訝しげな表情を浮かべて口を開いた。


 「どうしてそんなことを聞くのかしら?」


 まぁ、当然の質問だな。 


 「この前聞いたけど、違和感を覚えたんだよ」

 「違和感?」

 「そう、違和感」


 俺は窓から見えるどんよりと曇った空に目を向けながらゆっくりと言葉を紡いだ。


 「氷崎さんはこの前の俺の走りを見て、今ここにいる神ノ島大貴がかつて自分に力を、光を与えてくれた人と同一人物だと分かった。そして数週間俺と紅島の様子を見ていて抱いた気持ちの正体に気づくことができた。確かそう言ったよね。・・・けど、俺はもうかつての俺じゃない。紅島が言うには俺は大分変わっちまったらしい。自分でも変わったんだろうな、とは思ってる」

 「理由については嘘のない本心よ。・・・まぁ、君の言いたいことは分かったわ」


 まだ話は途中だったが彼女が口を開いたので黙って前を向いた。氷崎さんはじっと俺の方を見ていた。真剣な表情で。


 「つまり、私が好きなのは『かつての君』であって、『今の君』ではないのではないか。そういうことでしょ?」

 「・・・うん、そう」


 聡明な彼女は俺の意図を正確に読み取ったらしかった。


 氷崎さんはしばし無言で瞑目し、それから目を開いた。


 「私は・・・たとえどれだけ外に現れているものが変わったとしても、奥底にある根本までは変わっていないと思うの。人の行動原理とも言える信念ってなかなか変わらないし、変えられないものよ」

 「・・・そうかな」

 「そうよ」


 彼女ははっきりと、意志のこもった声音で言い切った


 「じゃあ氷崎さんからすれば、かつて見た俺と、今の俺は変わっていないと?」

 「ええ。だって、この前の君―」


 彼女はこんな言葉を、続けたのだった。


 「とても楽しそうだった。活力に満ちていた。かつての君もあんな感じだったわ」

 「・・・・・!!」


 氷崎さんの視線は教卓の机に向けられていた。表情はとても大切なものを愛でるような、そんな優しさに満ちていた。


 ・・・そっか。俺、そんな表情してたのか。


 多分、無意識にしていた表情だったのだと思う。あのときは必死だったからよく覚えていないけれど。


 それだけに、彼女の言葉には説得力があると感じた。無意識に顔に出ていたということは自らの奥底にある根本、言い換えるとしたら心が、走ることが楽しいと叫んでいたのだ。


 思わず笑みがこぼれた。


 「ははっ、そっか。確かに、根本までは変わってなかったのかもしれないな」


 思えば練習を始めてからは走ることそれ自体を苦痛とは感じなくなっていた。ただ走る理由ときっかけがなかっただけ。理由を与えられなければ動けない人も少なからずいるはずだ。


 ただ、その理由ときっかけをくれたのは。


 あの、無邪気で元気な後輩なのだが。


 「ただ、そうね。今から思えば君のことに興味を持ち始めたのはあの時からだったのかも」

 「え・・・・・あの時っていうのは?」


 氷崎さんは挑発するような不敵な笑みを浮かべていた。


 あのー、勿体ぶらず教えていただけませんかね・・・


 「ヒントは去年よ」

 「去年・・・・・」


 うーん、あなたのこと以外どうでもよかったのでよく覚えてないんですよねぇ。まぁ、そんなことは口が裂けても言えないが。


 「西ノ宮さん、あなたには恩を感じているそうよ」

 「えーっと・・・誰だっけ?」


 俺がそう言うと彼女は呆れたようにため息をひとつ吐いた。ごめんなさい、人の顔と名前覚えるのは得意じゃないんです。


 「、と言えば分かるかしら?」

 「・・・ああ、あいつか」


 彼女なら先日顔を見た。そういえばその時もなんか言ってた気がする。


 ようやく何のことか分かった、と思う。


 別にどうでもよかったんだけどな。は多分、気まぐれだったんじゃないか?実際、今の今まで気にしてこなかったわけだし。


 「あー、何のことか少し思い出したよ。別に大したことじゃないって」

 「謙遜しなくていいのに。あれは立派な人助けよ」

 「本当に何でもないことだよ。それに、人助けをしといて孤立してるんだからただのアホだよ」


 俺は吐き捨てるように言い放った。 


 「・・・方法はちょっと乱暴だったかもしれないけど。まぁ、去年のクラスが問題だっただけよ」

 

 そうだっただろうか。去年は碌にクラスに目を向けてはいなかったからか、人間関係とかはほとんど頭にない。数人は鬱陶しいやつもいたような気がするが。


 ん?待てよ。


 「氷崎さん、あの場にいたっけ?」

 「もちろん・・・・・・・・・・・・・」


 なんかめっちゃ勿体ぶってきた。目は俺の方を向いており、薄い笑みが浮かべられていた。


 しばらく無言だったが突然、教壇を降りて俺の前まですたすたと歩いてきた。


 って、こんなに近くに来なくてもいいんじゃないですかね。瞳とかまつげとか見えるレベルなんですけど。


 やだ、ドキドキしちゃってる。


 そして彼女はささやくように口を開いた。


 「いなかったわよ」

 「い、いなかったんですか・・・・・」


 俺、完全に遊ばれてませんか?


 「でも、その様子を廊下から窺ってたの。とても入っていけるような雰囲気ではなかったってのが理由かしら」

 「そ、そうですか・・・」


 俺はどこか遠くを見ながら言った。動揺する俺の反応を見て楽しかったのかクスっと笑った後、俺から離れて教室後方の窓に向かった。俺は正面を向いたままだ。


 「今だから言うけどね、あの時の君はとてもカッコよかった」

 「・・・ありがとう」


 心拍数が上がりながらもお礼を言っておいた。謙遜も度を過ぎれば無礼だと言う。ただ残念なことに記憶が少し曖昧なのだが。


 話の要点を整理すると、あの時の俺の姿が彼女の眼には魅力的に映っていた。その時から気になり始めていたのかもしれない。ということか。


 ふと時計を見ると、話し始めてから40分以上が経過していた。そろそろ誰かくるかもしれない。


 とか思ってると唐突に話題を変えてきた。


 「あ、そういえば・・・返事については焦らなくていいのよ」


 あ、ああ。その話ね。 


 「・・・いいの?」

 「ええ。紅島さんともいろいろあったみたいだから。私としては気持ちの整理をきちんとつけてから答えを出してほしいし」

 「まぁ・・・俺もそうするつもり」


 参ったな。思いっきり見透かされてる。


 「さて。話はこれでおしまいでいいかしら」

 「あ、うん。ありがとう」

 「生徒会、頑張りましょう」

 「うん」


 彼女は廊下側後方の扉まで歩いていき、手前で静止した。


 なぜかと言えば、言い残したことがあったからだ。


 「あ、最後にもう一つ。西ノ宮さん、生徒会選挙に立候補するらしいわよ」


 氷崎さんはそれだけ言って、扉を開いて教室を後にしたのだった。


 マジかー。あの人もかよ・・・


 ****


 その日の昼休み。


 俊がやってきたので一緒に昼飯を食べていた。


 「もう演説とか諸々の準備は整ったのか?」

 「一応な。別に大した準備なんてしなくたってどうにかなる」

 「はは、お前らしい」


 話題は生徒会のことだった。


 「あ、そうそう。ちょっと妙な噂を聞いたんだけどよ」

 「噂?何の?」

 「この話の流れで生徒会以外に何があるんだよ」

 「それで?」

 「あくまで噂なんだけどよ」

 「さっさと話せよ!」


 俊のやつが無駄に真剣な表情で言ってくるのと、勿体ぶってくるのが鬱陶しかったのでちょっと強めに先を促した。


 「生徒会に入ったら、恋愛禁止なんだとか」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 「・・・・・・・・・・・いや、まぁ、噂だろ?俺、聞いたことねぇし。」


 表面上は強がっていたものの、内心ではかなり動揺していた。


 いや、まさか。え、いや、ないない絶対ない。ないよね?ないよね?ないって言って!!


 誰に言ってるんでしょうか。


 「顧問の先生の方針なんだとか。『生徒会役員たるもの身も心も清く正しくあるべし』だとかなんだとか」

 「い、今時いねぇだろ、そんな先生」


 教師は多忙な職務だと聞く。たかだか高校の生徒会ごときにそこまで口を出してる暇はないだろう。


 「でも、確か面倒くさいって噂の先生ならいたぞ?その人が顧問かは知らないけど」

 「へ、へぇー。別に、どうでもいいけど」

 「はは。一応、用心しとくんだな」

 「そういえば、もうすぐテスト週間だな」

 「・・・・・へ?」


 俺が唐突に話題を変えたので、俊の口から素っ頓狂な声が出た。


 「お前は赤点に用心しとくんだな」

 「あぁぁぁぁ!!助けてくれー親友よー!」


 言ってくると思った。心配しなくとも付き合ってやるさ。


 「放課後、図書室で勉強会な」

 「ありがとよー!!」


 俊が俺の制服の袖にしがみついてきた。暑苦しいわ。


 ****


 放課後。


 紅島が教室に来たのだが「俺はこれから図書室で俊と勉強会だから先帰ってくれ」と言って追い払った。「じゃあ、私も!」とか言い出したが「お前に構ってるほど余裕じゃない」って突っぱねた。


 少ししゅんとしていたが仕方ないんだよ。たまには少し距離を取ってみるのも大事だと思うんだ。それにクラスの友達とも仲良くやってほしいし。


 ちなみに今日は顧問が不在らしく、サッカー部は休みらしい。


 というわけで俺と俊はふたりで図書室まで歩いた。


 「言っとくが理系科目はそこまで得意じゃないからな」

 「はは、分かってるって。去年からの付き合いだろ!」

 「・・・そうだったな」


 こいつは物好きなやつだから俺のようなやつと付き合ってるのだと最初は思ったがそれは違った。


 実際、いいやつなんだよな。明るくて、眩しくて。


 一階まで降りて図書室の扉を開き、中に入った。古い書籍もあるからか、独特な匂いが鼻孔をくすぐってきた。


 室内にはカウンターにいる図書委員以外にもちらほらと何人かいたが気にしなかった。


 「あそこ、座るぞ」


 俺たちは適当な机に向かい合って座った。そして教科書類を取り出して始めようとしたのだが、驚きで硬直してしまった。


 なぜなら。


 「あら、神ノ島くん。それと・・・真水くんね。こんにちは、奇遇ね」


 氷崎冷菜がこの場に現れたからだった。


 何かニヤニヤしてるんですが。さては話を聞いてたな・・・・・


 ため息を吐くしかなかった。


 


 

 


 

 

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