第17話 誰だって変わるものだ

 「あ、え、・・・・・」


 氷崎さんに何か言おうとしたが口は上手く回らず、意味のない言葉ばかりが漏れ出た。紅島は俺の方を向き、無言でどういうことかを問うていた。なぜ彼女がいるのか分からないのだろう。無理もない。


 何か言わなければ。


 そう思ってはいたが、あの日の告白のことが頭をよぎってしまい、依然として何も言えずにいた。


 そんな自分を情けなく思い、俯いて「ちっ」と小さく舌打ちを漏らした。


 俺達の間には数分間沈黙が流れてしまった。選挙管理委員さんには悪いなと思っています・・・・・


 遠くから運動部の掛け声や吹奏楽部の楽器の音が聞こえてくる。沈黙が流れているせいか、いつもよりはっきり聞こえる気がした。


 しばらくして最初に沈黙を破ったのは氷崎さんだった。


 「あ、えー、神ノ島くんに紅島さん。こんにちは。まさかふたりがここに来るとは思っていなくて。もしかして、ふたりも・・・・・」

 「あ、はい。そうですね。私たちも立候補しようと思ってます。冷菜先輩もなんですね」


 俺は黙って顔を上げ、ふたりの会話を聞いていた。紅島は俺の心中を察してか、代わりに答えてくれたようだ。


 ありがとな、ほんと。


 思わず笑みが漏れた。心なしか緊張も少し和らいで脈拍も落ち着いている気がする。


 ふたりの会話は続いた。


 「・・・そう。でも、紅島さんはともかく、神ノ島くんも生徒会に入る気があったなんて意外だわ」

 「そうですか?先輩はこう見えて結構真面目なんですよ?それも超がつくぐらい」

 「ふふっ、そうだったわね・・・」


 紅島の言葉を氷崎さんは笑みとともに肯定したが、その笑みにはどこか影を孕んでいるように思われた。


 って、ふたりして何の話してんだよ・・・


 俺はようやく口を開くことが出来た。


 「あー、こんにちは、氷崎さん。まぁ、いろいろあって俺も立候補することにしたんだよ」

 「いろいろ、ねぇ・・・・・」


 氷崎さんは意味ありげな視線を向けてきた。ぐ・・・・


 「あ、ああ。いろいろ、だ」


 内容を答える気はないという意志とともに俺がそういうと、氷崎さんは「そう」と頷いて長くきれいな髪を翻しながら俺に背を向けた。


 「まぁ、ふたりともよろしくね。多分、当選されるでしょうから」


 それだけを俺と紅島に言い残すと、彼女は置き去りにしていた選挙管理委員に謝罪し、二言三言交わして颯爽と生徒会室を後にしようとした。


 まだ彼女に去られては困るので俺は「氷崎さん」、とちょっと強めに呼び掛けた。すると氷崎さんはドアの手前で静止した。


 「いくつか話したいことが、あるから。明日の朝・・・空いてる?」


 俺がそういうと彼女は考えるようなそぶりを見せた後、「7時に教室で」とだけ答えて今度こそ去っていった。


 彼女の真意はいまだによく分かっていない。だから、知る努力をしなければならない。

 

 まぁ、俺の気持ちもよく分かっていないのだけれど。でも、そう遠くないうちに決着をつけなきゃいけない。向き合うと、決めたから。


 だからまずは、そのための一歩を。


 ***

 

 「先輩、どうして明日の朝なんですか?別に、今からでも時間はあるはずですが」


 選挙管理委員に書類を提出し、俺と紅島は帰路に就いていた。太陽は西に傾いていたが日の入りまではまだ時間がありそうだった。


 「それは・・・あれだ」

 「どれですか?」


 俺が言い淀んでいると紅島は訝しげな視線を送ってきた。


 「あの人の家、結構厳しいらしいんだよ。だから話が長引いて帰りが遅くなると迷惑かけそうじゃねぇか?」

 「・・・・はぁ」


 なぜか溜め息を吐かれてしまった。呆れられる理由が分からん。


 「まぁ、日本人の美徳とも言われてますが・・・。聞いてみないと分からないことも多くあると思いますよ」


 言い終えた後、紅島は小さな声で「昔はそんなんじゃなかったはずだけどなぁ」と付け加えた。


 言いたいことは何となく分かった。


 「昔の自分のことははっきり覚えてねぇけど・・・。まぁ、お前が変わったって言うんだったら、変わっちまったんだろうな。人間って案外簡単に信念とか生き方を曲げちまう生き物だな」


 「・・・そうですね。変わらない自分なんてものは存在しないのかもしれません。・・・って、先輩、聞こえてたんですか!?」


 ああ、もちろん。


 だが俺はすっとぼけた。


 「あ?何のことだよ?」

 「とぼけても無駄です!じゃなきゃ『お前が変わったって言うんだったら』なんて言わないはずです!」


 ふむ。意外とアホではないようだ。まぁ、うちの高校に入れる時点でそこそこの頭はあるのだが。


 俺の方こそ、こいつを何だと思ってるんだろうな、ほんと。


 左に視線を向けると大層お怒りの様子だった。別に怒るようなことじゃねぇだろ。


 しょうがないので白状することにした。


 「ああ、聞こえてた。『昔はそんなんじゃなかったはずだけどなぁ』って言ったんだろ?別に俺に聞かれてまずいところなんてないはずだが」


 俺がそう言うと、紅島はまた「はぁ」と溜め息を吐いた。


 「そうですけど・・・。もっと勉強してください」


 「何を」とは聞かなかった。まぁ、確かにそれを勉強する必要があるのかもしれない。本当によく分からないし。


 ところで。


 「変わらない自分、か。そう言えばお前も・・・大分、変わったよな、ほんと」


 今のこいつと過去のこいつとを比べてみると本当に変わっている。別に悪い方向に変わったわけではないのだが。


 だって、ね?


 俺が昔、「髪はショートで、明るくて、一緒にいて退屈しない子」がタイプだって言ったからこの子はこんな風になったんですもんね。そんなこと言っといて、氷崎さんみたいな子を好きになった僕は一体何なのでしょうか。


 でも仕方ない。恋は理屈で説明できるものじゃないと思います。


 「・・・・・」


 なぜか紅島は無言だった。


 「どして?」と思って少し考えてみると、あることに思い至った。


 「あ、そういえば、おかげさまで・・・全部思い出せました・・・」


 なんか照れ臭くなって朝っての方向を向いてしまった。西日が眩しい。


 突然、左腕が重くなった。


 「先輩、やっと全部思い出したんですね!」


 立ち止まって左を向くと、紅島が両手でぐいっと俺の左腕を自分の方に引き寄せていた。顔いっぱいに喜びを滲ませていた。


 ・・・・のはいいんだけど。


 「あ・・・・・」


 そこそこの至近距離で紅島と見つめ合う形になってしまった。


 紅島もすぐに気づいて無言になった。


 「・・・・・」

 「・・・・・」


 時間が止まっていたような気がした。どれだけ見つめ合っていたのか分からない。


 そして紅島は、すっと目を閉じた。


 って、おいおいおい。


 「おい、お前何してんだ」

 「何って、キスする流れかなと思いまして」

 「するか!!別に俺たち付き合ってねぇだろ!!」

 「付き合ってない男女がキスしちゃいけないなんて法律ありましたっけ?」

 「いや、ないけど・・・・・」


 そういうのは、ちゃんとけじめをつけてからってのが・・・筋だと思うんだよ。ったく、からかってくるんじゃねぇよ。


 口では言わなかったが、紅島は察したらしかった。


 「ま、そういう真面目なとこ、いいと思いますよ。だから、許します!」

 「ありがとう・・・って俺何も悪いことしてないよね?」


 そうしてふたり、けらけらと笑い合った。


 まぁ、「こいつといると楽しい、退屈しない」とは思っているのかもしれない。


 「ま、私は先輩が『髪はショートで、明るくて一緒にいて退屈しない子』がタイプだって言ったから頑張ったんですよ。大変だったんですからね?」

 「それについては・・・悪いと思ってる」

 「別に抗議してる訳じゃありません」

 「じゃあ、何だって言うんだよ」


 俺の問いに紅島は答えず、すたすたと歩いていき、俺から少し離れたところででまた立ち止まった。


 「アピールしたんです。私、先輩のために頑張ったんですよって」


 遠かったのと、かなり小さな声で言ったので流石に聞き取れなかった。


 だがわざわざ内容を聞くような野暮なことはしなかった。聞かれたくなかったんだろう。


 俺も紅島の方に歩いていった。


 「まぁ、自分で考えるわ」


 俺がそう言うと、彼女は満足そうに笑った。


 「私の家の前までどっちが先に着くか勝負!よーいどん!」

 

 突然、紅島が全力で走り出した。


 「お、おい!待てって」


 仕方ないので付き合ってやることにしたのだった。ま、俺は自転車に乗ったが。


 そういえばこいつと帰るのが当たり前になってるな、いつの間にか。


 ***


 翌日。


 俺は早くに目覚めてしまったのでいつもより結構早くに家を出た。母さんに「どうしたの?」と聞かれたが適当にごまかしといた。


 夏の足音が聞こえる季節になったが、朝はまだ涼しかった。


 学校に着くと、ちらほらと校舎内に入っていく生徒の姿があったが、大方受験勉強に勤しんでいる3年生と朝練に励んでいる生徒たちだろう。


 昇降口で靴を履き替え、階段を上って自分の教室まで歩いた。人が少ないからか、階段を上がるときのスリッパの反響音がよく響いた。


 なかなか新鮮な感覚で、悪くない。


 教室の扉を開いて、中に入ると人の姿はなかった。ま、おかしくはない。


 「一番乗りか」


 そう呟いて自分の席に座ったときだった。


 「残念。私が先よ」


 思わず一瞬硬直した。全く人の気配を感じないところに聞き覚えのある声を聞いたのだから仕方ない。


 顔を上げて正面を向いた。


 「教卓の机に隠れてたのか」


 教壇に立つ彼女、氷崎冷菜は艶やかな髪を手櫛で鋤きながら勝ち誇ったような笑みを俺に向けていた。


 「早いのね」

 「それはお互い様」


 時刻は6時50分。約束の10分前だった。


 「ま、せっかくだから。始めましょう。それで話って?」


 俺はひとつ深呼吸をしてから口を開いた。


 「氷崎さんが俺を・・・好きになった理由。もう一度詳しく、包み隠さず・・・話してくれないか?」

 


 


 



 


 


 

 

 

 


 


 


 


 

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