第14話 果てに (一字改)
夢を見た。
先輩と、恋人同士になった夢。
それはとてもとても、私に都合の良すぎる夢だった。例えば私の誕生日に先輩がサプライズプレゼントをしてくれたり、先輩とふたりで図書室で勉強したり、ふたりだけでショッピングに出かけたり。
とてもとても、心地のいい夢だった。
きっと私はそんなことを夢想してしまうぐらいには先輩のことが好きなのだろう。
起きたときには涙で目が潤んでいた。
昨日は日が暮れた頃に一度起きたのだが、そのときにはもう、先輩はいなかった。お母さんが帰ってくると、何か食べやすいものを作ってもらって、その後少ししたらまた眠りについた。
先輩、昨日は私のために必死だったなぁ。
思わず顔がにやけてしまった。あはは。
って!
「時間は!」
慌てて時間を見たら朝の9時を迎えていた。先生には「10時からお願いします」ってお願いしてた!
「やばっ!急がないと」
ベッドから慌てて飛び起きて着替えをし、リビングに向かった。
お母さんが「もう大丈夫?」と心配そうに聞いてきた。
私はそれに「大丈夫!元気100%」とおちゃらけながら言った。お母さんは「あはは」と笑った。
って、こんなのんきにしてる場合じゃなかった!
テーブルに置いてあった朝食を超速で済ませてお母さんに「行ってきまーす」と言って家を出た。
バス停にドンピシャのタイミングでバスが停まっていたので、飛び乗った。
「私が見届けないわけには、いかないよ」
小さく呟いた。
戦うのは先輩だ。過去に決着をつけるのも先輩だ。
けれど私が先輩にこの勝負をするように提案したのだ。その責任はとらなければならない。
それにきっとあの冷菜先輩も来ているはず。あの人は何を考えているのか分からないから危険だ。
先輩は・・・・渡さないから。
先輩。今日、すべてが終わったら言いたいことがありますからね。
待っててください。
私は競技場近くのバス停で降りるとすぐに走り出した。靴はスニーカーなので走っても問題ないし。
入場口の階段をかけあがり、観客席へと続く通路のひとつから観客席へ飛び込んだ。
「っ、はぁ、はぁ」
さすがに疲れたので膝に手を当てて行きを整えた。
顔を上げると。
「先輩・・・。よかった、間に合った」
先輩と凍也さんがトラックに出て、今まさに決戦が始まろうとしていた。はるか100メートルほど先にふたりの姿が見える。
審判台に立っている先生がゆっくりと銃を上に向け
『On Your Mark』
と合図した。それと同時に私は観客席の一番前に行き、ふたりはともにクラウチングスタートの姿勢をとった。
周りはしんと静まり返っていた。誰もが彼らの勝負を見届けようとしていた。
『Set』
私は両手を合わせて祈った。
-先輩が最後を有終の美で終わらせられますように。
三年ほど前、神様は先輩に味方しなかった。だからこんな祈りを捧げても無意味かもしれない。けど、私は祈らずにはいられなかった。
誰よりも先輩の近くにいて、誰よりも先輩の努力を知っている。
だから、どうか。
そして、決戦の号砲が鳴った。
****
俺は極限の集中状態に入っていた。周囲の音はほとんど入ってこず、ただ自分の心音と呼吸の音、そして合図の音だけが耳に入ってきた。
-真っ正面から見てやがれ
俺は心の中で、はるか100メートルほど先にいるあいつに向かって呼び掛けた。
陸上においてスタートは命。これ次第ですべてが決まる。
俺はひとつ深呼吸をした。
一瞬、世界が止まったような感じがした後
号砲が鳴った。
一秒の狂いもなく、俺は、そして多分隣のやつも同時に両手両足で地面を力強く押した。
加速していくにつれて、少しずつ体を起こしていき、まっすぐ正面を向いた。足と腕は今までにないくらいに、よく動いていた。だが無駄な力は入っていなかった。
疾風迅雷。
一瞬でどこまでも吹き抜けていく風や、一瞬で光と音を周囲に轟かせる雷のような。
そんな心地だった。
残り30メートルほど。俺の前に凍也の姿はない。きっとすぐ隣にいるのだろう。
くっ。
少し足が重くなってきた。だがそんなの関係ねぇ。
俺は俺の全てをかけて、俺の努力が無駄じゃなかったことを証明しなけゃならねぇんだ!
「うらぁぁぁぁぁ!!」
ラストスパート。持てる力のすべてをもって、俺はゴールラインを駆け抜けた。
途端に重力がいつもより重くかかってたような感じがして、トラックに倒れ込んだ。息が苦しい。呼吸がままならない。俺は腕で何とか体を起こし、横目でちらっと隣のライバルを見た。
やつも膝に手を当てて必死に息を整えていた。心なしか顔は少し苦痛で歪んでいるように見えた。お前も全力で、やってくれたんだな。
凍也がそっと俺に向けて拳を突き出してきた。俺もそれに応えて、拳を突き出した。
「お疲れ様」
と、微笑みながら凍也は言った。俺も彼に「お疲れ」と返してやった。
立ち上がって後ろにある掲示板の方に目を向けた。そこには俺と凍也の名前がそれぞれ表示されていた。多分、タイムもそこに表示されるだろう。
すべて出しきった。悔いはない。たとえ敗れたとしてもようやく決着をつけることができたのだ。何の心残りがあろうことか。
そして運命の瞬間が訪れた。
パッと、記録が表示された。だが遠くて少し見辛いなと思っていたら、先生がメガホンで全員に向かってアナウンスしてくれた。
「あー、ただ今の勝負は、なんと驚くことに0コンマ01秒までまったく同じだったのでそれ以下までのタイムを出したところ-」
少し、鼓動が高鳴った。
「氷崎凍也は11秒602、神ノ島大貴は11秒601でした。以上」
瞬間、観客席が沸き上がった。
俺としては、複雑な心境だったが。
勝ったって言っても・・・・・ね?
たった0,001秒で、だぜ?ほとんど変わらねぇだろ。苦笑するしかなかった。
凍也はそんな俺の心境なんて知るよしもなく「あーあ、負けちゃったなぁ」なんてことを呟いていた。
「いや、ほぼ変わらんだろ」
凍也はスッとこちらを向いた。
「でも、勝ちは勝ちだよ、大貴。僕はこれでも悔しがっているんだ。素直に喜んでくれないと納得できない」
こいつにしては珍しく真剣な口調だった。ってことは多分、本気でそう思ってるんだろう。
まぁ、それもそうだな。
俺はニヤッと笑いながら言ってやった。
「勝ったぜ」
凍也はそれに「おめでとう」と返した。
「ほら、お客さんが君を呼んでいるよ。行ってあげな」
言われて観客席の方を見ると、何人かが観客席の最前列からトラックに向かって体を乗り出しており俺に向かって叫んでいた。
「大貴ぃー!やったなー!」
俊。おう。
「神ノ島くーん!最高にカッコよかったわよー!」
ひ、氷崎さん。あ、ありがとう。
「おーい神ノ島!すごかったぞー!」
「神ノ島!ナイスファイト」
サッカー部と陸上部のふたり。サンキュー。
だが俺は彼らに何て言おうか迷ったのと、なんか観衆の前で何かを言うのが少し照れくさかったので。
拳を上に突き出して、ニヤッと笑った。
そしてすぐに競技場内へとスタスタ歩いていった。
はぁ、やっと終わった。やっとだ。
ひと息吐こうとしたら、通路の先に人が立っていて、俺がそっちに目を向けるとこっちに向かって走ってきた。
そしてそのまま俺に抱き着いてきた。
「せ、先輩。本当に、本当に・・・よかった」
涙を圧し殺したような声だったが俺の体に顔を埋めているので表情は分からなかった。
じんわりと服が滲んできた。おいおい、まったく。
「何でお前が泣いてるんだよ。勝ったのは、俺だろ」
俺がそんなことを言うと、彼女、紅島優香は俺の胸の辺りを軽くグーパンチしてきた。いて。あんま痛くないけど。
「うるさい。泣いてなんかいません」
「そうか」
本当、めちゃくちゃいいやつだ、こいつは。
俺は頭を撫でてやった。
紅島はしばらく嗚咽を漏らしながら泣いていたが、泣き止むと何かを言い始めた。
「・・・先輩」
相変わらず顔は俺の体に埋めていたので紅島がどんな表情をしていたか分からなかった。
「何だよ」
紅島は少しためた後に小さな声で、だが俺の耳に届くくらいの声で。
こんなことを言った。
「好きです」
・・・・・。
少しの間、脳が思考を停止した。
は、え、ちょっと待て・・・
俺が混乱しまくっていると紅島は突然顔を上げて、両手で俺の顔を自分の方に寄せた。
そして。
俺の頬に軽く、キスをした。
「・・・・っ!」
瞬間、顔が熱を帯び始めたのが分かった。
何か言おうとしたが、それよりも先に彼女はだっと素早く走っていってしまった。
何顔赤くしてんだ俺!は・・・は?
でも思えば俺は、最近こいつに感謝とは別の感情を抱き始めていた。果たしてその感情は何なのか。それに向き合わなければならないのかもしれない。
思い返してみれば、あいつは何度も俺に好意を伝えようとしていた。俺はそれを見て見ぬふりをしていた。
ちゃんと、向き合わなければ。
俺は覚悟を決めて足を外へと進めた。
競技場の外の空気は爽やかで気持ちがよかった。階段をゆっくり降りると階段の近くに人が隠れているのを見つけた。
誰なのか気になったので、階段を降りてすぐにそちらに向かってみると、そこにいたのは。
「なんで、あなたが待ち伏せしてるんですか、氷崎さん」
「神ノ島くん。待ってたわよ」
妖艶な笑みを浮かべながら、氷崎冷菜が立っていた。
勘弁してくれ。ただでさえ、いろいろ混乱していたのに。
「今日は、最高の走りだった。だから-」
嫌な、予感がした。
「私の彼氏に、なってみない?」
「・・・・・・・・・・は?」
はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
あんた何言ってんだよ!?自分で俺をフッたくせに何を今さら。
そんな感情も抱いていたのだが、嬉しさのようなものも抱いていた。
俺はニヤッと笑いながらゆっくりと口を開いた。
「何でそんなことを言ってくれるのか・・・聞いてもいい?」
すると彼女はしっかりと理由を述べたのだった。
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