第10話 全力で

 階段の上からグラウンドを見下ろしている氷崎さんに気を取られて、しばらくぼーっとしていた。


 「・・・輩?」


 あー、今日も綺麗だなぁ・・・


 「・・・輩!・・・先輩!」


 ん?誰かが俺を呼んでいるような・・・


 気づいたときにはもう遅かった。 


 「ぐはっ!!」


 俺の顔に拳がめり込んだ。バキッって言わなかった?


 だがこれでようやく正気を取り戻せたようだった。


 「いってぇ!何すんだよ!」


 紅島の方を向くと、彼女は体を地面から起こしており、ぷんすか怒っていた。


 「何回も呼んだのに返事をしなかった先輩が悪いです!もう!」


 あ、ああ。やべ、こいつ、なに話してたっけ?


 「悪い。ちよっと、な」


 俺が苦笑いしながらそう言うと紅島は


 「もう分かってます。今日もあの人が来てるんですよね?」


 俺は「あはは」としか言えなかった。何であの人とこいつは仲悪いんだろうか?


 「でもそんなことはどうでもいいです!さ、もう休憩は終わり!昼過ぎまで練習しますよ!」


 紅島は力一杯俺の腕を引っ張って無理矢理立ち上がらせた。いったぁ!もうちょっと優しくしてくれ。


 っていうか。


 「お前、さっき・・・なに言ったんだ?」


 俺が気になっていたことを訪ねてみると、彼女は口をぽかんと開けて、信じられない、というような顔をした後、また眉間に皺を寄せ始めた。プチンと何かが切れる音がした。


 え・・・え?どうしたの?


 そして彼女は言った。


 「なんにも言ってません!!」


 「は、はぁ・・・?」


 全く、やはりこいつは何を考えているのか分からない。まぁ、それを言うなら氷崎さんもなんですがね。


 約束って、何だったんだ?


 ****


 地獄のトレーニングが終わった頃には正午を二時間以上過ぎていた。休憩前にやった量の2倍はこなしたと思う。うん、軽く天国に行けますね!


 グラウンドには座ったり物を置いたりできる広めのスペースがあり俺たちはそこに座っていた。ちなみに氷崎さんは俺たちをジーッと観察していたが、どこかに行ってしまいました。残念。


 そして俺たちか今、何をしているかといえば。


 「いっでぇ!お、おい、いらんって言ってるだろ!」


 「ダメです!ちゃんとマッサージしないと痛めますよ」


 紅島に背中を押してもらい、否。押されながら柔軟体操をしていた。こいつ、俺に対して世話焼き過ぎだろ。


 紅島は続けた。


 「それに私、後輩たちによくマッサージしてあげてたんですよ?しかもみんなよく効きますねって言ってくれましたし」


 「へー?ゴッドハンド紅島ってか?」


 俺が茶化すようにそう言うと、より強く背中を押してきた。いだだだだだ!!


 「そんな、胡散臭い二つ名で、呼ばれたことは、ありません!」


 「悪かった!悪い!だから、それ以上押さないでくれぇぇ!」


 俺がギブアップの証として地面を叩くと紅島はようやく手を離してくれた。


 はぁ、助かった。


 「・・・ごめんなさい。つい、やり過ぎました」


 そして彼女は申し訳なさそうに眉を寄せて謝罪するのだった。い、いやそんなに申し訳なさそうにする必要はないが?


 「いや。どうってことはねぇよ」


 そして俺はそっぽを向いて


 「・・・ありがとな、マジで」


 と小さな声で感謝の意を示した。


 何となく顔を見ながら言うのは照れくさかったのだ。仕方ない。


 「・・・・・・・」


 紅島は何も言わなかった。え、それはそれで嫌なんですけど?


 そろそろ紅島の方に向き直ろうとしたときだった。紅島が俺の背中をバチーンと叩き


 「先輩ってば、照れてるんですかー?もう、可愛いんですからぁ」


 と、やけに甘ったるい声でそんなことを言ってきやがった。正直、めっちゃいらっとした。


 「は?何言ってんだ。んなわけねぇだろ」


 つい語気が荒くなった。しまった、と思ったが紅島は全くめげなかった。


 「またまた~!強がらなくても、い・い・ん・だ・ぞ?」


 はぁ。


 思わずため息がこぼれた。


 そんなこんなでトレーニングは終了した。職員室に行って上崎先生に挨拶をして、それから共に帰路についたのだった。


 ****


 あっという間に一週間ほどが過ぎて、季節は5月。緑が生い茂る季節になった。平日もできる範囲でトレーニングを重ね、少しずつ体力が戻っていった。タイムも少しずつ縮まってきている。


 そして今日はスポーツテストの日。


 いつものように学校に行き、体操服に着替えて席に座ると、氷崎さんが近寄ってきた。


 俺が内心おどおどしていることなど知らずに彼女は口を開いた。


 「おはよう、神ノ島くん。今日は君の全力疾走を見せてくれるんだよね?」


 「え、あ、ああ。そうだったな」


 俺の反応がおかしかったのか、彼女はフフッと笑ってからまた口を開いた。


 「あ、そうだ。教えてあげようか。私が何で、君の全力疾走を見たいのか」


 「え・・・?」


 まぁ、確かに疑問ではあったのだが。教えてくれるとは思ってなかったので以外だった。


 氷崎さんは俺の耳元に顔を寄せて呟いた。え、ちょっと?


 「かっこよかったからだよ」


 一瞬、彼女が何を言っているのか分からなかった。頭の中が混乱しまくっていた。


 どういうことか聞こうとしたところで彼女がまた何かを言った。


 「昔見た君の全力疾走が」


 ・・・・・・・・・。


 ・・・・・デスヨネー!別に勘違いしてませんけど何か?


 そんなことを言い残して氷崎さんは颯爽と自分の席へ向かっていった。


 ****


 言っておくか俺は別に運動なら何でもできるわけじゃない。脳筋スポーツマンの俊とは違うのだ。走るのだって必死に努力したからである。


 まぁ、その努力も一回は無駄になったんだけどな。


 努力は人を裏切らないとはよく言ったものだ。一瞬のことですべてが崩れ去ることだって人生にはあるのだ。


 けど俺は不思議な縁で、また再びチャンスをもらえた。だから俺は証明してやる。


 -俺が血反吐吐くくらい必死に努力したことが無駄じゃなかったということを。


 ま、今日はその第一段階に過ぎないが。


 50メートル走。


 俺は深呼吸をひとつしてから、クラウチングスタートの姿勢をとった。隣のレーンにいる二人は確か現役の陸上部員とサッカー部員だった気がする。相手にとって不足はない。


 目を閉じて集中した。近くにはいないが、きっとどこかで氷崎さんやあいつが見ているだろう。あと、俊もな。


 ピピー、と笛の音が聞こえ、


 『位置について、よーい』


 合図を聞くことだけに全神経を集中させた。


 そして俺は『どん』の合図で、両手両足を使って力強く地面を押した。


 「くそっ」


 足を少々滑らせた。だがそんなもんで挫けるわけにはいかない。


 他の二人は俺より少し先にいる。


 だがそっちの方がいい。俺は追われるより、追う方が好きなんだ。


 、だ。


 俺は歯を食い縛り、必死に足を動かした。


 「う、うぉぉぉー!」


 一歩一歩、地面の感触を確かめながら着実に加速していった。


 だがもうゴールまで少ししかない。


 出しきれ!


 そのとき、どこかから声がした。


 「先輩!」


 と、俺を呼ぶ声が。もちろん振り向くわけにはいかなかったが。


 無様な姿は見せられねぇよな。


 「だぁぁぁぁっ!」


 今できる精一杯を、出しきったのだった。勢いで地面に倒れ込んでしまった。息が上がりすぎて苦しい。すぐに立って計測係にタイムを聞きに行った。


 記録は


 「7秒13です」


 と、告げられた。


 くそっ、まだまだだな。きっと凍也のやつは確実に6秒台だろう。


 俺はひとり、心の中で悔しがっていたがそこにさっき俺と走った二人が近寄ってきた。俺は顔を上げた。


 「神ノ島!お前、スタートミスったのにやるな!」


 「後半の追い上げやばかったわ、お前。正直ビビった」


 うーん、誉めてくれてるのは分かるのだが。


 俺は本心をそのまま話した。


 「いや、俺は全く納得してねぇぞ」


 すると二人は、はは、と笑い


 「いやいや!お前、部活入ってないのにすげぇと思うぞ」


 「ああ、それな。昔、何かやってたのか?」


 「え?あ、あー・・・」


 どうしようか。まぁ、こいつらとそれほど親しくはないが別に話しても何かあると言うわけではないか。


 「中学校の時、陸上を・・・やってたわ」


 俺がそう言うと二人は一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに納得したような顔をして


 「なるほどな!道理で」


 「へぇ、そっか!俺、中学校の時から陸上やってるんだよ。けどやっぱ氷崎凍也には勝てねぇんだよな」


 ほう、そうなのか。まぁ、中学校からやっていればあいつの名前は知ってるか。


 俺はニヤッと不敵な笑みを浮かべ


 「俺、凍也のライバルなんだわ。俺、あいつに勝つから。二週間後の土曜日、よかったら競技場に来いよ」


 と言い残して俺は二人のもとを去ったのだった。


 つい、いらんこと言ってしまったな。まぁ、自分を追い込めるという意味では有効だったか?


 二人は何も言わなかった。まぁ、いきなりそんなこと言われてもな。


 ****


 すべての種目が終わったので教室に戻ると俺の席の近くに俊のやつがいた。


 「よう、大貴。見てたぜ」


 俺はからかうようにこんなことを言ってやった。


 「何見てんだよ。スタート、お前が見てたからしくじったんだぞ?」


 すると俊は「はは」と笑い


 「んなわけねぇだろ!それはお前のミスだって」


 「ちっ。バレたか」


 まぁ、当然だが俺のミスだ。


 それよりも。


 「何か用があるのか?」


 別のクラスのこいつが俺の教室にいるのだ。何か用があるのだろう。まさか、ただ俺に会いに来た、みたいな気持ち悪いことは言わないだろう。


 俊は少し真剣な顔になって話し始めた。


 「ああ。ちょっと、紅島ちゃんのこと知りたくてあの子のクラスに行ってみたんだよ」


 さすが、コミュ力高いやつは違うな。俺にはそんな真似はできない。


 「それで、何か分かったのか?」


 俺が尋ねると、俊は頭をぼりぼりと掻いてから言った。


 「あの子、もうすでにクラスに馴染めてねぇようなんだわ」


 俺は言葉を失った。


 あいつ、何が私なら誰とでも仲良くできるだ。





 


 


 


 


 

 


 

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