第8話 鈍っていやがる
「あ、あの・・・氷崎さん?どうしてここに・・・?」
俺が苦笑いしながら聞いてみると氷崎さんは張り付けたような笑みを浮かべながら
「凍也から様子を見てくるように頼まれたから、なんて言ってないわよ?」
と、明らかに隠しておくべき事実をあっさり話してくれるのだった。
いや、バレバレなんですけど!?笑えねぇ。
俺が口の端をヒクヒクさせながら何も言えずにいると氷崎さんはさらに続けた。
「凍也のやつが、どうしてもと言うものだから。しょうがなく。ほんっとにしょうがないから私が見に来たの」
いやそれ、喜んで来たの間違いじゃないですか?あなた、明らかに楽しそうに話してますよね?少しも嫌々感しないんですけど?
「そ、そう・・・・・」
俺は何とか言葉を吐き出した。
それにしても。
私服の氷崎さん、
やべぇぇぇぇぇぇぇ!!
いや、もうヤバい。端的に言ってヤバい。うん、ヤバい。日傘差してるとことかマジヤバい。
俺がそんなことをうんうん唸りながらそんなことを思っているとどこかから冷気を感じて身震いした。
俺がゆっくりそちらの方を向くとそこには明らかに薄っぺらな笑みを張り付けた紅島がこちらに向かってオーラを放ちながら笑いかけていた。いや、あの怖いんですけど・・・
思わず隣の俊を見ると
「羨ましいぜ。人気者よ」
と、なぜか腕で目元を隠しながら、泣いているような仕草をしながらそんなことを言ってくるのだった。
は?羨ましい?俺が?
おい、何だこの状況。訳わかんねぇ。
思わず空を仰いだ。
****
「まぁ、冷菜先輩なんて気にせず、始めましょう、先輩」
紅島はいい終えた後、ちらっと氷崎さんを睨み付けた。おい、お前が一番気になってるだろ?
「そうね。紅島さんとよろしくやってくれればいいから。どうぞ、御勝手に」
負けじと氷崎さんもちらっと紅島の方を睨み付けた。
うん、もう勝手にやるわ。気にしない気にしない。
「んじゃ、まずは軽くランニングしてから準備体操だな」
俊の言葉に俺は頷き、一緒のタイミングでグラウンドの周りを走り出した。ちらっと女性陣の方を見ると、何やらメジャーを伸ばして距離を測っているようだった。多分50mか100mだろう。
「そう言えば、俊。お前、今日部活は?」
日曜ならともかく、土曜は大抵部活はやっている。
俊は答えた。
「ああ。午後からなんだよ。昼飯持ってきたし、昼くらいにそのまま学校行くわ」
マジか。こいつ・・・
「お前、化け物かよ。どんだけ運動大好き何だよ・・・」
俺が苦笑しながらそう言うと、俊は「はは。そうだな」と、肯定した。
休日の公園はボール遊びをしている子供や、元気なお年寄りがランニングをしていた。まぁ、何てことない日常の風景だ。
そんな光景をぼんやりと眺めていると、不意に俊がこんなことを言ってきた。
「お前、本当にあの子のこと、思い出せないのか?」
・・・その話かよ。
俺は少し唇を噛んだ。
「何も、という訳じゃない。声は何となく覚えがある。つきまとってくる鬱陶しいやつだけど、俺を気遣ってくれるいいやつなのは間違いない。だから、思い出したいけど・・・」
いつの間にか視線は下に向かっていた。
本心をそのまま話した。あいつの声。フラれたショックでどうにかなっていた俺を優しく慰めてくれたときのあの声。昔、俺が絶望のどん底に突き落とされた時にも聞いた気がする。顔は思い出せないからあいつかどうかははっきりしないのだが。
俺が言い終えると俊はしばらく無言だったが、やがてまた口を開いた。
「・・・そうか。お前のことはあの子から聞いた。お前に何が起こったかについても。だからある程度は仕方ないと思う。けど・・・」
俊は優しい口調で言い終えた後、俺の方に向かって「分かっているな?」という意図を込めた視線を向けてくるのだった。
その視線に俺はフッと笑いながらこう、言葉で返してやった。
「ああ、分かってる。ありがとな」
****
「さて、先輩。私がストップウォッチで計測しますので、私のところまで全力で走ってきてください」
ランニングを終え、準備体操を済ませた後。
「ああ、やるよ」
俺がそう言うと、紅島はニッと笑って「ファイトー!」と拳を突き上げた。その後はメジャーで計測したゴールラインまで歩いていき、手を大きくこちらに向かって振った。準備オーケーの合図だ。
って、俺と俊が走るんだからスタートの合図をする人がいないと・・・
そう思って氷崎さんの方を見ると、彼女は木陰に座って読書をしていた。やっぱり本好きなんですね。あと、めっちゃ風景に溶け込んでいて見惚れそうになります。
氷崎さんは俺の視線に気づくと「何?」と言わんばかりに首を傾げるのだった。
仕方ない。
俺は氷崎さんの方に歩いていき、
「あ、あの・・・氷崎さん。スタートの合図送るやつ、お願いしてもいい?」
すると氷崎さんは突然、俺の首の後ろに手を回し、顔をぐっと俺に近づけてきた。
「え、ちょ・・・」
もちろん俺は戸惑いまくった。しょうがないじゃん、男子高校生だし。
氷崎さんは蠱惑的な笑みを浮かべながら無言で俺を見上げている。何なんでしょうか?
そんな状態が少し続いた後、彼女は小さな声で言った。
「君が、どうしても、と言うなら」
うん、何でしようかこの人。最初からそう言えばいいんじゃないでしょうか?
けどやっぱり誘惑するような彼女の姿は魅力的だった。だから俺は多分、顔を赤くしていたと思う。
「あ、ああ。どうしても。お願いします・・・」
彼女から目を逸らし、弱々しくなりながらもお願いすると
「仕方ないわね。それくらいやってあげる」
と、了承してくれた。そして氷崎さんは俺から手を離し、スタートラインの横に立った。俺がしばらく動けないでいると遠くから声がした。
「せんぱーい!いつまで待たせるんですかぁー!!」
当然というべきか、紅島だった。多分ちょっと怒ってる。
その声で俺は気を取り直し、俊と共にスタートラインに立ち、クラウチングスタートの姿勢を取った。
-それにしても、全力で走るのはいつぶりだろうか。
ふとそんなことを思った。いかんいかん。集中しないと。俺は深呼吸をし、心を落ち着かせた。すると周りの雑音が入ってこなくなった。よし。
「位置について、よーい-」
どん、の合図で俺と俊は全力で駆けていった。
****
「はは。はぁ、はぁ、まだまだだな、大貴」
「っ、はぁ、はぁ。しょうがねぇだろ、久しぶりだったんだから」
結果は俺が2秒近く差をつけられて俊に敗北した。俺たちは走りきった勢いでそのまま地面に仰向けで倒れ、空を仰いでいる。
くっそ。やっぱ鈍っていやがる。分かりきったことではあったが。
「先輩。お疲れ様です。あ、真水先輩も」
紅島が近づいてきて、ミネラルウォーターのペットボトルを俺たちに渡した。
「さんきゅ」「ありがと」と俺たちは礼を言って一口飲んだ。
気づくと紅島が俺のすぐ近くにいた。
「・・・先輩。覚えてないかもしれないですが、私、昔にもこうやってグラウンドに倒れ込んでいる先輩にペットボトルを渡したこと、あるんですよ・・・」
「・・・・・」
紅島は哀しげな笑みを浮かべながら、俺にそんなことを言うのだった。
俺はまぶたを閉じて記憶を探ってみる。
頼りになるのは声という音声記憶のみ。
・・・・・・。
・・・・・ん。
ぼんやりとだが、頭のなかに今起こった光景と似たような記憶が呼び起こされた。
『先輩。・・・お疲れ様、です』
間違いなく声はこいつのものだ。だが口調は自信無さげで弱々しい。
顔は・・・・・
ダメだ。
俺は目を開けて紅島に話しかけた。
「・・・多分、あったんだろうな。けど、悪い。まだ、お前の昔の姿を思い出せてはいない」
俺がそう言うと、彼女はゆっくりと首を横に振り穏やかな口調で言った。
「・・・いえ。いいんです。ただ、意識はしといてほしいなって、思っただけです。ほら、見てくださいよ?この顔ですよ?」
なんか知らんが顔を近づけてきやがった。
バカ、あんま近づけるんじゃねぇ。
思わず目を逸らした。だが、顔をよく見る、というのは意味があると思ったのでちらちらと見てみた。
長いまつげ、大きな瞳。少し気温が高いからか、ほんのりと汗をかいており、肌は艶を放っている。
うーん、俺、今までにこんなにしっかりと女子の顔を見たことあったっけ?
っていうくらい見てます。ちらちらと。
ん?
「どうした、お前?顔、赤いが?」
俺がそう言うと紅島は、はっとして俺からすばやく距離を取り
「い、いや、先輩がそんなに顔をじろじろ見るからですよ!断じて照れてなんかいないですからね!」
ふんっ、とそっぽを向いて言いました。いや、あなたが見ろって言ったんですけど?
俺たちがそんなやり取りをしていると横にいた俊が
「あのー、いちゃついてるとこ悪いんだけど、そろそろ再開しないか?」
そんなことを言ったのだった。
まぁ、おっしゃる通りだけど。
「いちゃついてねぇ!!」
「いちゃついてません!!」
俺たちは声を揃えて抗議するのだった。
それから俺たちは公園内にあるランニングコースを走るトレーニングをした。私も走りたくなってきました、とか言い出して紅島も全力で走っていた。楽しそうに走るあいつの姿は少し新鮮な感じがして、思わず笑みがこぼれた。
昼頃に俊が抜けたぐらいで今日の練習は終わりにしようということになった。
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