3-5.part.T:見えない

「はぁーぁ。

 てっぺんに行ったら何があるんだろう?どう思います、河岸さん?」


 どっしり立派なソファに腰を下ろしながら呟くポアちゃん。今日も可愛いし、絶好調で連勝中だ。

「さぁ、どうなんだろうね」

 隣に座ると嫌な顔をされるので、俺は背もたれ側に軽く腰かけた。

 このソファも勝った相手から貰った物だ。対戦相手が『何でもあげるから、殺さないで!』と泣き叫んで助けを乞うのを見かね、彼女はたまたま目についたソファを貰った。『恐喝みたいでいい気はしない』なんて言っていたが、ソファの座り心地はよくて気に入っているらしい。


「まぁ、この調子だと、あっという間に、てっぺんに辿り着いちゃうだろうし、心配いらないかもですねー」


「……ほほほ、そうとも限りませんヨ♪」

 耳障りな高い声が響いた。壁に映るポアちゃんの影がギュルンとこちらを向いて、不気味な笑顔を作る。……七篠Pだ。


「次のお相手は今までのような筋肉バカではないようで、お☆」

 Pの言葉と同時に、部屋の上昇が止まって、向かい壁がすーっと消えていく。……次の対戦だ。


「さぁ、どうぞ☆対戦お始めくださいナ♫」


 しかし、そこには誰もいなかった。


「は?」


 真っ白な部屋には椅子すらない。ただの四角い空間に呆然としていると、隣にいた芳生くんが突然後ろへと吹き飛んだ。


「……っ?!」

 慌てて振り向くと、壁で大の字になる彼。まるで見えない誰かに押さえつけられているように。


「河岸さん!避けてっ!」

 ポアちゃんの叫ぶ声が聴こえるや否や、今度は俺が胸に強い衝撃を喰らった。……目の前には誰もいないのに。みぞおちの刺すような鋭く激しい痛みに、身体が九の字に曲がり、呼吸も思考も止まる。

 しかし、攻撃はそれで終わるわけもなく、うつむいた顔面に追撃が来た。多分膝蹴りだったのだろう。鼻が破裂したような感覚とともに、視界も頭の中も真っ白に染まる。上も下も分からなくなって、倒れた俺はただその場でのたうち回ることしか出来なかった。


 ******************************


 ――錆の匂いに満ちた中。

 思考が出来るくらいには痛みが引いて、揺れる視界で、身体をゆっくり起こすと、ポアちゃんが小さくうめき声をあげながら、空中で弾んでいた。まるで透明人間がリフティングでもしているように。


「あっ!もう目が覚めちゃった?ドゥフフフw」


 彼女がベシャっと床に落ちた。

「あーぁ、せっかく50回まで続いてたのにな。美少女ボールのリフティング!ドゥフフw」

 くぐもった低い声が部屋に響く。人を小馬鹿にしたような少し軽い声。しかし、部屋には俺たち三人以外見つからない。


「……げほっ、……っつ。……透明なんですよ、この対戦相手は」

 ポアちゃんの掠れた声が部屋に響く。血塗れになった彼女はよろよろ立ち上がると、ペッと赤い唾を吐いた。

「……存在しているのに、目に見えない。

 しかも、ただ透明の身体をしているってわけじゃない。ボクの身体をこれだけ血だらけにしても、自分には全く血がつかないんだもの」

 そこまで言うと、部屋の真ん中の空間をにらみつけるように見ながら、ゆっくり後ろに下がった。

「ドゥフフwwwww

 んんっ、さっすがよく気づいたね。カワイ子ちゃんwwwwwんんっwwwww

 その通り、オレはただ透明なわけじゃない。オマエらがオレを視覚で認識できないんだ。

 ……それがオレの"願い"への代償。周囲から存在を認識されなくなる……。

 ……んんっ、おかげで女湯覗いたり、万引きしたり、逆にやり放題wwwwwwむしろ、オレの天下的な?wwwwwまぢktkrキタコレwwwww」


 最悪なヤツ人間じゃねぇか……。しかも、代償がメリットになってるなんて……。

 ……でも、俺にはどうしようもない。……そうだ、別に一回負けるくらいいいじゃないか。今回は降参して、他のバトルで勝てば……。

 そう思ったとき、後ろから消え入りそうな声が聴こえた。

「……河岸さん」

 芳生くんだ。痣だらけになった顔をしかめつつ、這いつくばって身体を寄せてきた。

「降参、しますか?」

「そりゃ……」

 答えかけて、押し黙る。掠れた声で俺に尋ねる彼の眼には、言葉と裏腹に強い光が宿っていたから。まだ負けてはいないという強い意思が。

「……何か策でもあるの?」

 小さく頷いて、連絡手段として使っていた十字架のネックレスを差し出した。

「これを着けた状態から、無理矢理引きちぎると、現実に強制退去させられるんです」

「強制退去?」

『……えぇ、そうよ。』

 ネックレスから蛭浜えびはまさんが応えた。

『ネックレスを壊すと装着者を現実に帰らせる仕組みをつけてたの。その子たちを緊急脱出させるために、ね』

 ため息交じりのその声から、彼が逃げるよう説得したのだろうことが察せられた。俺だって、そう考える。ここは逃げるべきだ。あんなに強いポアちゃんすら、手も足も出ない相手に俺たちが敵うわけない。

「なんか、悔しいじゃないですか。ここで逃げるのは」

 芳生くんは眉間に深いシワを寄せて、ふらふらしながら立ち上がる。……もしかしたら、どこかの骨が折れていたりするのかもしれない。

「もし逃げるにしても、あと少しだけ出来ることをやってからが僕はいいです!」

 ……大人として、止めるべきところではあると思うのだけれど、彼の若さが眩しくて。俺の弱さが情けなくて。

 ぐっと奥歯を噛みしめた。鉄の香りが肺に満ちる。


「……OK、わかった。じゃあ、策を聞かせて。

 泥船に乗るつもりはないし、怪我する前には逃げるからね」

 そう言うと、彼は血塗れの俺の顔にクスクス笑って頷いた。

 さぁ、窮鼠の矜持を見せてやろう。

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