2-10.『誰も寝てはならぬ』

「ねぇ、どうして隠したんスか?友達のこと」

 令は山野にリンゴを投げてよこすと、自分の分のリンゴをそのまま一口かじって、窓の外を確認した。


 休日の昼下がり。

 街の新緑は鮮やかで、日差しも優しいといえる熱量ではなくなってきていた。令は少しカーテンを閉めて、丸椅子に腰かける。


「『あーちん』って、親友の『天野』さんのことっスよね?

『その人を探すために、探偵社に入った』って聴きましたけど」

「……蛭浜に聴いたのか」

 小さく舌打ちすると、山野は立ち上がり、リンゴを手に流し台へ向かう。

 生温い部屋を蛇口から流れる水の音が満たした。青空の眩しい外からは、車の行き交う音が聴こえてくる。

「…あの“部屋”。“願いの叶う部屋”。あの噂って、私は最近になってから知ったんスけど、先輩の入社前からあったんスよね」


 ピタッと水の音が止む。

「……アイツが。別に、アイツが喚ばれたと確信があるわけじゃねえぞ」

 背中を向けたまま、今度はまな板の音を部屋に響かせた。

「…ただ、アイツが姿を消した時期が、噂の流れ始めた時期、“部屋”が現れた時期と重なてるってだけだ」

 山野の差し出した皿には、数羽のみずみずしい赤い耳のウサギが並んでいる。

 彼らの可愛らしさに思わず令が微笑んだそのとき、窓ガラスに何かが衝突した。


「先輩っ!!」


 すぐに令は山野を蹴り飛ばし、間一髪でその何かをかわす。その何かはさっきまで二人の居た床でベシャっと弾けた。ネバネバとした紫の液体が、落ちたリンゴと床を覆うように拡がる。

「…あぁ、リンゴがぁ。てか、何スか?コレ?」

 壁に貼り付くようにして立つ令は、辛うじてつかんだ数羽のウサギを齧りながら、眉間にしわを寄せる。一方、山野は謎の液体の中で四つん這いになっていた。

「ぶはっ…せっかく避けさせたのに、転んじゃってんじゃないスか!

 ハエ取りシートのハエみたいっ!…ぶっひゃっひゃっひゃっ」

「笑ってんじゃねーよ!お前の力が強すぎんだよ!てか、避けるためでも、先輩を蹴るなっ!!

 うぅ、ぐぅ……っ!接着剤か何かか、これ。くっ、動けねえ…」

 そうこうしているうちに、大きな影が窓から飛び込んで来た。それは立ち上がると、迷いなく、ベッドを指差す。


「……“羽虫”どもを寄越よこせ。

 抵抗すれば、容赦はしない」


 それに応えるように、カキン…カキン…とライターの蓋の金属音が部屋に響いた。山野が振り向くと、先ほどまで、ヘラヘラとしていた令がうつむき押し黙っている…。


「……“羽虫”?……あー、もしかして、ウチの弟分たちのことを言ってんスかね…?

 可愛い可愛い芳生のことを虫呼ばわり…?

 アハッ。アハハハ…あの子達が羽虫なら、それなら、アンタは……うーん、そうだな、うんっ!!

 ピッタリな例えが思いつかないから、とりあえず、丸呑みにしてやんよ!!!」

 言うや否や、勢いよく相手に煙を吹き掛ける令。

 だが、いつものように首の幻惑が出ることはなく、男の背中に当たった煙は霧散した。


「…何の対策もなく、襲撃するわけないだろ」

 籠った声でそう言うと、男は僅かに残った煙を煩わしそうに片手で払って振り向く。その顔は、仰々しい黒いガスマスクで覆われていた。

「ハァ…。時間がないんだ。

 さっさと仕事を終わらせてもらう」


 外のアスファルトを軽自動車が走り抜ける音が聴こえる。割れた窓から射し込む日差しは、もう夏がすぐそこまで来ていることを思わせた。

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