0-3. 悪魔はスイーツ怖い
都内の某ビルの一角。
「あのぉ。もう帰ってもいいっスか?」
打ち放しの天井から吊るされた白熱電球が、派手な店内を優しく照らす。
「あぁ?!」
彼女の言葉に
「自分の取ってきたものは、残さず食べるのがバイキングのマナーだろうが!」
そう言って、目くじらを立てる彼の口元には、イチゴクリームが残っている。
令は再び大きなため息をつくと、肩をすくめた。
「いやぁ、肺の中まで甘ったるくなってきたんで。とりあえず、一旦ヤニだけでも吸ってきていいスか?」
色とりどりのスイーツが並ぶ店内に、愉しげな女の子達の声が響く。ここはスイーツ食べ放題専門店。
「あれ、店員さんに注意されないかなぁ」
心配そうな声に山野が顔をあげると、
「すいませんね。うちの後輩、品がなくて……」
申し訳無さそう言いながらも、山野の頭は次に食べるスイーツのことでいっぱいだった。しょうがない。食べ放題とは自分の胃との闘いなのだ。
「すいませんね!『品の無い後輩』で!」
早々に戻って来た令は乱暴に腰を下ろすと、唇を突き出してぼやいた。
「喫煙所ないんスよ!このビル!!」
今日は食事会を兼ねた仕事の打ち合わせ。今までは、取引先の川崎と山野の二人きりでの打ち合わせだったが、今日は
「川崎さんもお吸いならないっスもんね。あーぁ、一日禁煙の日ってことにするかぁー」
以前より、令は川崎と知り合いだったらしい。とはいえ、新入社員とは思えないぞんざいな態度である。
「それにしても、何で打ち合わせがスイーツバイキングなんスか?しかも、いい年したおっさん二人で」
「ごめんね、甘い物嫌いだったっけ?」
ふて腐れた彼女にも優しく尋ねる川崎。しかし、山野は先輩として後輩の無礼を見逃すわけにはいかない。頬張っていたショートケーキを飲み込んで、口を開いた。
(やっぱりこういうのは、最初にキッチリ言っておかねば!)
「ビュッフェ形式の甘味食べ放題こそ、ミーティングの場として、最適なんだよ!」
コーヒーをひとくち飲んで、持論を展開する。
「まず、知っての通り、糖分の摂取は脳へエネルギーを供給する。つまり、頭脳労働のお供に適しているというわけだ。食べ放題なら、途中で糖分切れを起こす心配も無い。次に、ビュッフェ形式。ミーティングでは、話が煮詰まることや、アイデアが出ないこともあるだろう。しかし、ビュッフェ形式なら、席を立ち、自分で取りに行く。これが、議論が煮詰まったとき、ほど良い刺激となり、新たな風を吹き込むだろう。つまり、エネルギー補給と気持ちの切り替えが行えるスイーツ食べ放題は打ち合わせに最適なのだ。断じて、我々がただのスイーツ大好きおっさんで、お腹いっぱい甘いもの食べたいという理由だけで、定期的に開催しているわけでは――」
「令ちゃん、もうアイス取りに行っちゃったよ」
いつの間にか、自由奔放な後輩の姿はなく、目の前には川崎が菩薩のように微笑んでいた。思わず我に返って、耳がすぅっと熱くなる山野。
「俺もアイス取って来ます」
ババロアを堪能していた川崎は、ニッコリ頷いた。
「……そういえば、甥っ子が妙なこと言ってたんだよ」
ひと通り、打ち合わせが済んで、山野が何十回目かのおかわりに行っているとき。川崎がふと思い出したように、口を開いた。
「『電線の上って、人は乗れないよね?』って」
「は?電線の上?…っスか?」
かき氷の冷たさに顔をしかめて、言葉を返す令。連続で冷たいものを食べすぎた。
「サーカスの綱渡りみたいに?」
「うーん」
彼はケーキを一口サイズに切り分けながら、ためらうように、話を続ける。
「いや、小鳥が電線にとまるみたいに。
架線の上にしゃがんでる男の人を見たんだって」
大の男がスズメと並んで、架線にとまっているのを想像した令は思わずコーヒーを噴き出しそうになった。
「僕もよく意味がわからなくてさ。詳しく聞いたんだけど、んん~……」
彼はフォークをピタッと止めて少し考えてから、眉間に皺を寄せ、弱々しく微笑んだ。
「あと、その人を見たときに、塔の景色が思い浮かんだんだってさ」
ふと後ろに視線を感じて、令が振り返ると戻って来ていた山野がぼんやりこちらを見ていた。
「……。あれ?ミルフィーユって、あったんですか?あー、取り損ねちゃったなぁ。もう一回行ってこようかな」
「えぇ、今さっき出されてましたよ!おひとつあげましょうか?」
色とりどりのケーキの並んだ皿がトンと置かれた。バターと砂糖のむせ返るような香りに令はうんざり顔で立ち上がる。
「うぇ〜。私はコーヒー取ってきますわ」
蒸気を噴き出し、カタカタ揺れるコーヒーメーカー。黒い液が滴るのを待ちながら、令は恐る恐る席を振り返る。驚くほど店内に溶け込むおじさん二人。甘い物好きな気の良い二人組。
(うん、気のせいだ)
心に湧いた不安を振り払うようにして、彼女はコーヒーカップを手に取った。
(あのとに、一瞬、先輩が別の人にのように見えたけれど、きっとそれは気のせいだ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます