0-3. 悪魔はスイーツ怖い

 都内の某ビルの一角。里見さとみれいはため息をついた。

「あのぉ。もう帰ってもいいっスか?」


 打ち放しの天井から吊るされた白熱電球が、派手な店内を優しく照らす。


「あぁ?!」

 彼女の言葉に山野やまのたかしは声を荒らげる。

「自分の取ってきたものは、残さず食べるのがバイキングのマナーだろうが!」

 そう言って、目くじらを立てる彼の口元には、イチゴクリームが残っている。


 令は再び大きなため息をつくと、肩をすくめた。

「いやぁ、肺の中まで甘ったるくなってきたんで。

 じゃあ、とりあえず一旦ヤニだけでも吸ってきていいスか?」


 ******************************


 色とりどりのスイーツが並ぶ店内に、愉しげな女の子達の声が響く。ここはスイーツ食べ放題専門店。


「あれ、店員さんに注意されないかなぁ」

 心配そうな声に山野が顔をあげると、川崎かわさき由伸よしのぶが皿いっぱいのスイーツを手に戻って来ていた。視線の先には、店内で煙草を咥えて歩く令の姿。火はつけていないようだが…。

「すいませんね。うちの後輩、品がなくて…」

 申し訳無さそう言いながらも、山野の頭は次に食べるスイーツのことでいっぱいだった。しょうがない。食べ放題とは自分の胃との闘いなのだ。


「すいませんね!『品の無い後輩』で!」

 早々に戻って来た令は乱暴に腰を下ろすと、唇を突き出してぼやいた。

「喫煙所ないんスよ!このビル!!」


 今日は食事会を兼ねた仕事の打ち合わせ。今までは、取引先の川崎と山野の二人きりでの打ち合わせだったが、今日はOJT現任訓練研修を兼ねて、担当に加わった後輩、里見令も一緒だ。

 以前より、令は川崎と知り合いだったらしい。とはいえ、新入社員とは思えないぞんざいな態度である。


「ったく…。何で、打ち合わせがスイーツバイキングなんスか?しかも、いい年したおっさん二人で…」


「ごめんね、甘い物嫌いだったっけ?」

 ふて腐れた彼女にも優しく尋ねる川崎。しかし、山野は先輩として後輩の無礼を見逃すわけにはいかない。頬張っていたショートケーキを飲み込んで、口を開いた。

(やっぱりこういうのは、最初にキッチリ言っておかねば!)


「ビュッフェ形式の甘味食べ放題こそ、ミーティングの場として、最適なんだよ!」

 コーヒーをひとくち飲んで、持論を展開する。

「まず、知っての通り、糖分の摂取は脳へエネルギーを供給する。つまり、頭脳労働のお供に適しているというわけだ。食べ放題なら、途中で糖分切れを起こす心配も無い。次に、ビュッフェ形式。ミーティングでは、話が煮詰まることや、アイデアが出ないこともあるだろう。しかし、ビュッフェ形式なら、席を立ち、自分で取りに行く。これが、議論が煮詰まったとき、ほど良い刺激となり、新たな風を吹き込むだろう。つまり、エネルギー補給と気持ちの切り替えが行えるスイーツ食べ放題は打ち合わせに最適なのだ。断じて、我々がただのスイーツ大好きおっさんで、お腹いっぱい甘いもの食べたいという理由だけで、定期的に開催しているわけでは――」

「令ちゃん、もうアイス取りに行っちゃったよ」

 いつの間にか、自由奔放な後輩の姿はなく、目の前には川崎が菩薩のように微笑んでいた。思わず我に返って、耳がすぅっと熱くなる山野。

「俺もアイス取って来ます」

 ババロアを堪能していた川崎は、ニッコリ頷いた。


 ******************************


「……そういえば、甥っ子が妙なこと言ってたんだよ」

 ひと通り、打ち合わせが済んで、山野が何十回目かのおかわりに行っているとき。川崎がふと思い出したように、口を開いた。


「『電線の上って、人は乗れないよね?』って」

「は?電線の上?…っスか?」

 かき氷の冷たさに顔をしかめて、言葉を返す令。連続で冷たいものを食べすぎた。

「サーカスの綱渡りみたいに?」


「うーん」

 彼はケーキを一口サイズに切り分けながら、ためらうように、話を続ける。

「いや、小鳥が電線にとまるみたいに。

 架線の上にしゃがんでる男の人を見たんだって」

 大の男がスズメと並んで、架線にとまっているのを想像した令は思わずコーヒーを噴き出しそうになった。


「僕もよく意味がわからなくてさ。詳しく聞いたんだけど、んん~……」


 彼はフォークをピタッと止めて少し考えてから、眉間に皺を寄せ、弱々しく微笑んだ。


「あと、その人を見たときに、塔の景色が思い浮かんだんだってさ」


 ふと後ろに視線を感じて、令が振り返ると戻って来ていた山野がぼんやりこちらを見ていた。


「……。あれ?ミルフィーユって、あったんですか?あー、取り損ねちゃったなぁ。もう一回行ってこようかな」

「えぇ、今さっき出されてましたよ!おひとつあげましょうか?」

 色とりどりのケーキの並んだ皿がトンと置かれた。バターと砂糖のむせ返るような香りに令はうんざり顔で立ち上がる。

「うぇ〜。私はコーヒー取ってきますわ」


 蒸気を噴き出し、カタカタ揺れるコーヒーメーカー。黒い液が滴るのを待ちながら、令は恐る恐る席を振り返る。驚くほど店内に溶け込むおじさん二人。甘い物好きな気の良い二人組。


(うん、気のせいだ)


 心に湧いた不安を振り払うようにして、彼女はコーヒーカップを手に取った。


(あのとに、一瞬、先輩が別の人にのように見えたけれど、きっとそれは気のせいだ)

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