私は商品じゃありません
柏てん
第1話
「おい見ろよあの胸。誰か彼女のことを知っているか?」
「ああ……あいつはやめておけよ。人買いの娘だぞ」
「なんだって? どうしてそんなやつがこんなところに出入りしているんだ」
ひそひそと、悪意のある言葉がそれに続く。
やっぱり、こんなに胸元が開いているドレスを着てくるんじゃなかった。胸が大きいのは、昔から気にしている私のコンプレックスなのだ。
そして全部聞こえていると思いながら、私はそ知らぬふりでグラスを傾けた。
私、アリシア・バーデンの実家は奴隷商人をしている。
言い間違いや聞き間違いではない。
正真正銘、人間を売り買いするあの奴隷商人である。
なので彼らの言い分は間違っていない。間違っていないのだが。
「全く、下賤な商人を招待するなんて、パーティーの格が落ちるぞ」
「ブリスモン伯爵は一体何をお考えなのやら」
胸元の大きくあいた夜会用のドレスを着て、貴族でもないのにわざわざ伯爵家のパーティーにやってきたのは勿論招待を受けたからである。
私だって本当はこんなパーティーきたくなかった。
だって、こんな風に言われるのは分かり切っていたから。
パーティーの主催者が無碍にできない取引相手でなかったら、こんなパーティーなど絶対に出てこなかったのに。
不満をワインと一緒に飲み干すと、私は華やかなホールを改めて見回した。
競うように輝く宝石、一点物の高価なレース、紳士たちがたしなむシガレット。
そのどれもが、奴隷たちの労働なくしてはこの世に生み出されなかったものたちだ。
だというのに、それを身に着ける貴族たちは奴隷を――そして奴隷商人を侮蔑する。
一体何様のつもりなのかと、いつも思う。
自分たちが金ぴかでいられるのは、その足の下で血と汗と涙を流す、奴隷たちがいるからこそだというのに。
だが同時に、私はそんな風に言われることに慣れ切っていた。
職業に貴賤などないが、奴隷商人のことを奴隷をいじめて金儲けをする卑劣な商売だと考える人は少なくない。
実際にそういう奴隷商人がいないとは言わないし、取り扱う商品が自分と同じ人間なのだからそう思われても仕方ないのだろう。
だが、これだけは言いたいのは、うちのフリードリヒ商店はそんな非人道的な奴隷商人ではないということだ。
そもそも祖父のフリードリヒ・バーデンが創業した我がフリードリヒ商会は、奴隷同士の子供が生まれつき奴隷になってしまうことを哀れんだフリードリヒが、そんな子供たちを買い取り教育を施して上級奴隷として販売し、いずれ己の身柄を買い取ることができるよう全力でサポートする奴隷商人なのである。
上級奴隷というのは、それぞれが特技を生かすことによって持ち主に利益をもたらすと認められた奴隷のことである。上級奴隷を買い入れるには一定の審査があり、買い取られた奴隷は衣食住と少額とはいえ給金を保証されるのである。
ちなみに普通の奴隷には、勿論そのようなものは保証されていない。
劣悪な環境で働かされ、満足な食事も得られず死んでいく者が無数にいる。
ではそもそもが、どうして奴隷という存在が生まれるのか。
彼らは犯罪によって奴隷身分に堕とされた犯罪奴隷であったり、過去に侵略された国の血を引く敗戦奴隷であったりする。借金が嵩んだり、あるいは親の借金のかたに身を売られた子供の奴隷もいる。奴隷になる理由というのは本当に様々なのだ。
なので当然、フリードリヒ商会にやってくる奴隷にも様々な人間がいる。
うちで買い付けるのはそのほとんどが子供だが、祖父から家業を受け継いだ父はお人好しで、哀れな身の上の奴隷がいると大人であっても採算度外視で買い付けてきたりするのだ。
そんな父を呆れつつも、私は尊敬していた。
泥をかぶって奴隷を救うと決めた祖父の理念にも賛同している。私は自分の仕事に誇りを持っているし、これからもこの仕事を続けるつもりだ。
なのであんな無自覚に搾取を行っているような奴らに、何かを言われるような謂れはこれっぽっちもないのである。
「きゃあ! 公爵閣下がいらしたわっ」
「どこどこ!? ああ、相変わらずなんて素敵なの」
「今夜こそダンスを踊っていただくわ」
「ちょっと、抜け駆けはよして」
入り口に近い一角で、若い女性たちの姦しい声が聞こえてきた。
どうやら近頃社交界の話題をさらっているという、リンディスファーン公爵がこのパーティーにやってきたらしい。
目立つ人間に近づいていいことなどない。
私は男たちの視線や淑女たちの騒ぎを避けるように、グラスを置いて中庭につながるテラスへと歩き出した。
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