裂け目

@kiuyuikufu

裂け目

 何もかも気に入らない夜だった。

 

 女に捨てられ、仕事でミスをし、上司にいびられ、得意先に頭を下げ、こびりついた理不尽と憎悪を洗い流すために居酒屋で一人酒を飲んでいた。


 閉店が近づいても飲み足りずコンビニで缶ビールを買い、帰り道を飲みながらふらふら歩いていてふと立ち止まる。いつも通っている帰り道にポツンと小さい空き地があった。


 こんな空き地、あっただろうか。酔いのまわった頭で空き地に足を踏み入れた。足に雑草を踏みしめる感触が伝わる。


 空き地の中央に闇があった。


 夜の闇ではない。まわりの闇よりも濃い闇がそこにはあった。空間に裂け目が入ったかのような闇に私は近づいた。中を覗いてみたがやはり闇が広がるばかりだ。試しに声をかけてみる。


「おーい」


 返事など返ってくるはずもなく、私はしばらく闇を見つめた後、手に持っていた空き缶を闇にに投げ込みその場を後にした。


 帰宅してベッドに寝転がる。眉間を揉みながら横に寝返りをうつ。今日一日を思い出しどろどろとしたなにかが胸の内にたまっていく。私は壁を殴りつけた。手から血がたれ、壁にはひびがはいった。そのひびが私を笑っているかのようだった。



 空き地の裂け目のことを思い出した時、私は思わず自らをよくやったと賞賛した。


 同僚の死体をどう処理するかを考えていたが、何も浮かばず途方にくれていた所にあの裂け目を思い出したのだ。


 あの裂け目に死体とはいえ同僚を捨てるのはなかなかしのびないが、仕方がない。


 そもそも会社の金の横領を持ちかけてきたのは彼なのだ。それを全て事が済んだ後に急に自首したいなどとはあまりに自己中心的過ぎるではないか。話をしようと彼に会うと、本人曰わく罪悪感に苛まれもう耐えられないのだそうだ。私のことは絶対に喋らず一人でやったことにするそうだが、話をする彼の目は怯えながら不安げに泳いでいた。


 こいつは駄目だ。殺すしかない。


 私はそう思い、行動した。


 席を立った彼の背後から机に置いてあった

灰皿で頭を殴る。彼はこちらを振り返り、目を丸くしながら崩れ落ちた。


 裂け目には死体と灰皿を捨てよう。そうだ、せっかくだから彼の言うとおり証拠になり得る物を彼の家に残し望み通り彼一人がやったことにしてしまおう。私は周りの自分が触ったであろう箇所の指紋を入念に拭き取り、彼の車に彼の死体と灰皿を積み空き地に向かった。


 せまい道だったが何とか空き地に車をすべりこませる。夜中であたりはすっかり暗かったが、さらに深い闇を纏って裂け目はそこにあった。死体と灰皿を投げ込む。続いて車もゆっくりと裂け目に進ませた。この大きさで飲み込まれるか不安だったが無事車も裂け目に飲み込まれていった。最後に車の鍵も投げ込む。これで完了だ。誰にも見られてはいない。


 それからの私は手に入れた金で豪遊を繰り返し、気に入らない人間や物はすべて裂け目に捨て去るようになった。


 気に入らない上司を裂け目に捨てた。


 頭を下げる必要性を感じられない得意先の人間を裂け目に捨てた。


 思い通りにならない女を裂け目に捨てた。


 やがて、豪遊を繰り返した金は底をつき、捨てる物も人もはいなくなった。すると、私の周りには何も誰も残らなかった。気に入らない原因をすべて捨てたら満たされた夜がいずれやってくると信じていた。しかし、気に入らない物や人で私の日常、いや、私は形作られていたようだ。


 夜、寝床で眠っていると突然誰かに呼ばれたような気がして目が覚めた。ふと、横を見ると壁のひび割れの前に空き缶が転がっていた。


 何もかも気に入らない夜だった。

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