第35話 ヒルダ

 薬効により気を失ったジットラはガガの小脇に抱えられていた。

 数か月前の自分をそこに見て、気恥ずかしくなりながらも裕次郎は若干のうらやましさを感じていた。

 痛い。

 アドレナリンが去れば痛みがやってくる。

 どこを痛めたのか、動くたびにあちこちが悲鳴を上げるがリンデルに抱えて貰うわけにもいかないので脂汗を流しながら足を進める。

 ほんの少し先の小屋が果てしなく遠く感じる。


「ふん、なんじゃ裕次郎。ワシの従者ならもっと堂々とせんかい。大体、貴様はワシに断りもなくまた怪我なんかしおって」


 怒気交じりに言いながらリンデルが裕次郎の尻を叩いた。

 鈍痛が激痛に替わり、裕次郎は全身の毛が逆立つ。


「痛い、痛いよ。見りゃ分かるだろ、ほら血も出てる!」


 裕次郎は腕に複数刻まれた斬撃の傷痕を誇示しながらリンデルに抗議した。

 

「貴様の体は血の一滴までワシのものじゃというに、惜しみなく浪費しおって。しかし怪我の程度もあちらに比べればマシじゃろ」


 リンデルが顎で示す通り、ジットラは千切れかけた右腕とあらぬ方向を向いた左腕に今後の生活にも難儀を強いられるだろう。

 しかし、それに責任を感じたりはしない。勝敗と怪我の具合が逆だったとして、裕次郎は恨み言を言うつもりがないからだ。

 あの瞬間、確かに殺し合いの密かな不道徳を楽しんだ。そういった意味で二人は共犯ですらある。

 しかし、裕次郎は言い返さないまま痛みを噛みしめ、ようやく家に着くと深いため息を吐いた。


「親分、大丈夫ですか?」


 駆け出してきたマディの手には肉切包丁が握られていて、そのまま肩を貸そうとするので危なくてしょうがなかった。

 

「いいから包丁を戻してこい。さっきのお嬢さんは無事だろうな?」


「ええ、なんだか裏口はないかとか、逃げる算段をしてましたよ」


 果たさねばならない任務を抱える者の、見苦しくも任務の達成を追求する姿勢は嫌いではない。

 

「む、お嬢さんとはなんじゃ?」


 先を歩くリンデルが裕次郎の顔を振り返った。


「どうも貴族の娘らしいが、ジットラが言うにはグロウダッカという組織に潜入して、身元がばれて逃げてきたんだろう。あのトロールやジットラはその娘を追って来たらしくてな」


「ふむ、グロウダッカね。最近、妙な動きをしているとは思っていたが、なんじゃろうな?」


 やはりリンデルはグロウダッカについても知っている。

 裕次郎は感心しつつ、家の前に置いてあるベンチに腰掛けた。痛みがたまらなくなったのだ。

 ベンチが二脚と机の簡易なダイニングセットで、今晩にはここで酒を飲もうと裕次郎が設置したものだった。

 

「コイツはどうする? 面倒なら俺が絞めてやってもいいが」


 ガガはジットラを地面におろして聞いた。

 頼めば即座に実行するだろうことは表情を見れば分かる。

 

「いや、できるだけ治療をしてやってくれないか」


「……止血と傷口の接着はできるが、この肘はダメだぞ」


 裕次郎の隣に腰を下ろし、ガガは診察をした。


「ふふふ、ガガよ。マダマダじゃのう。薬師のキサマにそれ以上を求めるのはコクじゃろうが、ワシならその腕も元通りに治せるぞ」


 リンデルも裕次郎の対面に腰を下ろして不敵に笑う。

 断裂した腱の再建は投薬では出来まいし、文明レベルを考えれば外科手術なども到底望めない。しかし、リンデルがやれるというのならやれるのだろう。なんせ、裕次郎は体ごと新しく作り変えて貰ったのだ。今更、驚くこともない。

 と、家の中から件の女が飛び出てきた。

 

「すみません、一連の戦いを拝見させていただきました」


 先ほどまでの態度とは随分違う。

 裕次郎は思わず苦笑していた。


「まさかトロール兵のみならず“狂戦士”のジットラまでくだしてしまうとは。名のある武人とお見受けしますが」


 恭しく言うものの、はてそんな剣呑なあだ名が着くほどジットラは狂暴だったかと裕次郎は首を捻った。

 あまり話してはいないが、気のいいやつではなかったろうか。

 

「いや、いいのですよ。謝礼を忘れずに、気を付けて行きなさい」


 人当たりのいい笑顔を浮かべて裕次郎は頷く。


「待て、娘。もう少し遊んでいけ」

 

 リンデルの言葉に女は固まり、ゆっくりと裕次郎の方を見つめた。


「妹御ですか。随分と元気な盛りで、お可愛いですね」


 その額に青筋が浮いているので、生意気なクソガキだと文句を言いたいのかもしれない。

 貴族の彼女からすれば小汚い格好をした少女に生意気な口を叩かれることなどなかったはずだ。

 言い返そうとするリンデルを手の平で黙らせると、裕次郎は咳払いを一つ。


「ヒルダお嬢さん、こんなところで知り合ったのも何かの縁。事情を話していただけますと、何事か協力できることもあるかも知れませんね」


「……私の名前をどこで?」


 ヒルダは怪訝な表情で裕次郎を見つめた。

 

「あなたに化けたジットラが名乗りました。その言が正しいのなら、あなたはグロウダッカに潜入し、追われて逃げていた。違いますか?」


「……おおむねその通りです」


「どうせ、乗りかかった船だ。お話しなさい。私たちも次第によっちゃ、あなたの手助けが出来るかも知れません。もちろん、金貨の謝礼次第ですがね」


 ヒルダの視線は血だらけの裕次郎と厳ついガガの間を行き来し、やがて決心したのか話し始めた。

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