第32話 変わり者
「助けてくれたこと、礼を言う。私の身分などは明かせんが、いずれ改めて謝礼などは……」
「ああ、謝礼なら金貨にしてくれ。俺の主人が喜ぶ」
ようやく走ってきたマディが差し出す剣を受け取り、裕次郎は鞘から引き抜いた。
「王都なら都市貴族のストルテンバー邸で裕次郎について訊ねてくれ。あるいはこの辺の集落で俺のことを聞き回ってもいい」
話しながら、剣先で倒れた男の尻をつつく。
とりあえず両手の腱でも切って放置したものか、縛り上げて事情を聞き取ったものか悩ましい。
「ストルテンバーの屋敷なら存じている。いずれ訪ねるので待たれたい」
その言葉を聞いた瞬間、裕次郎の興味は逃走していた女に移った。
やや灰色がかった髪を一つに束ねて、裕次郎を見つめている。身長は裕次郎の胸のあたりまでしかないが、年齢は二十歳前後だろう。
「なんだ。貴族様ならそう言ってくださいよ」
裕次郎は笑みを浮かべてへりくだった。
ストルテンバーを知っていて、呼び捨てにするということはそれ以上の地位にいることを意味する。
機嫌の一つも窺えば面白い話が聞けるかも知れない。
「ふむ、バレては仕方がない。いかにも私は青い血の生まれだ。ついでだが、馬を一頭貸してもらえまいか。急ぎ王都へ赴き女王陛下にご報告申し上げねばならんことがある」
馬、ね。
裕次郎は顎を掻いた。
馬は飼育費用が莫大なものになるので裕次郎たちは所有していなかった。
また、この辺りの家々には農耕馬しかおらず乗馬用の馬具もない。
乗馬用の馬を飼育しているのは、この辺りでは二つ向こうの集落に居を構える小貴族であろうが、そこまで行って云々するのであれば直接王都に走った方がよほど早かろう。
という辺りが常識なのだが、この娘はそれを知らない。
つまり、特権的行為である乗馬が普通に嗜まれる状況で育ったのだろう。
「残念ながら、乗って走れるような馬はおりません」
申し訳なさそうに言うと、倒れた剣を男たちに向ける。
「この者たちは俺が処分しておきますので、お行きなされませ」
「ぐっ……ナフ、貴様!」
倒れたリーダー格の男が口から胃液を吐きながら女を睨んだ。
ナフと言うのがこの女の名前なのだろうか。
男は震える手で髪を触ると、次いで口を触った。
いや、頭部に隠していた何かを口に入れたのだ。
「いけない、離れなさい!」
次の瞬間、裕次郎の目の前で展開されたのはおよそ、物理法則に反した現象だった。
男の見開かれた目に血管が走り、頬が膨らむ。それから肌の色が灰色に染まっていき、体積が膨張した。一呼吸前まで確かに七十キロ程だった男は、ゆっくりと足を着いて立ち上がる。
デカい。
身長にして三メートルはくだらない体格と、おそらく三〇〇キロ以上の体重に増えていた。
ガワはともかく、質量の増加となると裕次郎には説明ができない。が、理由など二の次である。
立ち上がった灰色の巨人は半裸、裸足となり明らかに凶暴な目つきをしていた。
「トロール化!」
ナフと呼ばれた女は悲鳴の様に叫ぶ。
「マディ、お嬢さんを連れてさがっていろ!」
「はい、親分!」
マディはすぐにナフの手を引いて家の方へと逃げていった。これで足手まといはいない。
幸い、裕次郎の手にはマディが持ってきた剣がある。西洋剣とでも言うべき直剣は両刃で柄尻から剣先まで合わせて一メートル程の長さだ。鉈や薪より対人戦に向いていることは間違いない。
「ギャアァ!」
怪物は長くなった手を振り回して来た。
体が大きくなれば単純に動きは速くなるものだ。
剣の腹で怪物のラリアットを防げたのは裕次郎の経験による賜物であった。
ガチン、と音を立てて裕次郎は吹き飛ぶ。
無造作な一撃が重く、皮膚が石の様に硬い。転がり、起き上がりながら裕次郎はそれを理解した。これは、人間ではなく象かサイの様なものとの決闘である。
そう思えば、案外と楽しい。
「来い、ほら!」
思わず浮かぶ笑みを感じつつ、裕次郎は怪物の間合いに飛び込んだ。
迎撃の為に差し出された右手の手首を思いっきり切りつける。
しかし、勢いと重量の関係で刃が立たず、剣ははね飛ばされた。
真っ赤な口から覗く乱杭歯が禍々しく誇示される。
裕次郎は自らを捕まえようと延ばされた腕を掻いくぐり、手首程も太くなった足の親指から爪を引っ剥がすと、剥いた爪を傷口に差し込んだ。
流石に痛かったのか、怪物は前屈みに体勢を崩す。
背後に回り込んだ裕次郎はその背を駆け上がると、怪物の左肩を足場にして首の後ろに下段蹴りを叩き込んだ。
炸裂した延髄斬りは怪物の動きを止める。
人智を越えた変化をしようが、人型であり急所が同じなら戦い方も見えてくる。
地面に降りると同時に、裕次郎は怪物の背を全力で押した。
平衡感覚を乱された怪物はさして抵抗もなく巨体はズンと音を立てて倒れる。
人間だって無防備に転倒すればそれが重篤なダメージに繋がりかねない。
人間型であり、人間より高い位置に頭部があり、人間よりも遙かに体重が重い。理屈に則って考えるのならば、そんな生物にとって受け身も取れない顔からの転倒のリスクは人間の非ではない。
裕次郎の目論見通り、怪物は呻いてそのまま動かなくなったのだった。
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