第33話 ステトロ
「まさか……そんな、素手でトロール化した魔人を倒すなんて」
いつの間にか傍に立っていたナフが感嘆の声をあげた。
裕次郎はそちらを一瞥すると弾き飛ばされた剣を拾いにいく。
「なんなんだね、コイツは?」
裕次郎は拾い上げた剣先で倒れた怪物の頭部を叩いた。
人間が大型獣の様な皮膚と巨体に変化したのは明らかに尋常な事態ではない。自ら死に、転生を遂げた裕次郎としても驚きを禁じ得なかった。
「グロウダッカの魔人です。彼らは体内に魔力を蓄積し、特定のきっかけで怪物に変じます」
「グロウダッカとは?」
「……グロウダッカというのは組織、あるいは集団の名称です。この国の辺境部に潜み、暗躍をしています。私はグロウダッカに潜入し、内実を調査していたのです」
「ふうん……で、アンタは?」
「申し遅れました。私は女王陛下直属の調査員エスタ・ヒルダ・ナフェリア。グロウダッカへの潜入の際はナフと名乗っていましたが……」
「近づくな」
裕次郎は剣先を女に向け、鋭く警告した。
彼女はゆっくりと、裕次郎に近づく足を止めて裕次郎の顔を見る。
やや不安そうな、縋るような表情でうなだれた。
「すみません。突然厄介ごとを持ち込んでおいて、慣れ慣れしかったですね。でも、これだけは聞いてください。今、この国は存亡の危機にあります。素手でトロールを倒すようなその腕を是非、私に貸してはくれないでしょうか?」
哀れさを誘うように見えるのは女の儚げな美しさばかりではなく、視線や指先まで計算された動きによるものだろう。
裕次郎は感心しつつ、口を開いた。
「まず、誤解があってはいけないからきちんと言おう。厄介ごとは持ち込んでくれればいい。それは年中無休で受け付けている。だから、アンタにもあの娘にも悪感情はないよ。それで、もう一度聞くがアンタは誰だね?」
「……ですから女王直属の」
「それは、おそらくだがさっきの娘のプロフィールだ。俺が聞きたいのはアンタのだよ」
裕次郎は剣先を向かい合った女に向け、問いただした。
応える様に女は笑顔を浮かべ、犬歯を剥き出しにする。
「やはり、外見だけではダメだな」
呟くと、その体はグニャリと歪み違う姿を取った。
タールを思わせる漆黒の肌。闇に溶けることを目的としたような赤黒い衣服。 細長く、しかし機能性を感じさせる手足。隙のない重心に乗ったのは一七〇センチほどの男だった。
額に小指の先ほどの小さな角が四つ、生えている。
人が巨大な怪物になるのだから、見た目が多少変わることには動じない。が。
「鬼か」
裕次郎は思わず呟いた。
前世で鬼人と対峙したことなど、当然ない。
「改めて、俺は“岩兎”のジットラ。グロウダッカの雇われ者だ。そこの三人が脱走者を捕獲出来なかった場合の用心で、俺も後ろから着いてきていたんだよ」
ジットラは細く、鋭い瞳で裕次郎を見据えた。
「しかし、素手でトロール退治とは本当に驚いたよ。そんな芸当が出来るのは我々“岩兎”でも数名だ」
「待て、その“岩兎”を説明してくれ。気になって話が入ってこない」
裕次郎の願いに、ジットラは一瞬ポカンとして、すぐにクツクツと笑い出す。
「失礼。アンタのような人種なら当然知っていると思ったが、これは俺たちもまだまだだな。“岩兎”というのは一種の傭兵団さ。非合法だがね。護衛、警護、暗殺に運搬、襲撃から雑用一式までなんでもござれだ。ご用命があればいつでもどうぞ」
今度は裕次郎が笑う番だった。
ジットラはなぜ笑うのか理解できずに怪訝な表情を浮かべている。
が、つまり“岩兎”とは前世で裕次郎が率いた裏働き衆と同様の集団なのだ。
「いや、こちらこそ失礼した。こんなところで同類に会うとは思ってもいなかったよ。もっとも俺はずっと主持ちだったし、それも失業して今は別の主に仕えているけどな。ジットラか。アンタとは話が合いそうだ」
裕次郎の言葉に、ジットラがムッと表情を歪める。
「やめてくれよ、やりづらくなるだろう。こっちはアンタと戦おうと思ってるのにさ」
「はは、それは気にしなくていい。思い切りやろうじゃないか」
裕次郎は改めて剣を構えた。
「一応言っておくけど、さっきの女を引き渡すなら見逃してやってもいいんだぜ?」
ジットラも背後に手をまわすと、大振りのナイフを取り出した。
言葉とは裏腹に、隙を見せるだけで飛びかかってきそうな圧を感じる。
「遠慮する。なんだか知らんが面白そうだから」
それに、同類の力も見ておきたい。
「そうかい、命には換えられないと思うがねえ。残念だ」
「出来ないことを勝手に残念がるなよ」
会話をしながらも油断なく視線を交わし、距離を詰めていく。
「全く、残念極まりないね。ところで、アンタの組織の名前はなんだい。こちらも後々、上司への報告があるんだ。教えておいてくれよ」
「鉦水流拳法道場元総帥、鉦木裕次郎。だったが前半の部分は全部なくしてしまったので今はただの裕次郎だ。組織も後ろ盾もありはしない」
「ふむ、御高名はかねがねと言いたいところだけど、本当に知らないね」
言いながら、ジットラの重心がわずかに動いた。
来る。
「“岩兎”には素手でトロールを倒せるのが数人と言っていたが、ジットラ。君ももちろんその一人だろうね?」
裕次郎も両足のつま先に力を入れて地面を踏みしめた。
「当然!」
一声吼えながらジットラが跳び、戦いは始まったのであった。
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