帝国編
第18話 旅立ち
涙には無限に出てくるものではない。無限に続く悲しみでも涙は有限であり、悲しみの表現をこれ以上許してくれない。
朝の出来事から時間が経っていない気がするのに、周りは既に暗くなっていた。遠征は中止となり、明日の朝から撤退が開始される。
暗闇の中で、明かりを付けずに見るに堪えない姿となった輸送車両を見つける。帝国軍に押収されないように牽引してきたようだ。車両の中を探り、聖剣と荷物を探す。
「・・・よし」
聖剣は傷ついておらず、荷物も無事に見つかった。行こうとした時、視界にシズの荷物が映る。震える手を伸ばして中を見る。遠征前に指示した通りの中身が綺麗にまとめられていた。
一切の個性を感じられないバッグからは、シズを感じることが出来た。
これ以上、涙が出ないと思っていたのに、あふれ出す。シズのバッグから頭を覗かせていたハンカチを手にして自分の荷物に加える。
残骸を背にして、歩き出す。向かうは事後の谷へ。
歩きながら考える。冷静な思考は取り戻している。
今から僕がする事は軍規違反であり、愚かであることを、再度自らに問いかける。
だが、覚悟は変わらない。
一人で帝都に向かうこと。
シズを取り返すこと。
ティトを取り返すこと。
レイを取り返すこと。
何一つ変わらない。
朝になると、谷の入り口にたどり着いた。入り口からだと、大きく地形が変化していることが分かる。
恐らく爆薬を予め埋めといたのだろう。
谷を歩くことが困難だと判断すると、新たに崖となった部分を歩くことにする。
無心のままに歩き続けるが、物音がすると立ち止まる。音へ近づくために、足音を立てず、息すら殺し、近づく。
「・・・捜索完了しましたが、共和国軍は見当たりません」
「分かった。それでは所定の位置で待機しろ」
おそらく上官だろうと思われる人物の声が、昨日のシルエットと完全に一致する。
今すぐに前に出て、シズを何処にやったのかを詰問したいが、その衝動を抑える。強く握りしめた手から独特の生暖かさがある液体がこぼれ落ちるが、気にも留めない。
部下達が走り去る姿を確認してから、近づくことを決意する。敵との距離は約20メートルで、地面は枯れ葉で覆われており、忍び寄るには適していない。
それなら、最速で接敵する。
1度だけ大きく息を吸い、吐く。
腰に差している聖剣に手を伸ばし、鞘から刀身を抜く。
体が耐えれる限りで立ち上がり、木の陰から飛び出す。
残り数メートルというところで敵に気付かれるが、もう既にこちらの間合いに入っている。敵の体を体術で地面に転がし、剣を首に当てる。
「シズは、昨日お前達が拉致した共和国兵をどこに連れて行った」
最初は抵抗の意志を見せていた敵兵だが、死が迫っていることを理解してくれたのだろう。
「・・・旧戦争犯罪者施設だ」
息苦しさからゴホッゴホッと咽せる敵兵。
「咳をするな。あと、それはどこにある」
咳の音で仲間を呼ばれる可能性もある。首に当てていた剣を少し首から離し、楽にしてあげる。
「帝都リムサルだ。満足か?」
「・・・ッ!」
人の気配を感じ、不敵な笑いを浮かべている敵兵から離れる。
「もう遅いぞ、共和国兵。大人しく捕虜となれ」
敵からの提案など耳にせず、思念術を行使する。
シズを守れなかった後悔、シズを取り返すことの決意を聖剣に注ぎ込む。
思念術を行使し始めて数秒で刀身はオレンジ色に輝き始めた。
「・・・そっちこそ大丈夫なのか?今なら降伏を認めるぞ」
聖剣を構え、荷物を下ろし、ゆっくりとその場で回る。
「おい、やれ!」
1人しかいないはずなのに思念が聖剣に乗っていることに焦ったのか、先程まで僕が情報を仕入れてた上官が大声で指令を出す。だが、時は既に遅い。
思念術によって一撃によるダメージが飛躍的に上昇している僕を誰も止めることは出来ない。
目の前にいる敵を斬り、移動して斬りつづける。
囲んでいた敵を全員斬り、増援が来ても問題ない。
敵の攻撃をよけて、斬る。
子供の頃から教えられていることをそのまま実行する。
もう何分戦っているのか分からない。体と意識がかけ離れた状態で、反射的な動きを繰り返して斬りつづける。
意識だけが浮遊しているような奇妙な感覚に陥りながら、考える。
シズは生きている、ということがさっきの会話から分かった。
昨日、朦朧とした意識の中でも、帝国兵が交わしていた会話の内容は覚えている。「全員の脈がある」と言っていたはずだ。
そして、何よりも旧戦争犯罪者施設に連行されているという情報。
この施設には聞き覚えがないが、敵兵の脈などを測っているにも関わらず、重篤な状態にある者を収容所に入れる訳はないだろう。
ただ、言い切れる確証はない。僕が信じたがっているだけである、ということは理解している。
ただ、生きていて欲しい。もう一度だけ会いたい。この思いが今の強固な思念術を形作っている。
皮肉だな、と心の中で呟く。シズを守るために思念術を覚えたにも関わらず、シズを失ってそれが輝き始めたことを。
最後の敵が怯えたようにその場にへたり込む。首を落とそうとしたが、何かのブレーキがかかった。結局、鞘で殴り気を失わすだけにする。
落ち葉で覆われていた地面は、血と人で覆われている。反射的に行動していて、戦闘に関してなにも考えていなかったが、一つだけ、さっきのようにブレーキが働いていた。それは、なるべく相手への致命傷となるような攻撃を避けること。
「弱み、なんだよな。未だに」
精錬場では、生きている死刑囚を斬る訓練があった。どこを斬ったら人は苦しみ、命を落とすのか。それを実際に学ぶ為だ。その時、僕は死刑囚の命を取ることだけは出来なかった。
当時の教官達は、まだ若いから、いつか斬れるようになるから、と言ってくれたけど、これは今になっても出来ない。
だが勿論、僕は人を殺していない、ということはない。いくら致命傷を避けても相手が死んでしまうことはある。人間は案外脆く、傷一つで死ぬ可能性もあるのだ。
転がっている何人かの敵兵の脈を取り、生きていることを確認する。多分、九割程度の兵士は生きて帰ることが出来るだろう。
「ごめんね。でも仕方ないんだ」
意味の無い謝罪を口にし、その場を去る。おそらく、これが谷で起爆させた部隊だろう。だとしたら、移動手段である軍用車がどこかにあるはずである。それを探す為に歩き出す。
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