若い華
@fujikon
若い華
―――2000年代の後半となって、ヤクザの力は弱まったと言えるだろう。
全国規模での暴対法によるヤクザの摘発。これは想像以上の力を発揮し、これまでの歴史上で裏社会を牛耳っていた巨大なヤクザ組織が規模を半減せねばならない程にまで追い込まれたのは云うまでも無かった。
日本の反社会勢力と言う枠組みの中において最も代表的なのは、このヤクザと言う組織において他無く、これまでに存在してきた闇金やら愚連隊と言った組織も彼らの傘下として活動していたのが大半だ。
だが、現代日本においてはこのヤクザより……規模を持ち、そして凶暴性に塗れた若者の集団が台頭し始めた。
―――半グレだ。
・・・
東京、渋谷。多くの人が集い、海外からも様々な人間がやって来るこの街は一大都市として有名であり、人々もこの街に夢を持って来る事もよくある事だ。
そしてその分、汚い金も綺麗な金もこの街は回り続けている。人はこの回り続ける巨額の大金を手に入れようとは考えず、浪費に浪費を重ねていき、この街の中で眠る利益は途方も無いモノになっている。
そして、この街には
「―――あー。もしもし? 酒井さん? 俺だよ、“松阪”だよ」
半グレが蔓延っていた。
「あのさぁ、アンタがウチの子会社にしてる金融からさ、100万くらい借りてるよね? まだ返済してないの? ねぇ?」
男の名は松阪。半グレ組織、“渋谷凶冥連合”の幹部だ。
身長は高く、金髪のツーブロックに刈り上げた髪型が特徴的で革ジャンにダボダボなズボンを履いた如何にもと言った風貌なこの男、無論、狂気的でいて最悪な男だった。
「勘違いしちゃダメだよ? ウチを何だと思ってんの? ねぇ? 借りたもん返せって学校で習わなかったの? 義務教育受けてんのちゃんとさ?」
低く、冷たい様な恐ろしい声をしていた。目は虚ろで、今にも人を何の躊躇もせずに殺しそうな雰囲気を放ちながら電話をしている。
「もうさ、返済日から1週間経ってんのよ。言ったよね? 君さ、利息以前にそんな事しちゃったらさ、もっと取り立てないといけない事分かる?」
「何なら別にアンタんトコの娘さんさ、ソープにやってもいいんだよ。酒井さんの家貧乏だろ? 正直払えないでしょ? 嫌だ? それなら期日通り払えよ、うん、分かったよ。明日ウチんとこから若い奴連れてかすから200万で返せよ?」
「暴利なんて言わせねぇからな」
そう言って、松阪は電話を切る。
松阪はスマホをポケットに入れて、歩き出した。無表情で虚無的な視線は、どこに向いているのか分からない。しかしその狂気は果てしなく続いていた。
彼と目が合ったもの全てが視線を背けた。誰もが本能的な恐怖を感じたからだ。何の躊躇も無く、平然と悪魔の様な行為をやってのけるであろうこの男に対して。
(あー、そう言えば今日は客人来てんだっけか)
・・・
渋谷のとある町。その町は所謂歓楽街に近い町で、ゲームセンターやバー、クラブやバイブスなどの様々な店が密集している地区だった。
その町のある路地裏には閉店したバーがあった。そして、誰も立寄ることの無いその場所に不法侵入してたまり場として使用している集団がいる。それが彼ら、渋谷凶冥連合だ。
閉店してボロボロとなっているバーだが、快適なソファーベッドが置いてあり、カウンターもグチャグチャであるのに、飲みかけの酒や瓶が置いてある。
そして、ソファーベッドに座っている男が2人いた。
1人は、襟にボアの付いたジャケットを着こなす、白髪のオールバックをした男だった。中のシャツを着ておらず、胸には刺青が多く彫られている。更には顔には深い傷があり、禍々しい雰囲気を放っていた。
そしてもう1人は、そんな場所には似つかない様なスーツを着て眼鏡を掛けた、まるで会社員の様な男だった。
「―――どうでしょうか? そちらの方は」
「順調だよ。まさか、あんな凄いアイディアがあるとは思わなかったね。ホントに才能の塊だよ君は……」
「恐縮です」
「君の持っている警備会社、何処ともなくやって来たホームレスなどを雇って、ウチで管理してる物件や店の警備をさせて、安い賃金で働かせて本来の賃金の7割はピンハネ、しかも雇ったホームレスの数も多いしいい儲けだな!」
スーツの男が愉快そうにそう言った。
「それだけでありませんよ。貧困者は様々な儲けのアイディアですよ。彼らが働けば働く程金が回ってきますからね。貧困ビジネスはかなり儲けですよ」
禍々しい男がフッと笑う。
「後は親のいない子供です。孤児には国から支給される金があります。それをピンハネ出来るように仕向ける方法もありますから」
「ククク、ぼろ儲けって訳だ。ホームレスといい孤児といい、奴らは境遇をどうにか言える立場では無いからな」
「そう言う事ですよ……フフフ」
2人は不気味に笑う。悪どく、そして金への飽くなき欲求が渦巻いている。並大抵の人間ならそこにいるだけで吐き気を催す程の悪意だった。
「流石、“渋谷凶冥連合”の総長なだけあるねぇ。“嘉山”さん」
ジャケットの男、嘉山は渋谷凶冥連合のリーダーであった。
2人が笑っていたその時、扉が開いて誰かが入ってきた。2人はそちらの方に視線を向ける。
「おう、松阪じゃねえか」
「あ、嘉山さんすか。んでそちらの方がクライアントの?」
「おう、お前も挨拶しとけ」
「うす」
そう言って松阪はスーツの男に頭を下げた。
「……っつうか、嘉山さん、仕事でしょ? 俺」
「おう、ちょうど言おうと思ってた所だよ」
そう言って、松阪も元の体勢に戻った。
「お前にやってもらう仕事はよ、かなり大事な仕事なんだよ」
「へえ」
少し関心を持ったのか、松阪は真面目な表情で話を聞き始めた。
「この方の管理してる建設会社がな、ここら一帯の地域でショッピングモールを建てる事になったんだ。そこで色んな方々に了承を得てその土地から離れてもらったんだが……少々邪魔な奴らが割り込んで来てな」
「ふむ、んでソイツらを潰せと?」
「そういう事だ。相手も同じ様な組織だ。多少は気を付けとけよ」
「場所は?」
「ここらの歓楽街の近くにあるバーだ。名前は“サーペント”」
「あいよ。脅しすか? 殺し?」
「……お前に任せる」
「分かりましたよ。ま、やるだけやったりますよ。報酬は弾みますよね? 流石にね」
「あぁ」
「んじゃ、行きますわ」
そう言って松阪はまたすぐに店から出た。2人は 松阪の方を見ていた。スーツの男は何だか憂鬱そうな顔付きをしている。
「ホントに大丈夫なの? 彼」
「大丈夫ですよ」
「アイツ程、脅しと暴力に長けた奴はいませんから」
・・・
松阪は歩いていた。目標となる場所まではそう遠くない。ポケットに手を突っ込んで、相変わらず虚無なのか狂気なのか分からない様な表情だ。
「……どうなるかなぁ」
すると、目の前から2人の男女がやってくる。どちらも変わった雰囲気の男女だ。かなりの美男美女なのだが、所謂メンヘラ系と言った風貌の2人組だ。
「へぇ」
松阪は歩く速度を早める。そして、わざと男にぶつかった。
「痛ッ」
男がそう言って、松阪の方を見た。そして松阪も男の方を見る。一触即発と言う雰囲気では無いのだが、2人組は松阪の方を見て何とも言えない表情をしている。
「ごめん、痛かった? 悪いねぇ」
そう言って、松阪は男の方に近づく。
「え、いや」
「綺麗な銀髪だねぇ、顔も凄い。ホントに男? 女の子みたいだよぉ、それにピアスもイカしてるねぇ丸くて金色な輪っかピアス。こういうの確かにイイよねぇ。てか君ら今流行りのメンヘラ? 変わった服装だなぁ」
「ちょ、ちょっと」
―――女の方が松阪に近づいた、その時だった。
松阪は、右手で思い切り男の右のピアスを掴んで引きちぎった。プチッ、と嫌な音がした。
「グワァァァァアアア!!!」
「し、修ちゃん!?」
男は引きちぎられた耳を抑えながら蹲った。女もそれを見て顔を青白くさせながら心配そうに寄り添った。
それを見て松阪はため息をついた。まるで、何とも思っていないかの様に。
「痛かった? いや、ゴメンね? 俺も悪いとは思ってんだ? でもけどね? 見たらそういうのしたくなるじゃん? いや、なんつうか衝動? 本能? 見たら酷い事したくなるじゃん!!」
多くの人が行き交う道の仲で、松阪は狂気に満ちた行為を何の躊躇も無くやってのけた。
周りの人間に通報しようだなんて思う人間はいなかった。誰もが目を背け、関わらないようにしているのが必死だった。自分も目を付けられたらおしまいなのだと、恐怖しているが故だった。
「え、何? 俺が悪い? 何なのダメなの!? は? え? ふざけてんのか!? どうなんだよ何か言えよ陰気女ァァ!?」
「それが嫌なら最初からするな気持ちわりぃ! ア!? テメェら2人とも顔も体も全部グチャグチャに引き裂いてよお!? パン工場の竈の中で焼いて地面にバラ撒いてやろうか!? ア!?」
そう言って、松阪はペッと唾を吐いて、また歩き出した。
・・・
そして、辿り着く。そこは一見何の変哲も無いバーだった。名前はサーペント。英語表記された看板の洒落たバーというのが第一印象だろう。
松阪もまた、同じ様な事を考えていた。
「不良の癖して洒落てんなぁ」
一息置く。何度も何度も空のポケットの中を手でこねくり回す。そして、扉を勢い良く開けた。
「……へぇ」
―――店の中は暗い雰囲気に包まれていた。奥のカウンター席には5人の如何にもと言う男達が座っていて、バーテンダーすら松阪を睨んでいる。そして、松阪から見て左側のテーブル席に座っている4人組も松阪の事を睨みつけている。
「ほう、いっぱいですねぇ」
「……何だテメェ? どこのモンだ?」
「渋谷凶冥連合です。インテリの集まりで皆さんとはまるで違いますよ」
松阪は煽る様に、笑いながらヘラヘラと言って見せた。
それに呼応するかの様に店にいた全員が顔に苛立ちを浮かべながら席から立ち上がる。
「テメェ、何調子こいてんだコラァ」
1番松阪に近かった左にいた男が松阪に因縁を付ける。下から松阪の顔を覗き込む様に睨みつけ、今にも殴らんとする勢いが確かにそこにあった。
「調子こく? へぇ、どうこいてるのか教えてくれる? 屁はこいたかもしれないけどさ? ねぇ教えてくれよ」
無表情で、なのに狂気に塗れた視線で男に更に近づく。
「!? あ、アァ!? 舐めんじゃ」
「舐めてねえよ誰がお前のその顔舐めんだ、え? お前の女なら舐めても俺は女じゃねえし何よりもその臭い口がある限り金貰ってもしないんだよこのカス野郎」
煽りに煽り倒す。松阪は虚ろな目をしながらもとても笑顔だった。
「こ、このやろ―――」
男が殴ろうとした、その時だった。
松阪は目にも止まらぬ速さで左腕を動かし……男の顔を掴んだ。
「!?」
「お利口じゃないなあ」
更に、顔を掴んでいた掌の位置を変え、親指で
片目を潰した。
「ギャアアアアアアアアア!!?」
「あ、やってしまった」
「!?」
「て、テメェ!?」
反応は人それぞれだった。松阪の行った蛮行に対して恐怖する者、怒りを持つ者、様々な感情がこの店内で剥き出しになっていく。そして、それを見て松阪はその虚無の様な眼を動かして、品定めするかの様に1人1人の顔を覗いていく。
「ああ〜ダメダメダメダメダメダメダメ! 反応薄い! もっとパニック映画みてえに震えるレベルでギャアアアアアア! って皆が叫ばなきゃヤル気でないでしょう?」
「まぁいいや……兎に角まぁ、どうするよ?」
「―――これだけの痛みで済ませるか、皆殺しにされるか」
「―――どちらか選ばしてやるよ」
・・・
「さて、帰って来るかな」
嘉山が腕時計を見ながら、そう呟いた。
「……」
スーツの男は腕を組みながら待っていたが、少し落ち着きが無いように見えた。彼としてもこの場所にいるのは会社の社長としては危険な事であると理解しているからだ。
すると、扉が開いて―――
「―――ハァーイ、帰ってきましたよー松阪ですー」
何の傷も無く、何の変化も無く、松阪は呑気な雰囲気で帰ってきた。
「何だ、お前にしては早かったじゃないか」
嘉山が笑いながら松阪にいった。それに対して松山は、言い方が嫌だったのか、分かりやすくムッとした表情になる。
「何すかその言い方、馬鹿にしてるの?」
「してねぇよ。相手が相手だから心配しただけさ。それで、奴らは退いたのか?」
「ええ。俺が1人ね? 片目潰してやって脅したらもうすぐに。今どきのヤツらって弱いですよお? 多分アイツら10代のヤツらで出来た連合だし大して場数も踏んでないんでしょうよ。俺いらないでしょコレ正直」
「そう言うな。お前程頼れる奴もいないからな」
「そんなもんですかねぇ」
そう言いながら松阪は頭をポリポリと掻きむしりながら苦笑いした。どうやらこの狂気の塊の様な男ですら、嘉山に対してその凶暴性を発揮する事は無いらしい。それ程にまで嘉山が恐ろしいという事なのだろう。
スーツの男も、まさかと言った顔で松阪の事を見ていた。これ程にまでの速さで仕事を終わらせた事に関心しながらも、同時に、どんな脅しをしたのだろうかという恐怖を抱いていた。
「社長さん、使えるでしょ? コイツ」
「ああ。正直、予想外だったよ」
「え? 何? 何なの? 俺が役に立たないとでも思ってた?」
松阪は虚無的な視線でスーツの男を睨みつけながら詰め寄っていく。
「おい、松阪、やめとけ」
「チッ、何でぇ」
「それより松阪。お前には約束通り報酬を高めにして払ってやるよ。それと、お前を幹部として歓迎する。これからも渋谷凶冥連合の初期メンバーとして精進してくれよ」
嘉山はそう言って松阪の肩をポンと叩いた。
「仕っ方ねえなぁ。分かりましたよ。やるだけやったりますよ」
「―――その代わり、これまで以上に報酬、弾ませてくれよ?」
・・・
渋谷の夜は悪の人集りが多い。いや、渋谷だけでなく、どの社会のどの場所にも、必ず悪という存在は何かしらの形で存在しているものだ。
この松阪だけでは無い。日本には更に別の狂気を孕ませた悪魔の様な存在がまだどこかに潜んでいるのだ。そして、悪意によって善意ある人間は傷付き、死んでいく。
それは世界全体としても、同じ事だ。
―――この世は正に、地獄と化しつつある。それを忘れてはならないのだ。
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