第22話

 学園の玄関に近づきふと気がついた。


 ――あれ、誰かいる?


 下校時間を少しずらし他に生徒がいなかったから、その生徒がよく目立っていたのだ。


 俺の知らない女子生徒が下駄箱の前で立ち尽くし、誰かの下駄箱をじっと眺めているのが。


 その生徒が一年生ならば別になんとも思わなかったかもしれないのだが、その生徒の上履きの色は黄。一年生の赤とは違う。上履きの色は二年生が青で三年生が黄になる。

 つまりその生徒は三年生だと見て分かったのだ。


 ちなみにこの列は、一年生男子の下駄箱が並ぶ列で、三年生の下駄箱が並ぶ列は何列か先になる。


 しかもその生徒の立つ位置がちょっと引っかかる。というのも、その辺りにはちょうど俺の下駄箱があり、最悪、俺が靴を履きかえるときに少し横にズレてもらわないと俺は靴を取る出すことができないかもしれない。


 ――ちょっと靴を取らせてください、少し横にズレてください、ズレてもらえませんか、失礼します、どいてもらえませんか、どいてください……


 俺がそんな無難な言葉を色々考えていていると、


 ――ぁ。


 それ以前に三年の先輩に話し掛ける行為自体がなかなか勇気がいることだと気づく。


 ――上級生か……


 顔には出さないが、俺が心の内で思い悩んでいると、


「あそこにいるの黒木先輩だね」


 サキのそんな声が横から聞こえた。


 ――黒木先輩……


 黒木先輩は三年生でたしかファッションモデルをしていると先ほどサキから聞いたばかりだ。

 しかも高級ブランド、グレイドの。レイコ義母さんの会社のブランドだ。


 義母さんが言うにはグレイドは藤堂グループの中核をなすブランドまでもう少しのところまで登り詰めているらしいけど、他にもいくつか同系列のブランドがあるらしく同系列ブランドとはいえ負けたくないとも言っていた。


「あの人が黒木先輩なんだ。綺麗な人だね」


「? でもあそこって一年男子の列だけど、誰か待ってる感じ?」


「ほら、さっき一年の教室まで来てたから、ここを待ち合わせ場所にしたんじゃない。結構騒がれてたし」


「そっか」


 アカリやナツミまで興味深そうに先輩に視線向けているがすぐにサキたちは次の列、一年女子の下駄箱が並ぶ列に向かったので別れてしまった。


 そこから一人で自分の下駄箱に向かうが、


 ――なんてことだ。


 近づいて分かった。黒木先輩の立っている位置がちょうど俺の下駄箱がある位置にいると、このままじゃ俺の靴が取れない。


 ――仕方ない。


「先輩。ちょっとすみません。そこに俺の下駄箱があって少し取らせてもらえませんか? すぐに取り出しますので」


「え、あ、ごめんね」


 先輩はボーっとどこかを眺めていたようだ、俺が話しかけて初めて俺の存在に気づいたようだった。


 それでも先輩はすぐに横にズレくれて俺もホッとして息を吐き出す。


 ――よかった。


 俺は下駄箱の扉を開けて靴を取り出すとすぐに履いていた上履きをそこにしまう。


 それから靴を履きサキたちと合流しようとしたその時、


「もしかして柊木くん?」


 黒木先輩が俺の名を呼んだ。俺は彼女と面識はない。けど先輩は俺を知っていたっぽい。


「そうですけど……」


 俺は少し警戒したが、それが態度に出ていたらしい、先輩が慌てて自己紹介を始めた。


「あ、ごめんなさい。私この学園の三年で黒木美紀という者です。

 えっと、姉が黒木真紀で、スタイリストで柊木くんを……それで……」


 少しテンパってしまった先輩は後半、何を言いたいのか伝わりにくいけど、先輩が口にしたスタイリストの黒木真紀さんには心辺りがある。

 つい先日、撮影の際に俺に化粧をしてくれた一木さんの後輩さんだ。


 よく見れば後輩さんと目の前の彼女は何処か雰囲気が似ている。スレンダー美人なところも。後輩さんを少し幼くした感じ。


「えっと、つまり先輩は黒……真紀さんの妹さんってことですよね?」


「そ、そうなのよ。私は黒木真紀の妹。柊木くんと同じくグレイドでモデルをしているの。

 それで柊木くんが撮影していたあの日、私もスタジオにいたのよ」


「そうだったんですね……」


 ――なるほど、それで彼女は俺を知っていたのか。


 正直ないところ、人が多くて直接かかわりのなかった人の顔と名前は覚えられなかった。


 なるべく早く覚えたいと思っていたけど、レディースより規模の小さいメンズでは、次の予定はまだない。だから俺は今悩んでもしょうがないことだと諦めている。


「でも会えてよかった。一年生のクラス覗いてみたけど全然分からなくて、それで下駄箱の前で待っていれば会えるかもって思ったの」


 そう言った先輩が俺の下駄箱に視線を向ける。下駄箱の扉には生徒の名前が表示してある。だから先輩はそれを頼りにしたらしい。


 ――そういうことか。だからここに。


「でも、分からないはずだよね。メガネかけてるんだもん。髪型だって前髪が邪魔くさそうで、それってちゃんと前見えてるの?」


 そう言った先輩は俺の顔をじろじろ眺める。


「見えるよ」

「ヤマトっち?」


 ちょうどその時、靴へと履き替えるために別れていたサキたちがひょこっと顔を出した。


 俺がいつまでたっても出て来ないのを不思議に思ったのかもしれない。


「あ、ごめん。今先輩と話をしてて」


「へ? ヤマトっちと黒木先輩が?」


「もしかして先輩の探していた人ってヤマト?」


「ヤマトそうなの?」


 先輩は俺を待っていたと言っていたからたぶんそうだと思うが、ここで俺がそうだというのもなんか違う気がした。


「……」


 俺が黙って先輩に視線向けてみると、


「そうなの、私柊木くんを待っていたのよ。ちょっと用事があってね。もしかして柊木くんの彼女さん?」


 先輩はそう言ってから俺に視線を向けてくるので、俺も隠す必要はないので正直に答える。


「ええ、そうです。彼女たちは俺の彼女です」


「? 彼女たち、なの」


 先輩が少し驚いた様子で、なぜか握手し合っているサキ、アカリ、ナツミの方に視線を向けていたが、


「そうよね。あの容姿じゃ彼女が数人いても不思議じゃないものね」


 俺が「そうだ」と返事をする前にすぐに納得したように頷いている。


「それで黒木先輩はヤマトっちにどんな用事だったの?」


「あ、それはまだ何も聞いてなかった」


「それは……モデルの件で柊木くんに少し聞きたいことがあって」


「へ? ヤマトっちにモデル……なんで?」


「あれ、彼女さんたちは知らないの? 柊木くんがグレイドのモ……ぅ!?」


 俺はそこで先輩の口を左手で軽く押さえてから右手を背中から回して肩を抱き寄せると素早く隅に寄り背中を見せる。


 誰か来たのだ。


 ちらりと見れば一年生カップルだった。サキたちもなんでもないように三人で雑談して誤魔化している。


「ユウくん。靴に履き替えて合流だね」


「おう。早く来いよ」


「うん」


 玄関で別れた一年生のカップル。その男子生徒の方は一度だけ俺の方に視線を向けてきたように感じたが、


「それいいね。俺もそうしよう」


 すぐに靴を履き替えた彼は彼女と合流してから、早速でその彼女の肩を抱き、彼らは楽しそうに下校していった。


「ぅ、ぅぅ……」


 それからすぐだった。先輩の口からくぐもった声が漏れてきたのは。


 ――やばっ。


「ご、ごめ、すみません先輩。人が来たのでつい」


 俺はすぐに先輩から離れたが、先輩の顔は真っ赤に染まっていた。俺が口を押さえていたから苦しかっただろう。自分では軽く押さえていたつもりだったが、力加減がうまくできていなかったようだ。


 胸の辺りに右手を添えた先輩が「だ、大丈夫。大丈夫だから」と言ってから何度も深呼吸をして息を整えていた。かなり申し訳ないことをしてしまった。


 それからすぐ俺たちは近くのファミレスに場所を変えた。俺が聞かれるとまずいと思ったからだ。


 ――――

 ――


 近くのファミレスはまだ昼前であることから混み合ってなくすぐ入れた。


 ただ数名ほどカップルらしき同じ学園の生徒が見えたので、一番隅の奥の席を選んだ。ここなら小声で話せば聞かれる心配はないだろう。


 席に座ると軽食を頼むことにした。俺はバイトの後だから懐が暖かいのだ。皆にも注文するよう促す。


 初めは遠慮していた彼女たち。たまには彼氏らしく奢りたいと伝えると嬉しそうな態度に、先輩には先ほどのお詫びってことで無理矢理納得してもらった。


 注文はサキがドリア、アカリがカルボナーラ、ナツミがハンバーグ定食、俺が唐揚げ定食、先輩がペペロンチーノ、最後にドリンクバーとデザートを皆につけた。もう軽食じゃなくてガッツリ昼食になってしまったけど、皆楽しそうだからいいよね。


「ねぇねぇヤマトっち。もしかしてヤマトっちもモデルやってる?」


 飲み物を注いでから皆が席に着くと一番先に口を開いたのがサキだった。

 ずっと気になっていたらしいが、相変わらず勘がいい。


「実は義母さんに頼まれて……」


 そこまで話してから言葉に詰まる。どう説明しようかと。グレイドのファッションモデルのバイトをしたはいいが、それが掲載されるにはあと数日は待つことなる。証明できるものがまだ何もない。


 そんな俺を見かねたのか先輩がいいタイミングで口を挟んでくれた。


「あの……彼女さんたちは知ってる感じ」


 そう言ってから先輩はかけてもいないメガネの縁を掴んで見せる。先輩が何を言いたいのか分かったので頷いて見せる。彼女たちもそれには頷く。彼女たちもすぐに分かったらしい。


「それなら見せた方が早いよ」


 そう言ってから先輩は自分のスマホでグレイドの公式サイトを表示して見せる。


「え! なんで」


 そんな声を出したのは他でもない俺だ。俺が義母さんから聞いていた話では掲載は早くても一週間後、俺の計算ではあと三日はかかるはずだった。

 そう聞いていたのに先輩のスマホの画面、グレイドの公式サイトにはモデル然とした俺が載っていた。


「きゃ、うそ、ヤマトっちだ」


「わぁ、わぁ」


「や、ヤマトカッコいいし……」


 先輩の画面を覗いた彼女たちはすぐに自分のスマホでもグルグル検索してからグレイドの公式サイトを開く。


「あたしスクショしとく」


「私も」


「うちも」


 うっとりとした表情でカシャリ、カシャリとスクリーンショットをしまくる彼女たち。なぜかそれを真似る先輩。

 結構彼女たちのスクリーンショットは料理が運ばれてくるまで続き、先輩の話しは食後になった。

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