第33話
部屋中の視線が集まる中で、フェルナンドは笑いを浮かべていた。
「何故って?おかしなこと言うね。自分の姉が殺されそうになったら助けるのは当然だろう?」
俺にはフェルナンドの言葉が理解できなかった。
ティオネの観測が正しければ、この男こそが今この街に起きている騒動を引き起こし、館を占拠し、実の姉を脅かしていたはずだ。
それが『姉が殺されそうになったら助ける』だって?
「貴様は私を殺そうとしていたのではなかったのか?……分からない。フェルナンド、貴様の事が分からない。父上が亡くなられてから、貴様は変わった。もはや私にはお前の事がわからない。一体何が目的なんだ?」
フェルナンドは窓に手を付き、街を見下ろした。俺にはその目は暗く、どこか怒りを孕んでいるように見えた。
「何が目的?……ああ、昔から俺は変わらないよ。姉さんの事は大好きだ。俺を守り、民の事を街の事を第一に考え、そして賢く――明るかった。覚えてるかい?昔俺は1人で町の外に出て、魔物に襲われた。このまま魔物に襲われて死ぬのかと思った時、姉さんは俺を見つけ出して助けてくれた。そして笑い、泣き続ける俺を慰めてくれた」
昔の思い出を語るフェルナンドの顔は安らいでいた。まるでこの場がお茶会や親類だけの食事の場のように。
「ああ、覚えているよ。まだ父上が生きていて頃の事だ。私もお前も何も考えずにいられた頃の事件だ。……まさかその頃に戻りたいとでも?不可能だ。こんな事をしたお前は許せないし、そもそも私は領主だ。この街を守る責務がある」
しかし、それに反してクリスティアの顔は怒りと緊張に染まっていた。昔など切り捨てたと言わんばかりに。
姉弟の間には耐え難いズレがあった。かたや、ただ姉を想う弟であり、かたや街を守る領主だった。
しかし。俺はこの2人の間のズレはそれだけではないと思った。
フェルナンドから感じる暗い怒りや狂気の片鱗は、郷愁などというものではない。それはどちらかといえば……。
「……戻る?あの頃に?は、はははははははははは!あははっはははははははは!」
フェルナンドの笑い声が響いた。予想外でおかしなことを言われ、笑っていた。
「何がおかしい。戻りたいのではないのか?あの無邪気な頃に」
そして、やはり自らが理解されていない事を悟り、悲しそうに語り始めた。
「戻れる訳がないだろう?この街は消えない楔だ。この街がある限り、俺と姉さんは領主の息子、娘だった。父上が亡くなってからは姉さんが領主になり更にその楔は強くなった。もはや街が滅びようと、俺達はこの街の事を永遠に心に刻み込まれる」
「その通りだ。私は街が滅びようとシルバフォートの領主だ。では、なぜ街を滅ぼそうとする?」
質問は最初に戻ってきていた。クリスティアにはやはり、フェルナンドの狂気の源が分からないようだ。
「……怒りだろう?この街の住民と自分への」
話を聞いている内に俺にはフェルナンドの事が理解できていた。
おそらくこの男の破壊には目的はない。あるのはやり場のない感情――怒りや悲しみ。
狂気とは、そもそもそういう物だ。
「そうだ。姉さんが俺を魔物から助けた時、姉さんは傷ついていた。そんな姉さんを見て、俺が感じたのは自分への怒りだ。姉さんが傷つくのなら俺が強くなるか、それか俺がいなくなるしかない」
音と共に戦闘の中で、まだ割れていなかったガラスの1枚が割れた。フェルナンドは手が傷つくのも気にせずに破片を握りしめた。
「しかし、いくら強くなっても、アーバーがそうだったように人1人でさえ、守り切る事はできない。じゃあ俺がいなくなるか?」
フェルナンドの掌から血が流れ出ると共に、生ぬるい空気と共に、狂気が部屋を包み込んでいくのを感じる。
俺の他にも、アーバーやウェスター、フレイなどの優れた感覚を持つ者たちも同じようで
冷や汗をかいているのがみえる。
そんな俺達を尻目にフェルナンドは窓から差し込む夕日を背に、手についた血を舐めた。
「いや、優しい姉さんは自分を犠牲にして誰かを助ける。それは俺だけでなく、自分に関わる全ての人間を。だから決めたんだ」
夕日が沈み、辺りはにわかに暗くなる。
「……いや、違う!日が沈んだんじゃない。こいつが魔法を使ったんだ!」
アーバーが叫んだ。
部屋を覆っていた狂気は形をなしていた。
煙のようにフェルナンドの体に纏わり付き、皮膚を突き破り体内に潜り込んでいく。
うめき声を上げながら、一歩ずつ後ろへ下がり、フェルナンドの体は窓から落下した。
俺達はそれを見ていることしかできなかった。
やがて、窓の下から膨大な魔力が吹き上がった。
部屋の中にいる他の人間には分からないかもしれないが、あれは『歪み』だった。
『歪み』がフェルナンドの負の感情と強く結びつき、肉体を冒していった。
魔人についての説明を受けた時、何と聞いたか。
確か、『悪意と欲、害意の強い人間が『歪み』と上手いこと適合すると』そいつは……。
「……上位魔人だ」
「何っ!」
アーバーが呟いた。絶望混じりの声で。そしてそれに呼応して皆がざわめき立つ。
確かに絶望だろう。上位魔人は強い。それは俺が身を持って知っている。
更に今この場で戦えるのは、疲弊したように見える俺、武器を持たないアーバー、戦闘に慣れていない領主や考古学者、正面切った戦闘には向かない斥候のフレイ。
どう考えても上位魔人には勝てないだろう。
「皆心配しないでくれよ。大丈夫だ。俺が出る」
それは俺が以前のままならば、だ。
「待てハイル!お前だけじゃ無理だ!俺も行く!」
アーバーをジェスチャーで制止して、俺は窓から飛び降りた。
「
新しく覚えた魔法の劣化版。あれは大量の『歪み』がその場にないと発動できない。だから無理やり捻出した魔力で、擬似的に再現する。
魔人と化したフェルナンドはそこにいた。特筆すべきはその黒さだ。髪も目も黒く、肌までが甲殻のように光を反射する黒に染まっている。手足は捻じれ鋭角を成し、フェルナンド持つ殺意が明確に表れていた。
フェルナンドは未だに呻いている。魔人化の反動で動けないようだ。
俺は、眼下で待つその異形の脳天に向け、振り上げた脚を下ろした。踵落としだ。
「どうだ、効いたか……って痛え!嘘だろ、俺の脚が砕けた!?」
砕けたのは俺の脚だった。予期せぬ痛みに空中で怯んだ俺の脚に熱を感じたかと思うと、俺の体は空を舞い、庭の木に激突していた。
「――脚を刺されたのか。思ったよりも素早いな、あの手足は」
流れ出る血を抑えながら様子をうかがうと、フェルナンドは未だに呻いている。しばらくの間は動かないだろう。
今の内に彼我の状況を整理しよう。
俺の体は……流れ出る血はすぐに収まり傷口も塞がり、砕けた脚も治っている。俺の再生能力はまだ大丈夫なようだ。
ただ、時間はかけられない。劣化とはいえ、強すぎる強化の魔法は再生能力でも追いつかないほどの肉体の崩壊を引き起こす。直接的な死因にはならないが、動けなくなってしまえばいくら不死でも負けが確定する。
フェルナンドの方は……踵落としを食らわせた部分にヒビが入っている。攻撃は効いている。ただし、あの鞭のように伸び、槍のように尖った手足はは俺の動体視力よりも恐らく速い。幸いなのは魔人化の反動と、新しい体に慣れていないせいで、少し動きが鈍い事か。
「フー……よし。やれる」
深呼吸をした。そして思う。この街の人と恩人達の事を。
目の前の異形は憐れだが、感情の天秤は傾かない。俺の大切な街を守るための最後の戦いをしよう。
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