タイトロープ
草薙 至
タイトロープ
ファミレスのドアを開けると、入店音と共に中から勢いよく暖かい空気が出ていく。店員に二人であることを告げると、イルミネーションで彩られた大通りが見える窓際に通された。悩むことなくビールと食事を頼んでから、店内の暖かさに肩をほぐす。
「さっきの映画のヒロインすっごく可愛かったなぁ。他の出演作も見てみようかな」
「いくつか知ってるけど、出てたやつ」
「あ、さすが! タイトルさ、後でメールで送っといてよ」
流れのまま他愛のない話をしていると、頼んだメニューが運ばれてくる。
「そう言えば、あの日もこの席だったよね」
カトラリーケースの中からスプーンを探しながら、俺は『あの日』を思い出していた。
――ビンタってホントにこんな音がするのか。まずそんな言葉が頭に浮かんだのを覚えている。
「あれ? 浩二」
ちょうど去年の今頃、街路樹の下で賑わう人波の中、斜め後ろからの声の主を確かめる為に振り返ると、偶然を喜ぶ彼女がいた。
「真帆」
立ち止まって名前を呼ぶと、俺を挟んで真帆とは反対側にいた茉莉香が「お友達?」と顔をのぞかせてきて、俺は言い淀んだ。
「あー、いや……」
「初めまして。相沢さんとお付き合いしてる、山田です」
すでにピシッと音がしたような空気感を、気にも留めず堂々と宣言する茉莉香をちらりとだけ見てから俯き、息を吐いた。
「やっぱり。少し前からおかしいとは思ってたけど。私以外にもそんな風に手を繋ぐ女がいたのね」
「俺のスマホ見たんだ」
正確には、そう仕向けた。元々見たがるタイプなこともあり、ロックをかけずに置いたまま席を離れればいいだけのことだった。そして飛んできた強烈な平手打ち。
「連絡してこないで」
「……わかった」そう言いながら、彼女が父親の影響で空手を習っていたことを思い出したのだった。
「後腐れなく別れる為に浮気偽装を友達に頼むとか、刺されるんじゃないかと思ったけど」
いつの間にか飲み干しているジョッキを片手に茉莉香がクククと笑う。
「結婚するつもりはないから交際もできないって言ったのに、それでも好きだから一緒にいたいとか言って迫ってくる方がどうかしてるだろ。一年過ぎる頃には『子どもって可愛いよね』『本当に結婚に興味ないの?』って、自分の存在が俺の意志を変えられると思ってるような顔するんだぞ」
「実はやばい女に絡まれるのが特技だったりして」
「うわ、なんだそれ。絶対やだ」
茉莉香と知り合ったのは、幻の逸品と謳われる酒が手に入って、気分の良い夜だった。
仕事帰りの繁華街でナンパされていたのだ。詳細を聞き取れはしないが男の語気が強く、年の離れた妹がいる身としては、素通りできる様子ではなかった。つま先の向きを修正し、大きめの声を出すべきかと、肺に空気を入れかけたところで腕を掴まれていた人物と目が合う。
その途端、「やっと来た!」と声を上げたのは向こうだった。男が反射的に手を離した隙をついてこちらへ駆け寄ってくる。
「彼女のこと待たせるなんて、彼氏失格! 早く帰ろ」と言いながら、上目遣いでこちらを見る彼女は、すでに俺の腕に自分の腕を絡ませていた。そのまま適当に話を合わせながら角を曲がり、コンビニの駐車場で立ち止まる。
「もう大丈夫なんじゃないかな?」
「ホント助かった!」
顔の前で両手を合わせた彼女の目線は、すぐに手元の紙袋へと下がっていく。
「それってさ、もしかして普通に買えない超レア酒の……」
そんな出会いから盛り上がるのに時間はかからず、飲み友達になった。
そして、その気の置けない友人が今、テーブルの下で俺の足をつついている。
「一回くらい試しにしてみれば良いのに、結婚」
「はぁ? 誰とだよ」
「たとえば私、とか」
彼女が気に入って履いているパンプスのつま先が俺の脛を這い、出会ったあの日のように、上目遣いでこちらを見つめる。
絡めとられているような視線を外すことが出来ずに俺は生唾を飲むのをこらえていた。
タイトロープ 草薙 至 @88snotra
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