三題噺集・六

「枯れ葉」 「大工」 「鍋」


 晩秋。美しかった紅葉もまもなく枯れ葉となるだろう、この季節。

 ……ここから見える最後の木の葉が落ちる頃には、俺はこの部屋にはいないだろう。

 中年の男性は、真っ白な基調で整えられた病室で、そう心の中で呟く。思えば心残りの多い人生だった。

 子供の頃からこと恋愛に関しては恵まれず、小学校の頃、一緒に遊びまわって結婚しようと約束していた子は、中学生の頃、気がつけばその人は誰かのものになっていた。

 高校生の頃、バレンタインデーにチョコレートを貰い、嬉しがっていた。ホワイトデーにお返しをして告白しようとしたら、義理チョコだと判明して、口を噤んだ。

 社会人になり大工として働き盛りの頃は、黙々と作業をしていたら、依頼主の娘が「お疲れ様です」と言って、その夜、ご馳走にお呼ばれしたため、自分に好意があると思い、告白したら、親方と娘の父親にカンカンに怒られた。

 男の人生は、女難の相が付き纏っていたのかもしれない。この病院に来るまでもそうだ。男は、靴を揃えて歩道橋の上の縁に立つ女を見て、止めねば、と思った。

 あまり驚かせないようにと、落ち着き払った様子で女性に話しかけると、彼女は泣きながら、男に縋った。「私は浮気をして大切な人を裏切った。もう行くところもなければ、生きていく気持ちにもなれない」と彼女はそう言い、橋から飛び降りる。

 命あるもの、最後まで生を全うしなければならない。そう、親に教え込まれた男は、命を投げ打つ彼女を止めたかった。守りたかった。

 飛び降りる彼女を男は抱き寄せ、落ちゆく身体を重力に任せる。彼女が助かるように、日頃大工という力仕事で鍛えた大きな身体で、彼女を包んだ。

歩道橋の下は、交通の程多い車道だ。そこに通りがかるトラックの上に落ち、それに気づいたトラックの運転手はゆっくりと速度を落とし、怪我のない女性と気を失った男を病院へと連れて行った。

「幸助さん」

「……美南」

 助けた女性は幼馴染の美南ちゃん。男の人生に幾度となく登場し、魅了してやまない、彼の妻だ。

「あなたの愛を試すようなことをしてごめんなさい」

「いいんだ。君が無事ならそれでいい」

「退院おめでとうございます……あなたがこれで許してくれると言ってくれたから、用意したけれど」

 彼女に用意させたのは、告白するに至った時に食べた紅葉鍋。鹿肉の鍋だけに、彼女を『叱る』意味を込めた。

 このくらいで許してしまうこの男は、とことんこの女には弱いのだ。

 晩秋。美しかった紅葉もまもなく枯れ葉となるだろう、この季節。男は無事退院し、この病院を去った。好いている女性と共に。

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