心の中身 短編集
蒼澄
感情の化け物
青年は最近夢を見る。
黒い何かが自分の体にまとわりつき、
自分の体を侵食していく。
まるで自分の存在がなくなるかのように、
少しずつ少しずつ体は真っ黒になる。
そしてすべてが真っ黒になって目が覚める。
全身には嫌な汗が流れ、呼吸が荒くなる。
青年は物心ついたときには母親はおらず、
父に母は自分を生んでから家を出て行ったのだと聞かされていた。
青年は母親を恨んだ。
さらに青年が高校生になった翌年、父親を交通事故で亡くした。
親は亡くなったと聞いた時、特に何も感じなかった。
いや、正確に言うと、
「感じることができなかった。」
ただただ目の前に広がるのは絶望であって、それ以外は無であった。
青年はもういっそう死んでしまおうかと
思ったが、おかしなことに絶望よりも恐怖のほうが勝ってしまう。
だから青年は死ぬことを諦め、
親の残した少ないお金で古いアパートの一室を借りて、ただ生きるだけの生活を始めた。
しかし生きるためには、最低限食べ物は必要であり、もちろんお金も必要なのでコンビニで働いていたがそれも昨日でクビになった。
やけになり金を使い切った青年は夜の町を
行く当てもなくさまよった。
そんな時だった、小学校低学年ぐらいの
少年が車の行き交う交差点に向かっていくのが見えた。
青年は状況を確認することなく走り出し、
止めようとしたが、気づけばそこに少年はいなかった。
強い光と激しいクラクションの音が
近づいてくる。
青年は一瞬避けることも考えたがそれが運命だと思うがままにそれを受け入れた。
朦朧とする意識の中、
走馬灯のように思い出が流れ、
やっと「生」という束縛から逃れられるのだと少し満足した思いで青年は意識を手放した。
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黒い人型の何かがおぞましい寒気とともに迫ってくる。
それは逃げても逃げても追いかけてきて自分に覆い被さる。
黒い何かはまるで食事をするかのように自分という存在を喰らっていく。
そしてまた視界は真っ暗になった・・・・・
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青年は目を覚ます。
そこにはアパートの見慣れた天井があった。
青年は悪夢でも見ていたのかと思い、
自分の頬を思いっきりたたいた。
ジンジンと頬から痛みが伝わってくる。
これはひどい夢を見たものだな、と
ため息をつきながら洗面台へと足を進めた。
夢の中で感じたような寒気がまだ体を覆う。
青年は早くこの寒気を振り払おうと汗で体に張り付いた服を脱ぎ風呂へ入った。
お風呂場の鏡に自分の姿が映る。
そこで初めて青年は寒気の原因を知った。
自分の胸に大きく黒い何かが蠢いていた。
青年はその黒い何かを必死でこすったり、
自分の頬を何回も何回もたたいたりしたが
それは消えなかった。
あれは夢などではなく、すべて現実なのだと思い知らされた。
母親には見捨てられ、父親を亡くし、その上死なせてももらえない。
クソみたいな人生だなと青年は思った。
青年はその辺に散らばっていた服を着て、
外へ飛び出した。
ただ無我夢中で走った。
何もかも忘れて、ただ走った。
気づけば辺りは日が落ちかけていて、
胸の黒い何かは少しずつ体の隅々にまで
広がっていた。
そして青年は考えることをやめた。
黒い何かは精神までも黒く染め、
青年は黒い人型の何かになった。
黒い何かは夜の町をさまよう、
そしてなぜかとても強い空腹感に襲われた。
道ばたに痣だらけで捨てられた子猫がいた。
黒い何かはそれの記憶を食べた。
とても苦い憎悪の味だった.
黒い何かは憎悪の感情が沸き立った。
全身黒い服に数珠を持った男性がいる。
黒い何かはそれの記憶を食べた。
何も味のない絶望であった。
黒い何かは絶望の感情が沸き立った。
公園で一人の男性がうずくまっている。
黒い何かはそれの記憶を食べた。
とても渋い孤独の味だった。
黒い何かは孤独の感情が沸き立った。
酔っ払った男性がパチンコをしている。
黒い何かはそれの記憶を食べた。
とてもうすい諦めの味だった。
黒い何かは諦めの感情が沸き立った。
一人の青年は町をさまよっている。
俺はそれを喰らった。 何もかもが、ごちゃまぜになったような辛い怒りの味だった。
黒い俺は怒りの感情が沸き立った。
そして俺は黒い化け物になった。
黒い化け物は空腹感が満たされない、
むしろどんどん空腹感は増していく。
黒い化け物はまた夜の町をさまよいだした。
黒い化け物は車の行き交う交差点にたどり着いた。
車が行き交う中に少年は立っていた。
そう、あの助けようとした少年だ。
少年は俺を待っていたかのようにこっちを
向いて笑っている。
そんな少年に引きつけられるかのように
化け物はゆっくりと近づいていく。
そしてまるで少年の存在を取り込むかのように、その黒い体で少年を覆っていく。
そして・・・・・・・・・・・・・・・・
黒い化け物は少年のいのちを食べた。
とても甘く温かい幸福の味だった。
黒い化け物のすべての沸き立った感情が
幸福に包まれ、きれいさっぱりなくなった。
少年は自分から離れてゆく。
そしてふり返って少し微笑んだ。
そして黒い化け物は優しい光に包まれる。
視界はだんだんと真っ白になり、
最後にはすべて真っ白になった。
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優しい光に目を覚ます。
そして温かい何かに包まれる。
そして耳元でかすかに誰かの優しい声が
聞こえた。
「私は貴方を産めてとっても幸せ、もし本当にお医者様が言うように貴方を産んで私が死んでしまったとしても必ず幸福だったと言える自信があるわ。」と。
今度は遠くからたくましい声が聞こえた。
「おまえは俺らにとっての宝物であり、幸福そのものなんだぞ。」と。
そして俺は、いや僕はこれから始まる「生」という幸福にとても満足した気持ちで意識を手放すのであった。
-end-
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