第3話 いざ、日本魔術師協会公認魔術師養成所へ

 「魔術とは、万物に流れるエネルギーを自在に操作する能力の総称である。明治時代以前には日本では呪術と呼ばれてきたが、西洋の概念と同一化するために、その名称は変更された」


 「魔術用語辞典 第六版」と表紙に箔押しされた分厚い本を、ケイは眺めた。例の魔術養成所へ入るために、そんな文章が羅列された本と、ケイはにらめっこをして約半年が経過した。バルタザールに推薦されたケイは、本来受けなければいけない厳正な入試を免除された。しかし、それは勉強しなくていい理由にはならず、バルタザールの顔に泥を塗らないためにも魔術に対する最低限なことは理解していなければならなかったのだ。


 半年間の生活でもバルタザールは基本的に家におらず、勉強は与えられた書籍を通して行った。もちろん中学生である以上、ケイは近所の学校には通ったが、ほとんど一般的な勉強はしなかった。


 ***


 そして、4月の3日になった。今日が養成所入学の日である。ケイは電車に乗り、新宿に向かっていた。バルタザールはケイに明確な養成所の場所を教えてはくれなかったが、養成所まで案内してくれる人が新宿駅で待っているそうだ。どうやら、養成所は新宿近辺にあるらしいとケイは予想した。


 久しぶりの人ごみと都会の空気感に気圧されながら、ケイは満員電車に揺られた。新宿駅に着いても、機械的に歩く人々にボストンバッグやリュックを押されたり、引っ張られたりしながらケイはその足を進めた。午前8時、やっとの思いでケイは待ち合わせの改札前にたどり着いた。待ち合わせ時間は8時15分である。


 待ち合わせより7分遅れた8時22分、垂れ目が特徴的な小太りの男が、ケイのもとに現れた。


 「どうも、君が鯨井くんだね?」

 「ああ、はい」


 男は額の汗をハンカチで拭った。


 「では、行こうか」


 踵を返して、男はさっさと歩き出してしまった。重い荷物に重心を弄ばれながら、ケイはそれを追った。


 「いやあ、新宿って怖いよね、人多いし。僕、迷っちゃったよ」ケイのことは気にも留めず、男は早口で喋り続けた。「本当に、嫌になっちゃうなあ」


 てっきり新宿駅を出た先に養成所があると思っていたが、男は駅の奥へ奥へと進んで行った。果たして本当にこの男に任せて大丈夫か不安が残ったが、新宿駅にほとんど来たことがないケイは、ただ彼の後ろについて行く他なかった。


 「鯨井くん、バルタザールの推薦なんでしょう?」

 「はい」

 「凄いなあ」


 男は一瞬だけ振り返って、ケイの顔を見た。


 「バルタザールって、そんな凄いんですか?」

 「凄いなんてもんじゃないよ、今の魔術師世界じゃ5本の指に入るくらいの権力者だよ」


 この半年間で、ケイは魔術師たちの世界についても学んだ。国によってその在り方は三者三様であるそうだが、日本では魔術師協会という団体が基本的に統括しているらしい。養成所もその法人に属していて、生徒は1年間学んで「公認魔術師」という資格を得て、協会で働くそうだ。


 「公魔になって、どんな仕事するんだい、君は?」

 「コウマ?」

 「ああ、公認魔術師の略称だよ」

 「えっと……」


 公認魔術師になると、悪い魔術師や怪物などを倒す仕事を与えられるのだ。なぜそんな危険と隣り合わせになるための資格を、みんな養成所に入ってまで取りたいのか、ケイはいまいち理解できなかった。


 「とりあえず、強くなりたいんです。人を守れるくらい」

 「なるほど」


 そんな会話をしながら進んでいると、辺りから人がほとんどいなくなっていた。天井には蜘蛛の巣が張り、床には黒い埃の塊が転がっている。先程の人混みとは一転した静けさに、ケイは異様な雰囲気を感じた。

 さらに進み、二人は道に迷わない限りは絶対に来ないような道を通って、ついには電気の光さえおぼろげな細い道にたどり着いた。目の前には「関係者以外立ち入り禁止」という注意書きがされた緑色のサインランプがある。そして、その下にはペンキが所々剥がれ、茶色い錆が浮かぶドアがあった。


 「ここだ」男は額ににじむ汗を、丸めたハンカチで拭った。「さあ入ろう」


 ケイは促されるままに、重いドアを開けてその先へと足を踏み入れた。

 より一層暗くなったその部屋は、金属の螺旋階段がひたすら下に続いている。下を覗くと、冷たい風がケイの頬をかすめた。見えるのは等間隔に配置された緑色の蛍光灯の、ぼんやりとした光のみである。

 底の見えない暗闇を背に、ケイは振り返った。


 「ここを下り……」


 さっきまで男が立っていた場所に、人の姿はなかった。代わりにどこからか煙が立ち込めていて、その根源をたどるとそこには狸がいた。


 ーー嘘だろ?


 あまりにも突然のことに、ケイは顔をしかめた。


 「ふう、疲れた」狸は何喰わぬ顔でそう言った。「さあ、下りよう」


 狸はケイの横を通り過ぎると、器用に4本の足を使いながら螺旋階段を下り始めた。


 「その顔、狸見るの初めてだったんだろう?」


 狸は笑ってケイを見た。動物の笑顔は、異様な不気味さを放っている。その笑みは柴犬などが微笑んだように舌を出してるのとは、打って異なっていたのだ。

 動物の本当の笑顔ってのはそのような愛嬌があるものではなく、とても狡猾そうで、浮世絵の妖怪を想起させるのだ。


 「いや、狸というか……」

 「喋る狸? 実はねえ、狸ってみんな人間と喋れるんだ」狸は得意げに話した。「『狸顔』なんてよく言うだろう? あれは基本、狸が化けてるんだよ」

 「ていうか、公魔なんですか?」


 狸はまた、怪しい笑みをケイに見せた。


 「狸は公魔になれないよ。だけど俺みたいに長時間、人間に化けてられない狸は公魔のもとで匿ってもらう代わりに、働いてるんだよ」


 その後もそんな饒舌な狸から、狸の変化についてや、生活圏が人に奪われている問題についてケイは聞かされた。そして、いつの間にやら螺旋階段を下りきっていた。


 たどり着いたその空間は小さく、どんな用途で作られたのか理解できないような場所であった。光源はいつの間にか蛍光灯から、ロウソクの火に取って代わられていた。

 無機質なコンクリートの壁と床に対して、温かみのあるロウソクの光が不似合いにコラボレーションしている。そしてなにより異様なのが、部屋の隅に障子があることだ。新宿とはイメージが相容れないその障子は、ロウソクの火によって橙色に染められていた。


 「そこに入って、ちょっと進めばバス停があるから」狸は言った。「僕はここまで」


 いくら不気味だとはいえ、いつのまにかケイはその狸に愛着のようなものを覚えていた。そのため、わずかながら寂しさをケイは覚えた。


 「ありがとう」

 「いやいや。こちらこそバルタザールの推薦した子を案内できたなんて、光栄だよ」

 「また今度会ったら、話聞かせて」

 「いいともう」


 狸は先程同様に笑って見せた。しかし、不思議なことにケイはその顔が、もう不気味には感じなかった。

 

 ***


 バス? こんな場所に?

 そんな疑問がケイの頭を過ぎったが、障子を開けるとそんなことはどうでもよくなっていた。


 敷居をまたぐとそこは森林であった。

 雲一つない空には大きな太陽が輝いている。そして、そこから発される太陽光が木の枝に分断されて、放射状に緑豊かな地面へと降り注いでいた。さまざまな種類の鳥の鳴き声と、木の葉が風に揺れて互いに擦れ合う音だけが聞こえる。

 出てきた場所を振り向くと、そこには小さな廃屋があった。ケイは試しに障子を開けてみたが、もう新宿駅の地下には繋がっていなかった。


 廃屋から続く石畳の道に沿って進むと、アスファルトの道に出た。山奥の道路のような一本道には、一人の男が立っている。


 「ああ、養成所の生徒さんですか?」


 これまた垂れ目の男が、ケイに向かって言った。


 「はい」

 「もう少しで来るので、お待ちを」


 5分前後待つと、昔風のボンネットバスが大きな音を立てて、二人のもとにやって来た。

 所々錆の染み出たそのバスには、「日本魔術師協会公認魔術師養成所行き」と書かれている。錆び付いた金属の金切り声とともにドアが開いて、ケイはそこに乗り込んだ。

 バスには養成所の生徒らしき若者が、押し詰められたように乗っている。


 小さな破裂音のようなものを何度か鳴らしながら、バスは走り始めた。ただ直進するだけなのにバスは嫌に揺れて、ケイは隣に立つ人にぶつかられた。


 「ああ、すみません」


 ぶつかってきた、背の高い青年がそう言った。


 「大丈夫です」


 ケイより年上に見えるその青年は、大きな眼鏡をかけ直した。


 「養成所、緊張するなあ」


 会話をしたいのか、青年はそうつぶやいた。


 「ですね」


 一人で行動するのも心細いので、ケイは彼の話に加わった。


 彼の名前は小川アキラといい、年齢は17歳らしい。実際にも身長は高いのだが、細身なことから、より高身長に見える。

 自己紹介を中心に初対面特有の敬語とタメ口の入り混じった会話をして、二人は時間を潰した。バスが停車するたびに年齢や性別がさまざまな人が乗車したが、ほとんどが十代後半と思われる男子だ。


 「どこ住んでるの?」


 アキラはケイにそう質問した。


 「東京の山の方」

 「え、東京って山あるの?」

 「あるよ」


 ケイの答えに、アキラはなぜか笑った。


 10分程度そんな状況が続いて、ついにバスが停車した。人の波に流されるように下車すると、ケイは目の前の光景に息を呑んだ。

 そこにはガーゴイルが両脇に構えた鉄製の門扉があり、奥には花壇や噴水のある広場があった。さらにその奥には煉瓦造りや淡い色合いの、和洋折衷な建物が並んでいる。

 それらが軒を連ねることで、まるでテーマパークのような風景が養成所内には広がっていた。


 またもや垂れ目の男が門の奥から現れた。そしてその男に案内されて、約40人の若者が養成所へ足を踏み入れた。


 「まずはこのまま、1号館に入って入学式を行います」


 そう言って、おそらく狸であろう男は歩き始めた。


 1号館はケイの予想以上に大きく赤煉瓦の壁が特徴的で、まるで東京駅を二重に重ねたような印象を受けた。屋上からは魔法陣のようなものが描かれた旗が顔を覗かせており、生徒たちを威圧している。

 観音開きの大きなドアを抜けて、一行は大きな広間に入った。そして、協会のように前に向けて並べられた長椅子に、詰めて座らされた。

 その状態で待っていると、前方の壇上に中年の男が立った。


 「えー、あ、あ、聞こえますでしょうか」ローブを着て、髭が生えた男は言った。「どうも、日本魔術師協会公認魔術師養成所の理事長を務めております、豊本です。まず初めに、皆様ご入学おめでとうございます」


 豊本理事長は無愛想な低い声で話した。その老人の肌は白く、ローブから覗く腕や首は細かった。


 「皆様は今日から、公認魔術師の候補生として1年間学んでいただくことになります。公認魔術師というのは大衆のために戦い、影ながら世の平安を保つ名誉ある仕事です。そのため志を強く持ち、日々精進してください。以上です」


 理事長の淡白な話が終わると、寮生活での注意事項や今後の動きについての指示が生徒たちになされた。そして、寮の自室に向かうために解散となった。

 全体的に驚きばかりだった魔術世界だが、意外にも入学式は普通のものよりも簡素で、ケイは肩透かしを食らった気分だった。それでも、養成所の雰囲気や同級生たちの姿を見て、その胸は静かながら高鳴っていた。


 そして、寮生活における一大イベントの時が訪れた。養成所の寮は基本的に同級生と二人で生活することになる。つまり、この1年間の生活の楽しさを左右すると表しても過言ではない、同部屋の人間が判明するのである。

 「鯨井ケイ 志賀トウマ」というドアに取り付けられたネームプレートを見て、ケイは一度、深呼吸をした。そして金色のドアノブに手をかけ、運命の扉を開いた。


 今日から生活する部屋には、もう志賀トウマが来ていた。志賀は鼻が高く、切れ長な目が特徴的な少年である。荷解きをする彼にケイは話しかけた。


 「俺、鯨井ケイ。よろしく」


 はつらつとした声で発せられたケイの声に、同部屋の少年はなんのリアクションも示さなかった。


 「よろしく!」


 ーーえ?


 外交的なケイの声は、何の反応も示さない部屋に虚しく消えていった。

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