閑話 堅物執事とへたれ王子
「ただいま戻りました」
「ご苦労様トリスタン。用件はしっかりと伝えてくれたかい?」
スタントン西方王国王宮。その一室にて、僕――スチュアート・スタントンは使いから戻った執事のトリスタンに
もっとも、報告を待つと言ってもその結果はわかりきっている。トリスタンは出来る男だ。相手がいくらあの悪辣な性格のイザベル・アイアネッタ嬢と言えども、しっかり仕事を果たしてくれただろう。
だいたいあの女性は何なんだ。家柄の為に幼少の頃より婚約関係であったから顔を会わせることが多かったものの、その性格の酷さと言ったら筆舌にしがたいものがあった。
だからとうとう
あれはいけない。女性に殴られて一発ノックアウトされたという噂が広まれば、僕の――ひいては王家の沽券に関わる問題だ。
だから
そのうえで今日、安全の為にトリスタンを使者としておくったというわけだ。
そもそもこのような案件で自らが赴くなんて、それこそ王族の沽券に関わる。それになんと言っても怖い……いや、なんでもない。
「で、イザベル嬢に婚約破棄の件を伝えてくれたかい?」
「え、ええ……、まあはい。確かにお伝えいたしました」
おお、さすがはトリスタンだ!
しかし何だか歯切れが悪いな。それに――、
「トリスタン、君の頬が腫れていないかい? 虫歯かな?」
「いえ、そのようなことは。お気遣い痛み入ります……」
報告は受けていないけど、暴漢の類を追い払った時に受けた傷かな?
いや、トリスタン程の男がそこいらの人間に後れをとることはないと思うけど。
「それで、イザベル嬢は何か言っていたかい?」
「はい。それはもう……、
「そうか……。ちょっと再現して見せてくれないか?」
「……よろしいのですか?」
「うん。興味があるんだ」
あの気の強い……と表現していいかわからないが、プライドの高いイザベル嬢がどのように慌てふためいたか興味があった。
それに王家に連なる者として、いかにあのイザベル嬢がいつものように虚言、妄言を並べようとも、言い分は公平に聞いておく必要がある。一応ね。
「それでは殿下、お立ちください」
「ん? なんだい?」
疑問に思いながらも、僕は素直に椅子から立ち上がる。
トリスタンは近づいてくると、すっと片足を後ろに下げた。
「それでは失礼して――」
「トリスタンどうしたんだい? 早く言ってみせ――ブベルッ!?」
――突然トリスタンの右の拳が僕を襲った。
まるで無警戒だった僕は殴り飛ばされ、先ほどまで座っていた椅子に叩き込まれる。
「!?!?!? な、なにすんだよッ!? 謀反!?」
怒りと言うよりも驚きの感情の方が強い。
そんな目で問いかけるが、当のトリスタンは変わらず冷静な顔で――、
「イザベルの痛みはこんなものじゃない、とのことでございます」
――と言い放った。
「まさか……、再現してみせたのかい? 殴られるところも含めて?」
「はい、殿下はそう仰いましたので。本当は二発だったのですがそれも再現いたしますか?」
「しなくていい」
僕は力の限り首を振る。
忠義に厚いトリスタンだけど、彼が堅物の杓子定規人間であることを忘れていた。まじめで仕事のできる執事なのは間違いないけれど、ある種天然だ。
「というか再現はともかく加減してよ……」
「加減はしました。本来であれば数段上の威力です」
「……本当に?」
「本当です」
執事兼護衛である武術の使い手であるトリスタンに、あの運動不足のイザベル嬢が二発も叩き込んだなんて信じられない。しかもこの威力はいったい……?
――それにしても、「イザベルの痛みはこんなものじゃない」か。
何故か他人事みたいな口調が気になるけれど、少し悪いことをしてしま――いやいやいや、彼女の悪辣な性格を思い出せスチュアート。同情すべき相手ではないだろう。
僕は断固たる思いで彼女に婚約破棄という現実をつきつけ、高貴なる者として立ち振る舞いを気がついてもらう。そして僕自身も悪逆非道な彼女から逃れる。そう誓ったじゃないか。
彼女は王家に相応しくない。それどころか貴族に相応しくない。心を鬼にしろスチュアート。
「そう言えばイザベル様はこのようなことも仰っていました。『大事なことはちゃんと自分で伝えなさい、この
「へ、へたれ王子ですってー!? なんという無礼。なんという侮辱。これはもう、僕自身が赴いて決着をつけるしかないようですね……!」
「その意気でございます、殿下」
トリスタンが優し気にニコリとほほ笑んだ。普段無表情な彼のこんな表情は珍しい。
王子として二人の兄上はいるが、公務もあり普段あまり普通に話すということはない。その点トリスタンは寡黙だが、厳しさと優しさをもって昔から僕に接してくれている兄代わりのような人物だ。
「あ、でも怖いからやめとこうかな……」
「殿下……」
「
「それはもう
これまた珍しいトリスタンの長い溜息の音が、静かな部屋に響いた。
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