2021

Skipping out kaleidoscope



「誕生日に重なるなんて災難でしたね」

 謠子に続き廊下を歩く秀平は苦笑した。いつもなら毎年この日は謠子は休暇を申請しているが、たまたま月に一度提出することになっている施設外部情報のレポートを出さなければならなかった。しかもこの後定例会議がある。キャプターの定例会議やレポート提出は、謠子にとって大嫌いな施設に赴かねばならない“施設参り”という嫌なイベントなのだ。

 しかし意外なことに、謠子は涼しい顔だ。

「仕事だからね。お祝いは夜にやってくれるらしいし」

「成長しましたねぇ、昔はすっげえ不機嫌な顔で施設に行ってたのに」

「八年近くこの職に就いていればいくら嫌でも慣れるよ。僕だって条件をのんだからで外に出してもらえてるんだ、その点については文句なんか言えないさ」

「八年かぁ」


 言われて、まじまじと見る。


 いろいろあって謠子がキャプターになったのは、十歳になって少し経った頃。

 その当時肩のあたりでざっくりと切ってしまった金茶の髪は、今ではまた背の中程まで伸びている。

 顔立ちも体付きも、いくらか大人びてきた――が、


「背、あんまり伸びませんでしたね」

 ぽそっと言うと、振り返った謠子が睨んでくる。

「うるさいな!」

「ふふ。…………謠子さん、ちょっと、付き合って、もらえませんか」

「何に?」

「いいから、ちょっと」

 秀平は謠子の手を取って、早足で歩き出した。




 シーゲンターラー謠子は、部下の戸谷秀平と共に、キャプターの定例会議に出席する、はずだった。


「どういうつもりなの」

 電車に揺られる謠子はしかめっつらだ。通勤ラッシュはとうに過ぎて、座席はそこそこ空いている。並んで座る秀平は、スマートフォンの画面を見ながら縦に横にと指を動かしている。

「……よし。こう行ってこう行って、こうだ!」

 付き合えと言ったくせにたった今行き先を決めたらしい様子に、今度は呆れ返る。

「もしかしてきみ、何も考えないで会議すっぽかしたの!?」

「人間勢いも大事です。定例会議なんて一回二回出なくたって死にやしませんよ、どうせいつもおんなじこと言って終わりじゃねーですか。ここしばらくヤバそうな話も聞かねーし」

 それは、そうなのだが。謠子は深々と嘆息して、項垂うなだれ、首を横に振った。

「きみが勢いでランナーになった前科がある男だというのを忘れていたよ」

「もう二度とやりませんよ、いろいろめんどくせーですからね」

「その割に平田くんの名前使って随分と楽しんでたみたいだけど?」

「バカ正直に宿帳に自分の名前書いたら捕まっちゃうじゃねーですか」

 スマートフォンをコートのポケットにしまったその手で謠子の手を握り、背もたれに寄り掛かる。

「今日は俺の独断で去年の続きをします」

「は?」


 「去年の続き」。

 その意味を察するが、彼は一体自分に何をさせようというのだろう。


「謠子さん、学校行ってないから、こんなの経験してないでしょ。学校もちゃんと行く奴は行くけど」

「それが、何?」

「…………う、んん?」

 少し考え込むが、思考と言葉が上手く噛み合わないらしい。繋がれた手が、強く握られたり弱まったりを繰り返す。

「ちょっと説明が難しいんですけど」

「うん」

「いいから全部俺のせいにしちゃって叱られるのも全部俺に押し付けちゃって下さい。今日のテーマは『サボり』です。今日はもう仕事のことは完全に忘れる!」

「忘れる、って。このなりで?」

 バッグには会議でいつも使う筆記用具とバインダー、書類の類が入っているし、秀平もスーツのまま。“仕事仕様”だ。

 秀平はスーツの胸ポケットからIDプレートをはずしてジャケットの内側にしまうと、離した手を繋ぎ直した。


「だから意味があるんですよ」


 どういうことなのか、さっぱりわからない。が、彼にしてみれば、そうなのだろう。


 確かに勝手に連れ出したのは秀平だ。そして、おとなしくついてきたのは謠子自身である。


 彼は自分に対して、何かをしてくれようとしている――それなら、その言葉を、行動を、信じるのみ。


「ふぅん。……それで、どこに行くの?」

 諦めと期待、半々の気持ちで繋がれた手を自分の膝の上に置くと、秀平は少し、姿勢を直した。

「サボりといったら海です」




 電車を乗り換えて辿り着いた先は有名な高層ビル。展望フロアまで上がるとその景色のよさに、それまでむっつりしていた流石の謠子も表情が晴れた。

「わぁ」

「こういうところも、来たことないでしょ」

 自分のチョイスは間違っていなかったと確信した秀平は得意げな顔をする。元々きれいな顔立ちで実年齢よりだいぶん若く見られる上、こういう子どもっぽいところがあるからか、年齢が結構離れていても謠子はそれを全く気にせず接することができる。歳の変わらぬ友人のようなときもあるし、時折年上ぶってみせることもあるし、逆に何故か自分よりも幼く感じることもある。それが楽しい。

「あれ富士山? 富士山だよね。きれい」

「前に近くまで行ったときは仕事だったし全然楽しむ余裕なかったですもんね。今度ゆっくり行きましょうよ。あっちの方でっけー神社とか牧場とか美味い焼きそば屋とかいろいろあって楽しいですよ」

「そんなにのんびり遠出できないよ」

「仕事休んで外泊届出せばいいじゃないですか」

「簡単に言うなぁ」

 苦笑する謠子に、今度は秀平が呆れた顔を向けた。

「簡単なことなのになぁ。……あ、あのへん、有名な、何だっけ、ナントカ倉庫。次あそこ行きましょう。今いちごスイーツフェアやってるって」

「それ、きみが食べたいだけじゃないの」

「そうとも言いますね」




 午後になり、タクシーを使い移動、中華街で昼食をとる。が、つい先程カフェでスイーツを堪能したばかりなので、大きな肉饅頭にくまんじゅうを一つ買い、二人で分けた。

「う~ビールほし~」

 歓喜と無念さに感じ入る秀平に、

「お店に入って食べればよかったのに」

 謠子がクールに返すと、

「酒入ってる状態でエスコートなんてできねーですよ」

 あっという間に食べ尽くす。

「パンダのね、お饅頭もあるんですよ。あっちの方」

「サボりというのは食べ歩きをすることなの?」

「多分違いますね。でも、ま、こういうとこなんで、こうなるでしょ」

 指先に餡が付いたらしく、ぺろっと舐めながら。

「中学生の頃、俺もここ連れてきてもらったんです。爺ちゃんに。別にいじめられてたとかそういうんじゃないですけど、何となく学校行きたくないなってときがあって」

「へぇ」

 食べ終えた謠子はバッグの中から携帯用のウェットティッシュを取り出して、自分が使う分を一枚引き抜くと秀平にもすすめた。使用済みになったものは、これまたバッグから出した小さなポリ袋に入れて、しまう。

「意外だな。いさむくんは『ちゃんと学校行け』って言いそうなのに」

 小さな護身柔術の道場主をしていた今は亡き秀平の祖父が厳格な人物だったことは、謠子も知っている。

「俺も怒られると思ってたんですけどね。一日目一杯うろうろして飲み食いして、疲れて次の日も休んで、その次の日からまた学校行きました」

 平日の昼間ではあるが、観光客がそこそこいるので、はぐれないようにと再び手が繋がれ、引かれる。


 別に、仕事や勉強が嫌いなわけではない。

 日々の生活に、息苦しさなんて感じたこともない。


 それでも、こういう時間も必要なのだということなのだろうか。


(……そんなこと、)


 時計を見る。もうとっくに会議は終わって、迎えに来てもらって屋敷で家業と勉強と――そうだ。


「平田くん! 連絡してない!」

 まさか、すっかり忘れていただなんて。慌ててコートのポケットからスマートフォンを出すが、着信があった様子はない。メッセージすら届いていない。

 解せない顔で立ち止まると秀平が振り返る。

「してありますよ、保護者に許可取らないわけないでしょ」

「きみたちグルだったの!?」

「や、言ったじゃないですか俺の独断だって。駅着いたときに『ちょっとお嬢様連れ回してきます』って送っただけです」

 証拠として己のスマートフォンのメッセージ画面を見せてくる。秀平が送信したメッセージでは会議を無断欠席する旨もしっかり説明されており、可愛らしいウサギが「はーい」と返事をしているイラストで返信が届いていた。

「未成年拐取かいしゅに敏感なおじさんですからね、そこはちゃんとしとかないと」

 普段頭がそんなによくないと称しているが、こういうところは意外と気が回る。戸谷秀平とはそういう男だ。しかし相手が付き合いの長い秀平だとはいえ、自分のことに関しては心配性のきらいがある平田がこんなに軽く承諾するとは。会議を無断欠席してしまった件については、叱られることはないのだろうか。きっと本部から連絡が行ってしまうのに。

 そんな思考が顔に出ていたらしく、

「全部俺のせいにしちゃえって言ったじゃないですか」

 両手で頬を挟まれる。


 その笑顔は、何故か、妙に、ちゃんと大人のように見えた。いや、実際彼は大人なのだが。


「いいの?」

「はい」

「ダメな甘やかし方だよこんなの」

「今日ぐらいはダメな大人にそそのかされちゃいましょうよ。どうせまた明日は戻っちゃうし……あと一年ちょっと経ったら成人しちゃうんですから」


 成人、と、口にはせず、頭の中で繰り返す。


 そうか。

 “子ども”として扱ってくれるのはもうすぐ終わりだということか。


「チャイナドレス買いましょうチャイナドレス、謠子さん絶対似合う。リメイクして普段使いできるの作りたいですね、落ち着いた色柄のがいいかな」

「きみといい平田くんといい何でそんなに僕を着せ替え人形にしたがるの。……ねぇ、」

「はい」


 これまで幾度となく同じことをしてきた、いつものこと。繋ぎ直した手は、顔の割に大きい。


 成人したら、できなくなってしまうのだろうか。


「……ごめん。何でもない」

 返す言葉はなかったが、その代わりとでもいうように、少しだけ手に力が入った。




 日が暮れてそろそろ帰らなければという頃になって、最初に行ったビルの方まで戻り、近くにある観覧車に乗ることになった。最後にどうしても、と秀平が言ったのだ。そういえば昨年、一昨年に謠子が秀平の甥の純白よしあきと観覧車に乗ったというのを気にしていた。


 が、それは少し違っていたようだ。


「訊いていいですか」


 ゴンドラに乗り込み座り、扉が閉まってすぐ、秀平は切り出した。


「何?」

多和本たわもと磨皓ましろ

 その名を聞いて、思わず見返す。

 長い前髪の奥の目が、珍しく少しきつい。

「どうして、教えてくれなかったんですか」

「……今更、その話」


 もう七年も前のことだ。

 とあるキャプターに謠子が拉致されたということがあった。


 当時秀平はキャプターではなくランナーで、謠子の庇護の元、仕事の補助をしていた。しかしこれに関しては、謠子も平田も、捕獲作戦のリーダーとなった秀平の父・誠も秀平には何も教えていなかった。たまたま秀平のいる場でそれが話題に上がることがなかったというのもあるが、元々謠子の家業である情報屋の方での依頼から発覚した事件であるとはいえ、キャプター内の案件をランナーだった秀平に敢えて話す必要性はないと判断してのことだった。


「きみには関係」

「ありますよ。あの集落の調査、俺がやったんじゃないですか。捕獲も誠が担当したんでしょ」

 そう言われてしまうと全く無関係というわけではなくなるから弱い。謠子は目を逸らした。

「単に、巻き込みたくなかっただけ。というより、きみがいたところで多和本くんにかなうわけないだろう? ギフト持ちキャプターで特戦部、しかもギフトは殺傷能力が高いんだから」

「俺の運とどっちが強いですか」

「きみの運と勘も確かにすごいけど、同じ土俵に上げる方がおかしいよ」

 すると秀平は、怒っているような、ねているような顔で謠子の横に来て座り、ぎゅう、と抱き締めてきた。


「それでも、何か手伝えること、もっとあったでしょ」


 揺らぐ声。腕の力が、少しずつ強くなっていく。

 腕を伸ばし、やわらかい髪を撫でる。


「泣いているの?」

「泣いてねーです」

「嘘」


 いい歳して、とは思わなかった。寧ろ彼らしい。


「いつ知ったの?」

「…………キャプターになって、ちょっと経った頃。資料、見ちゃって」


 四年近く前からずっと抱えていたのか。本当はもっと早く訊きたくて、しかし迷っていたに違いない。謠子は申し訳ない気分になった。


「そっか」

「今朝、ちょっとだけ、会ってきました。多和本さん」

「怠惰なんだか行動力があるんだかわからない男だなきみは」

「ずっと前のことなのに、心配になっちゃった」

「ずっと前のことなのに?」

「だって謠子さん、無茶なことするから」

「もうしないよ」

「嘘だぁ」

「今はもう、頼れる部下がいるからね。ちゃんときみの力も借りるよ」

「もっと、いっぱい、使って下さい」

「いいの?」

「はい」

「うん。ありがとう。ごめんね」

 離れて顔を見合わせると、秀平はもういつも通りだった。目は赤くなっていない。涙は辛うじて出ていなかったようだが、鼻をすすり上げる。

「っぶねーマジ泣くとこだった」

 謠子は、笑う。

「泣くようなことじゃないでしょ」

「だって」

 もう一度、抱擁する。

「何か、すげー悔しかったから」



 ゴンドラが地上へ到着した。日中楽しんだショッピングの成果物を持ち下りるが、二歩三歩、歩いたところで、秀平が立ち止まって振り返り、ライトアップされた観覧車を見上げる。

「謠子さん。もう一周、いきません?」

「え? でも、時間」

 戸惑う謠子の手を引き、足早にチケット売り場へ向かう。

「せっかくこんなキラキラしたもん二人で乗るんですよ、あんな話して終わりだなんて最悪なパターンじゃないですか」




 結局浄円寺邸に謠子と秀平が帰り着いたのは、二十一時近くになってからであった。


「遅い何やってたんだこんな時間まで!」

 結局玄関先に迎え出た平田に叱られたので、謠子はすっと秀平の後ろに隠れる。

「クレームは全部彼に言って」

 この場を任された責任者は肉饅頭の入った袋を差し出して立ち向かった。

「謠子さん用のめっちゃ可愛い服買ってきたので許して下さい。これはお土産です」

「許す!」

「ほんとちょろいおっさんですねあんた」

「早く手ェ洗ってこい腹減ってんだよこっちは。鈴音ちゃんだって待っててくれてたんだぞ」

 はぁい、と揃って返事をして、二人は靴を脱いだ。




     了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る