2020

4hours×3


 食事を終えたテーブルの上が片付いた直後、平田がぱん、と手を叩いて急かした。

「はい! さっさとシャワー浴びる!」

「何? 今日オフだよね?」

 朝食の際のスケジュール告知は何もなかった。てっきり今日一日は自由だと思っていたのに。

「いいからさっさと行くー。歯も磨いて。早く早く、時間押してる!」

「……?」

 解せないが、何かあるのだろう。謠子はおとなしく浴室へと向かった。



 平田による「お嬢様はお嬢様らしく」という方針の為に、謠子はいつもはフォーマルな装いをしているのだが、今日は違った。いや、それなりに質も品もよくまとまっているのだが、オフホワイトのカシミヤのプルオーバーに、裾にレース状のカッティングが施されたダークパープルのスカートを合わせ、その下は冷えるといけないからと保温素材のタイツ。カジュアル寄りだ。姿見の前で確認しながら平田が満足げに頷く。

「流石俺の謠子お嬢様、今日もこの世で一番輝いてるな」

「きみは本当に僕を着せ替え人形にするのが好きだね平田くん」

「お前を可愛くすんのも俺の仕事よ。ん~、頭どうしような~、久々にちょっと編んじゃおっかな~」

 インターホンが鳴った。折りたたみ椅子に座らせた謠子の髪を結おうとしていた平田は、げ、と呟いて一旦作業を中止し、慌てて来客の対応をしに行く。

「うっそはええなちょい待ってて」

「誰?」

「さァて誰ですかねェ」

 この反応からして来客も予定通りのものか。とすれば、見知った顔だろう。

 しばらくおとなしく待っていると、

「おはよ、謠子ちゃん」

 やわらかく優しい声。鏡越しに手を振る鈴音に振り返る。いつもより少し雰囲気が違う。黒と鮮やかなピーコックグリーンの色の対比が美しい切り替えのワンピースに、メイクもやや華やかに見える。

「何、どうしたの、今日休みだよね?」

「そう、お休み。だから謠子ちゃんとデートしようと思って」

「は?」

 後から部屋に入ってきた平田が、ついでに持ってきたらしい上着とバッグを下に置いて再度謠子の後ろに立ち、手早く髪をく。

「鈴音ちゃん早すぎ二十分前じゃん!」

「バスがなかったんだからしょうがないじゃないですか。あ、スカート可愛い」

「でっしょ、ネットで見付けて即ポチした」

「……篤久さん、謠子ちゃんの服どうやって探してるんですか?」

「ひーみつー。……おっし、できた! 上着とバッグ上着とバッグ~」

 着せられたチャコールグレーのコーディガンのサイズが大きい。謠子は気付いた。

「これ秀平くんのじゃない?」

「いーのいーの使えるもんは使う! はいバッグ! よし可愛い! 行ってこい!」

「『行ってこい』って、」

 外出する際はほぼ必ず平田が付き添っていたのに、今日はそれがないというのか。何故。謠子の頭に疑問ばかりがよぎる。

「はい、じゃあ、行ってきまーす」

 鈴音が手を引いた。先程デートと言っていたが、本当に、一体何事なのか。

「ちょっと、鈴音さん」

「早く、時間が限られてるの!」

 解せないまま、謠子は鈴音により強引に連れ去られた。



 駅まで徒歩、かと思ったら、タクシーを呼んであった。屋敷から駅までさしたる距離ではないのだが、そういえば鈴音は時間が限られていると言っていた。それ程までに短縮したいのだろうか。

 駅に着いたら着いたで、既に買ってあったらしい切符を渡される。運賃表を見ると都心部までの料金。どこへ連れて行こうというのか。

 ホームに下りて間もなくやってきた電車に乗る。空いている席に座らされた。鈴音がその前に立って吊り輪を握る。謠子は改めて鈴音に問うた。

「どこに、行くの?」

「お買い物」

「は?」

「と、ランチ。デートだって言ったでしょ」

「そんなの平田くんとしなよ」

「今日は謠子ちゃんの誕生日だから。だからおねーさんがプレゼントを買ってあげます。自分で見て、選んでほしいなって」

「選んでって……僕が今欲しいのってパソコンの」

「そういうのはダメ、仕事関係禁止!」

「そんなこと言われてもなぁ……思い付かないよ」

 悩む謠子に、鈴音は笑う。

「だから、いろいろ見るの」


 目的の駅に着くなり、最寄りのショッピングビルに入る。丁度開店したばかりだった。まずは洋服や服飾品を見てみるが、今度は鈴音が悩む。

「服は……篤久さんがそろえちゃうからなぁ……あのひとほんと女の子の服の情報どこから仕入れてるんだろう……」

「店の従業員じゃないかな」

「あぁ、そっかぁ」

 平田がオフラインでの情報収集の一環としてキャバクラのオーナーをしているというのは、鈴音も以前聞いていた。店から出ると、謠子がちら、と覗き込む。

「鈴音さんは、いたりしないの?」

「どうして?」

「キャバだよ?」

「お仕事でしょう? 入り浸ってるわけでもないし、私も何回も一緒に行ってるし」

 あまりにもさらりと返すので、思わず苦笑いする。

たくましいなぁ」

「二十五年間も好きなんだから、図太くもなりますとも」

「あははは」

 雑貨屋に入る。アロマディフューザーが稼働しているのか、オフホワイトを基調とした明るくも落ち着いた店内に爽やかな芳香が漂う。鈴音がまた少し眉根を寄せた。

「ここは……何か違う気がする……」

「そうかな」

「だって謠子ちゃんまだ十七歳でしょう⁉ こんなくたびれたOLが癒しを求めて入るような店あと五年は早いと思わない⁉ 私十七歳の頃こんなところ入らなかったもの!」

「そうでもないと思うけどなぁ。秀平くんがたまに買ってきてくれるよ、こういうの」

 ワイヤーで組まれたカゴの中にきれいに並べられた袋を手に取る。半透明のパッケージの中には、花びらを模したフレークが入った粉末状の入浴剤。鈴音の顔が益々苦々しくなった。

「あの人どうしてこんなの選ぶ頭持ってるの……『お肌つるすべ桃の花の香り』だって、いいな……私これ買う……桜の香りのも……謠子ちゃんにも買ってあげる……」

 先程の、平田のことを語る顔と全然違う。またしても苦笑いが浮かんでしまう。

「鈴音さんは、そんなに秀平くんのこと嫌いなの?」

「嫌いじゃないけど気に入らないの」

「…………複雑なんだね」

「そう、複雑なの。……あ、ねぇ、あれ可愛いね。猫のアイマスク。温冷対応だって。ああいうの、どう? 使う?」



 何やかんやでふらふらと歩き回っていたら、昼食に丁度いい時間になった。

 鈴音に導かれて入ったのは、イタリアンの店。若い女性が主な客層らしい。予約を入れてあったらしく、待つことなくスムーズに席に通される。

 椅子に座ると、どっと疲れが出た。移動はほとんど車だから電車など使ったのは数年ぶりだし、こんなに歩き回るのは珍しい。

「篤久さんや師範代と一緒だと、こういうとこ入らないでしょう? 美味しいんだよここ」

「そういえばそうだね。おすすめは何?」

「このランチセットとかどうかな、ドリンク付きで、デザート選べるの」

「うん、いいね」

 注文を済ませた後、二人は沈黙した。周囲のお喋りが軽快な音楽に乗って歌のようにも聞こえる。

 お冷やの入ったグラスを手に取り、鈴音は笑った。

「疲れた?」

「少しね。仕事でもない限りはほとんど出歩かないから」

「……つまらなかった、かなぁ」

「そんなことないよ」

 横の椅子に置いた幾つもある紙袋に目をやる。

「普段見ないようなもの、いっぱい見られたからね。これはこれでいい経験だ。ありがとう、鈴音さん」

「そっか。よかった」


 安心したような顔。意外と不安だったのかもしれない。


 謠子も少し、安堵した。迷惑だなんて思わなかったし、寧ろ結構素直に楽しめていた気がする。

 女性ならではの目線の鈴音のもてなしは、とても新鮮に感じられた。



 昼食と食休みのお茶を堪能してから、最初に下りた駅にまた移動する。鈴音がスマートフォンを見ながら何やらぶつぶつ独白している。

「もう、どこ~……? あっ、いた」

 謠子の手を引き、足早に向かった先には、薄手の黒いチェスターコートを羽織る、よく見知った顔の細身の男──戸谷秀平。珍しいことに少し長めの髪はラフながら整えられて隠れがちな顔が露出し、服装も普段の余裕のある感じではない。全体的にすっきりとしている。その分見目がよいのが目立つ。

「お疲れ様です鈴音さん。……あれ、それ俺の」

 謠子は着せられたコーディガンの長い裾を摘まんだ。

「ごめん平田くんが勝手に」

「あ、いいですよ、謠子さんそういうの持ってないでしょ。……飯は食ったんですよね?」

 問われた鈴音はびっ、と親指を立てる。

「満タンです!」

「了解でーす。……じゃ、午後の部出発~」

 秀平が謠子の手を引いて歩き出そうとすると、鈴音が引き止めた。

「待って謠子ちゃん、荷物! 持って帰っておくから」

「え、でも」

 強引に謠子の手から紙袋を奪う。

「手ぶらの方が楽でしょ。じゃあ、行ってらっしゃい」

「鈴音さんも一緒じゃないの?」

「私の持ち時間はここまでだから。楽しんできてね」


 持ち時間──「時間が限られている」と言っていた意味を、謠子はようやく察した。


「……そういうこと」

 時計に目をやれば、十四時。秀平が、意外そうな顔をした。

「何も聞いてなかったんですか?」

「朝ごはんの後突然シャワー浴びてこいって言われて着替えさせられて鈴音さんに連れ出されて今ここ、って感じだ」

「ふぅん、サプライズのつもりだったんですかね」

「きみはどこへ連れていってくれるの?」

 秀平とは幼い頃からの付き合いがあるし、何度も共に外出している。謠子が好きなものは大抵把握しているはずだが。

「ほんとは映画観に行きたかったんですけど、今謠子さんが楽しめそうなのやってないんですよね」

「映画?」

「行ったことないでしょ映画館」

 五歳で施設入りして十歳でキャプターになり母方の家業を継ぎ──考えてみれば一度もない。

「まぁ、映画はまたの機会ってことで。たまにはちょっと体動かしましょうか」



 再び電車で少しだけ移動。

 下りた駅からはそう遠くないビルに入り、受付を済ませて案内された部屋は個室だった。真ん中にどんと置かれたテーブルの強い存在感にある種の圧を感じつつ、上着を脱いでバッグも下ろす。

「ねぇ、僕卓球なんてやったことないよ」

 シャツの袖をまくる秀平は笑う。

「大丈夫、俺もやったことねーです」

「ないの⁉」

「運動は走るの以外苦手ですから!」

「豪語するところじゃないよトダくん」

「それ久々ですね戸谷です」

「ルールわかってるの?」

「大体わかってます。これを、こう」

 卓球台にボールを落とし、跳ね返ったのをラケットで打とうとすると、思い切り空振りした。

「一回バウンドさせたのを打てばいいんですよね確か」

 失敗したのに何故かキメ顔で言うものだから、

「打ててないじゃないか」

 思わず笑った。



 あっという間に二時間が経過し、流石にくたびれたのでビルから程近いカフェに入って休憩することにした。謠子がコーヒーとチョコレートパフェを注文すると、ホットココアとチーズケーキを頼んだ秀平がフォークでパフェのホイップクリームやアイスをひょいひょいすくって自分の口へ運ぶ。

「今こんなの食べたら飯入らなくなっちゃいますよ、先輩奮発するって言ってたし」

「やっぱりトリは彼か。大丈夫だよ、僕結構食べられるし」

 上に乗っていたシロップ漬けのチェリーを差し出す。

「知ってますけどぉ」

 ぱくりと食い付いた。そのまま果柄かへいまで含んで、口をもごもご動かす。摘まみ出された果柄には結び目が二つ。

「器用だね」

「コツ掴めば楽勝ですよ。……これのこと知ってるんです?」

「有名な通説だろう? 『キスが上手い』」

「こんなの知らないと思ってました」

「何故?」

「誰かのこと好きそうな感じとか今まで全然見たことねーし。……そういや去年、純白よしあきと観覧車乗ったんですよね。どうでした?」

「どうって。楽しかったよ」

 答えると秀平は頬杖をついた手で口元を隠すように苦笑した。

「報われねーな」

「なに?」

「何でもねーです。じゃあ今度俺と乗りましょ」

「えっ、何で」

「何でって何ですか俺も可愛い子とそーゆーのやりたいですもん一緒に乗って下さいよ」

「っていうかちょっと食べ過ぎ僕が頼んだのに!」

「今このとき体がチョコを求めているので……あ、バレンタイン近いしチョコ買いに行くのとかもよかったですね、今更だけど」


 ふと、思い返してみる。


 ラリーがろくに続かないどころか、フォームすらなっているかどうかも怪しい卓球とも言えない卓球だったが、それがかえって盛り上がった。

 疲れはしたが、沢山笑った。


「でも、楽しかったよ。卓球」

 そう言うと、

「俺も滅茶苦茶楽しかったです。また行きましょうね」

 一口分切り分けたチーズケーキが刺さったフォークが向けられる。

 謠子は迷いなく、それを口で受け取った。



 十七時五十分。下車駅に戻り、次の相手を待つ。

 隣でスマートフォンをいじっている秀平のコートのそでを、ついついと引く。

「ねぇ」

「はい」

「私も、そういう、……その、恋愛的なものは、した方がいいのかな」

 小さく問いかけると、秀平はスマートフォンをポケットにしまって、考え込んだ。

「……どう、ですかね。謠子さん的に言うなら、そういう知識を得る為の『経験』があってもいいんじゃないかとは思います。でも、無理にするもんじゃねーし、謠子さんまだ十七だし、そういうの興味ねーって人も世の中にはいっぱいいますからね」

「きみが十七のときってどうだった?」

「付き合ったり……別れたり……」

「女転がし」

「転がしてねーですちゃんと双方話し合いの上って言ってるでしょ」

「どうして今一人なの?」

「毎日施設とお屋敷行ったり来たりで出逢いの場なんてあると思います? 責任取って結婚して下さい」

「部下に据えるようにしたのは僕だけどキャプターになる道を選んだのはきみだ、僕のせいにしないでほしいな」

「おー、いつものやつ、だがそれがいい。……まぁ、そうですね、」

 いつものしれっとした表情で言いながら、謠子の手を握る。

「身内でも何でもない、赤の他人のことをあれこれおもってそばにいようとするって、不思議だけど面白いもんだとは思いますよ」


 彼なりの真面目な回答。「そんなに頭はよくない」と自身でよく言っているが、それでも考えて、言葉を選んで出してくれる。十六歳という年齢の差も全く気にせずに接してくれる。昔からそうだ。


 得難えがたい友人だ、と思った。


「そっか。…………あ、来た」

 宵の口の雑踏に目立つ、中折れ帽に赤い樹脂フレームの眼鏡、グレーのとんびコート。二人を見付けると、

「よォ、待ったか」

 気安く手を挙げる。見た瞬間、謠子は察した──今日は、「自称執事の平田くん」ではない。


「伯父様、だ」


 嬉しくなって、抱き付く。今日は堂々と外で伯父と呼んでもいいのだ。気のせいかもしれないが、頭を撫でる手が、いつもより優しく感じる。


 おぉ、と秀平が感心した声を出した。

清海きよみ小父おじさんのコレクションかっこいいですね、でも着物寒くねーですか?」

「これ下、羽織と着物ウールのやつ。意外と寒くない」

「いいな俺も欲しい買って下さい」

「ナチュラルにねだるんじゃねえっつってんだろ幾らすると思ってんだ。あ、トダどうする来る? 一人増えるかもって予約入れてあるけど」

「戸谷ですけどね、一応決めた持ち時間ももう終わるし、俺も空気はそこそこ読めるようにできてるんで。どうぞ二人でごゆっくり」

「……そか。んじゃ行ってくるわ。よし謠子、肉食いに行くぞ、しかもいい肉だ。あとでっかいエビとか」

「うん!」

 歩き回って、卓球で戯れて、普段室内に引き籠もりがちな謠子のことだからかなり疲れているはずなのだが、伯父の腕に絡み付いて歩く足取りは軽い。その後ろ姿を見送りつつ、秀平ははぁ、と、ひとつ、息をつく。

「まぁ、あの人にはかなわないよなぁ」



 今度は電車ではなく、車で移動。高層ホテルに入り、車を預けると、エレベーターで上がる。

 その間、疲れたか、楽しかったかと平田──否、浄円寺篤久は訊いてきた。それに答えながら、少し、本当にほんの少しだけ、老けたなと謠子は思った。以前より白髪が目立つ。四十近いのだから、不自然なことではないのだが。

 エレベーターの扉が開くと、すぐ店の入り口だった。篤久が謠子の手を取る。

「どうぞ、お嬢様」

「今日は執事業平田くんはお休みじゃないの?」

「やっべ忘れてた」

 もう七年、染みついた癖はなかなか抜けない。



 静かな店内、肉が焼け、ターナーやミートフォークが広い鉄板の上で踊るように操られる音。食欲をそそられる匂いがする。

 供されたステーキ肉を美しい箸使いで一切れ持ち上げ、篤久は静かに言った。


「『今まで経験してないことを体験させてやりたい』、って話してさ」


 今日の誕生日祝いのことか。


「お前、ちっちゃいときに施設入っちゃって、キャプターになっちゃって、学校も行ってねえし、同年代の友達も美紅みくと純白しかいねえじゃん? 俺や秀平がどこそこ連れてってやってるっつったって、それは保護者としてのていで同行してるわけで。だから、“未成年”でいるうちに、そういうの味わってほしいなーって」

「でも、買い物は、伯父様や秀平くんと」

「だからさ、そこよ」

 肉を口に含み、咀嚼そしゃくして、飲み込む。

「鈴音ちゃんと一緒にぶらぶらしたの、何かちょっと違ったろ? 女の子同士で、特に何を買うって決めないで、なんて、したことねえじゃん。……俺のせいだけどさ」


 元々篤久は幼くして両親祖父母を喪った謠子の面倒を甲斐甲斐しく見ていたが、謠子が十一歳になる少し前に誘拐されてから、謠子がキャプターの仕事の関係で施設に行くとき以外はほとんど傍を離れることはなかった。それが謠子の行動を制限しているというのを、彼はずっと気に病んでいたのだろう。


 そんなこと、自分の為を思ってしてくれていたのだから気にしなくていいのに──謠子は思ったが、それを今口に出すのは何となく違う気がした。口に含んだ肉の脂の甘さを感じながら、どう返そうか考える。


「映画もお前フィクションに興味ねえから動物ドキュメンタリーぐらいしか見せられそうなのねえし、でもそういうのってあんま上映しねえし……あれ、そういやお前今日秀平とどこで何してきたの。映画いいのやってねえってあいつ言ってたけど」

「卓球」

「卓球⁉ うそ、できたの⁉ お前もあいつも運動ダメじゃん⁉」

「まぁ、貴方から見たらボロボロだろうけど……でも、楽しかったよ、それなりに」

 答えると、ふぅん、と満足そうに目を細める。装いのせいか、その表情は少し祖父に似ているように見えた。

「よかったな」

「うん。……ところでさ、この……この店は……」

「何だよ」

「確かにこういうところ入るの初めてだけどさ、未成年でいるうちに経験するものじゃなくない?」

 ドレスコードのある鉄板焼きレストランなど未成年にとって敷居が高いどころではない。

 しかし篤久は、炭酸水の入ったグラスを取りながら笑った。

「なァに、可愛い姪っ子に好きなもん好きなだけ食わせてやりたい伯父心よ。どんどん頼んでいいぞ、俺の金はお前のもんだ」

「……私の為もいいけどさ、ちゃんと結婚資金とっておきなよ」

「いや、だから結婚しねえって」

「しなよ。遠慮なんかしなくていいから。鈴音さんなら大丈夫だよきっと。私ももう大丈夫だよ。だから、」

 そこまで言うと、突如、篤久の箸が謠子の取り皿に残っていた肉を奪い去った。しかも二切れ同時に。

「あっ!」

「さっさと食えよ冷めてんじゃんか」

 口をもぐもぐ動かしながら、目を逸らす。謠子は、ふくれた。

「伯父様のバカ、大っ嫌い!」

「はいはい嫌いになるのはやめてねー伯父様生きていけなくなっちゃうからねー。すみません、ヒレステーキ追加で」



 歩き回って、軽い運動もして、満腹になる程食事をして。助手席に収まった謠子は欠伸あくびを噛み殺した。睡魔と必死に戦うが、しかし目はもう閉じかかっている。

 運転席に乗り込んだ篤久が、コートを脱いで掛けた。

「着いたら起こすよ、寝てな」

 発進。

 窓の外に見える、きらきらとした街明かりに目をやりながら、今日のことを思い出す。


 親しい人たちは、それぞれ一生懸命考えて誕生日を祝ってくれた。


 車が屋敷に到着したら、この非日常は終わる。

 そう思うと、少しだけ、寂しくなった。

 

「……ねぇ、伯父様」

「なーに」

「ありがとう」

「こちらこそ。よく十七年育ってくれました。また一年健やかに育って下さいお嬢様」

「あのね」

「ん?」

「改姓。そろそろしようと思う」

「そっか。じゃあ手続きしねえとな」

「……あの、男、泣く、かな?」

「泣かせとけあんなろくでなし親父」

「ふふ」




 毎年この日は、傍にいてくれる存在のあたたかさを感じる。



 自分をこの状況に追いやったものへ対する嫌悪と憎悪のことはさておき、謠子は生まれてきてよかったと、誕生日の度に思うのだった。




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