2/8,birthday/reverse
今日、彼は彼なりに、とても張り切っていたのだろう。
「午前中にハコとか一式届く予定だけど何時かはわかんねえから、届いてから昼飯食って、そんで買い物。以上、本日の大まかなスケジュールでっす。……増設明日でいいよな、配置も換えたいから電源全部落としたいし」
「明日調査報告のメール送らなきゃならないんだけど」
「あぁ? なァんでまた俺の知らん間にオフに仕事入れてるわけェ?」
「ファイル添付したメール送るだけだもん。こんなの仕事のうちに入らないよ」
「バっカ仕事は仕事だ、休みの日に仕事すんなよそんなん今日帰ってきてからピャッと送っとけ。どうせあと送るだけになってんだろ」
「そうだけど、だって担当今日休みで来るの明日だし」
「一日ぐらい早く送ったって腐るもんじゃねえよ、送っちゃえ送っちゃえ」
午前八時四十八分、少し遅めの朝食。メニューはもち麦入りのご飯にたまねぎの味噌汁、小鉢入りのほうれん草ときのことベーコンのソテー、ほんのり甘みのあるだし焼き卵、小さな温奴。
それらを決してマナーがなっていないわけではない、寧ろとてもきれいな所作で、それでいて素早く平田は食べる。謠子には「ゆっくりよく噛んで食え」とうるさいくせに。
「洗濯とサーバー室の掃除してくるから、鯉に餌やったらシャワー浴びて仮眠とっとけ。あと食洗機かけといてな」
先に食事を終えた平田は手を合わせた後自分の使った食器を台所に持って行き、軽く水で流してから食器洗い機の中に収めると、居間のソファーに掛けてあったベストを着ながら地下にあるサーバー室へと向かっていった。その背中を見送りながら、
「はぁい」
返事をし、食事を続行する。平田は忙しいときはさっさと一人で食べて片付けてしまうが、それでも彼の行動が早いのは謠子の為であるし、ほんの少しの時間になっても同じ食卓につき一緒に食事をとろうとしているのを謠子は知っている。だからダイニングに一人取り残されても別段寂しくはない。
ゆっくり、木椀の熱い味噌汁を飲みながら、台所にある小さなホワイトボードに目をやる。ケーキを予約した店の名前と時間、その横に赤いペンで「引換券」と書いて丸で囲ってある。普段の言動からはそう見えないが、意外と字が上手くマメな男だ。
(お母様、似てたのかなぁ)
二歳の頃に死んだ母のことは、流石に記憶力に優れる謠子といえども覚えていない。が、姿だけは写真を見て知っている。血縁であるという彼と似ているか、と言われれば正直わからないのだが、見比べてみれば、あぁ、兄妹だ、とは思う。彼は謠子が謠子の母に似ているとよく言うが、昔から自分たちを知る人たちに言わせれば彼と謠子も似ていると言うから、きっと二人も似ているのだ。
平田は故あって本名を隠し別姓を名乗っているが、謠子の伯父である。
両親を早くに亡くした謠子は、父方の親類がいないので母方の祖父母に引き取られたが、祖父母は仕事で多忙だった。そんな彼等の代わりに謠子を育てたのが、在宅で仕事をしていた彼である。三親等では養育の義務はないが、現在では未成年後見人として認可を受けている立派な「保護者」だ。
それについて、謠子は少しだけ後ろめたい。
まず二十代の貴重な時間をほとんど育児に使わせてしまったし、家も名前も幼稚な復讐心の為に奪ってしまった。何より、交際していた女性との間で決まりかけていた結婚が破談になったのも自分のせいだ。その上現在など仕事は勿論のこと、生活面までサポートされている。
あの男がアビューザーじゃなかったら。
私がギフトなんか持たなかったら。
キャプターなんかにならなかったら。
きっとここまで苦労をかけることもなかっただろう──そこまで考えて、思わず苦笑する。たらればなんて、今更
(そろそろ、料理くらいは教えてもらわないとな)
もう十三歳なのだ。負担をかけてばかりではいられない。
という
「いや、だからさ、お前は『お嬢様』なわけじゃん? そんなんしねえ方がいいのよ」
平田は呆れた顔をした。謠子はむっとする。
「それは表向きの話でしょ。きみが倒れちゃったらどうするの」
「俺あのとき以外寝込んだことほとんどねえもん。人間ドックも毎年行ってる、食生活も運動も適量、睡眠……不足は、まァたまにあるけど、酒飲まねえ煙草吸わねえ、めっちゃくちゃ健康体じゃん」
「そんなのこれからどうなるかわからないじゃないか、過信はよくないよ」
「一日二日寝込んだところで死にゃしねえよ。俺に何かあったらお前のこと頼むって
「そういうことを言ってるんじゃなくてさ、」
「全部終わるまで赤の他人って言ったろ」
突き放されて、謠子は押し黙る。
唇を結んで俯くと、流石に平田もまずいと思ったのか、ばつが悪そうに小さく放った。
「……悪い、言い過ぎた」
そんなこと言って、どうせ自分も他人だなんて思っていないくせに──わざとらしくふい、とそっぽを向いて。
「平田くん大っ嫌い」
「ごめんってば! 怒んないでよもー、俺お前に嫌われたら生きてけない!」
堪えきれず、くくっと笑う。
「じゃあ、やっぱり料理教えて。知りたいんだよ僕は、実際の“調理器具の使い方”と“作り方”を。知識の吸収の一環だ」
「……
謠子の持つギフト能力は『具現化』──全くの無からものを創り出すには、その構造を知っておかなければならない。
元々好奇心が旺盛で勉強そのものが好きな謠子ではあるが、「何の知識がどこで必要になるかわからない」と睡眠時間を削ってまでジャンルを問わずあらゆるものの知識を、情報を得ようと日々努力している。それを知らない平田ではない。
「俺別にそんな
「知ってるよ。オムライスいつも玉子ぐちゃぐちゃじゃないか」
「難しんだぞアレ、薄いのもやーらかいのもさァ。……じゃあ、今日からちょっとずつやるか。シチューなら切って炒めて煮るだけだし簡単だろ」
「うん!」
と、そんなことを言っていたのに、約束していた時刻を過ぎても平田は謠子の部屋に呼びに来なかった。スケジュールが細かく決まっている──決められた時間に何かすることがある場合は、少し早めか、時間ぴったりに声をかけてくるのだが。とはいえ謠子も謠子で、調べ物に没頭していたのでふと時計に目をやるまで全く気付いていなかった。
本来の仕事の方で何かあったのだろうかと平田の私室に行ってみる。が、いない。
まさか謠子がやりやすいようにと夕食の下ごしらえをしてしまっているのではないかと、台所へ移動する。やっぱりいない。
サーバーの増設等の作業は明日すると言っていたが、一応地下のサーバー室も
(車は、ある)
仏間と風呂場、トイレを経由し、広縁から庭を挟んで見える車庫を確認。
「……居間?」
日中は友人知人が来ない限り、あまりいることはない。まさかと思って向かうと、
「いた」
平田は三人掛けのソファーの上に横たわって寝ていた。
腹の上にはスマートフォン、落ちないように左手が添えられている。アラームがセットされていたようだが、それでも起きなかったとみえる。
謠子は、起こそうと声を掛けようとして──やめた。
そういえば、ここしばらくは少し忙しかった。疲れが出たのだろう。
そっと近くに寄って膝をついて、顔を眺める。
いつも見ているからというのと、彼自身がよく働ききちんと休むからかもしれないが、謠子が知る平田は謠子が物心ついた頃からずっと変わっていないように思える。しかしよく見ると白髪が少し出てきている。やはり自分が無茶をするときは気が気ではないのだろうし、それでなくとも振り回してしまっている。
「私が生まれてから、苦労ばっかりだね」
そのままぺたりと床に座り込み、ソファーの端に突っ伏して、謠子もまた眠りに落ちた。
寒気を感じて目が覚めた。室内が暗い。すっかり夜だ。ゆっくり顔を上げ、目を凝らして掛け時計を見ると、午後七時を少し回ったところだった。
平田はというと、まだ寝ている。起こさないように、静かに立ち上がる。
「……ごはん。どうしよう」
いつもならとっくに食べている時間だ。と、気付いた瞬間きゅるると腹の虫が小さく鳴いて、空腹を自覚する。
作る? これから?
一人で?
確か買ってきたビーフシチューのルウの箱に作り方は書いてあった。その通りにすればまず失敗はしないだろう。
しかし、これまで一度も包丁を握ったことがない。切る“だけ”ならできないことはないかもしれないが──
(無理だ)
今の自分には、知識も技術もない。
起こそう。
「平田くん平田くん」
軽く揺すると、
「んっ、あっ?」
あっさり目を覚ました。どうやら充分な休息をとれたようだ。謠子は安堵する。
「お腹空いたよごはんは?」
「えっ……え、あ……飯……まだ作って……嘘、七時……今から……何時だ……ケーキ受け取り……マジか……ああぁ……どうしよ……店、は、ギリギリ…………ていうか飯……」
予定が完全に狂ったことにより、平田は狼狽した。普段はノリが軽いように振舞っていながら存外真面目で冷静な彼が、ここまで取り乱しているのは珍しい。少しおかしくなって、笑いが漏れそうになるのを我慢しながら、謠子はおろおろしている平田の隣に腰を下ろした。
「落ち着いて平田くん。最近忙しかったからね、疲れてるんだよ。今日は外食にしよう。ついでにケーキ受け取りに行って、帰ってきたら食べようよ」
「いや、でも」
寝起きの平田が必死に思案しながら膝の上でそわそわと動かしている手に、謠子が己の手を重ねる。
「僕ラーメン食べたい。清和軒のラーメンと、炒飯半分こ。たまにはいいでしょ」
平田の手の動きが止まった。
「……はい」
諦めがついたような溜め息。暗い中では表情はわからないが、落胆しているのは間違いない。謠子は触れている手をとり、立ち上がって引っ張る。
「早く、お腹空いたんだってば! 今日はもう一品プラス! 誕生日だからいいよね!」
は、と吐息のように弱く笑う声。
「ケーキあるからダぁメ。……じゃ、出ますかお嬢様」
外食とケーキの受け取りを終えたその帰り、平田の落ち込みは回復していた。そもそもあまり引き
「今日食べ損なったから明日シチューにしますぞ謠子様よ」
「お肉いっぱい入れてね」
「野菜も食えよ肉食娘」
「……あのさ」
「ん」
「やっぱり、大変だよね。僕育てるの」
一瞬、間を置いてから、
「まぁな」
あっさり即答。その問いにある裏の言葉を察し、湿っぽい返事をしない方がいいと、僅かな時間で判断したのだろう。謠子の
「お前がちっさい時なんか特にな、夜寂しがってめそめそ泣きながら勝手にベッド入ってきて寝るし、静かだなと思や部屋侵入して本漁って読んでるし、仕事してりゃ膝乗ってきていつの間にかいろいろ覚えちゃってるし……ん? 俺なんも苦労してねえな?」
抱え込まれていた腕を引き抜いて、
「そういうこと考える年頃ンなっちゃったかァ」
苦笑いながら立ち止まり、がしがしと荒く謠子の頭を撫でる。
「お前のこと邪魔だなんて思ったこと一度もねえよ」
そうだよね──だから貴方は、さっきあんなに混乱して落ち込んだんだ。
予定が狂ったことも彼にとっては許せなかったのだろうが、それよりも、よりによって謠子の誕生日に、謠子が好きなものを、一緒に作る約束を
この歳で両親祖父母を
この歳で大人と対等にやり合っていかなければならない謠子が上手く動けるように。
彼は彼なりの精一杯の愛情を。
「ほんとに?」
「俺お前に嘘ついたこと」
「いっぱいあるよ」
「そっか~いっぱいあったか~」
ぐしゃぐしゃに乱れた謠子の髪を、
「しょうがねえだろ、大人は
手櫛で整え終えると、再び歩き出す。その後を追って、コートのポケットに突っ込まれていた手を引っ張り出して繋ぎ、
「手遅れだよ伯父様」
謠子は笑った。
「似てるって言われるの、お母様でもあの男でもなくて貴方が一番多いもの」
「……そうかよ」
彼の方を見なくても、その顔がにやつきそうになっているだろうことを、謠子は知っている──しかし実のところ、謠子もまた、物心つかないうちに死んでしまってよくわからない母よりも、死んだふりをしている得体の知れない不審な父よりも、彼に似ていると言われることが一番嬉しいのだ。
と、いうことを、平田には黙っていようと思った謠子である。こんなことを教えてしまえば、きっと彼は前にも増して謠子に関することばかりに心血を注いでしまうに違いない。
「そういやさァ謠ちゃん、昨夜またネットで可愛いコート見つけたんだけどォ」
「クローゼット整理しないと入らないって言ったよね?」
「ダメ?」
「今着てるの年明け前に買ったばっかりでしょ。たまには自分の買いなよそれ何年着てるの」
「えぇ~」
それ以前に、彼は元々何だかんだ言って謠子に甘い。
そういう男だ。
了
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